「雨が降る少し前」

 

 

「嫌いなの。そんなジョーなんか」

 

ナイフで刺すみたいに言葉を投げて、そして部屋から出ていった。

僕はというと、いま思えば結構なダメージだったのだろう。
彼女の名を呼んだのかも引き留めようとしたのかも憶えていなかった。

気が付いたら、部屋にひとり立ち尽くしていた。
既に数分が経過しているようにも思えたし、数秒しか経っていないような気もした。

 

フランソワーズ。

 

・・・嫌いと言われた。

「そんなジョーなんか」。

そんなジョーって、どんなジョーだというのだろう。
そんなもこんなも、全部僕だ。
どんなに君が気に入らなくても、僕は僕にしかなれない。

でも。

「そんなジョーは嫌い」か。

まったく、いとも簡単に「嫌い」と言ってくれる。
どんな効果を生み出すのか、自分で言ってわかっているのかい?

溜め息をひとつつくと、のろのろと玄関に向かった。
形だけでも追い掛けなくてはいけないだろう。
そうしないと、絶対に戻って来ない。

やれやれ、手がかかる・・・と思いつつも、かといって手のかからないフランソワーズなど何の面白みもなかった。
何事にも一生懸命で真面目に物事を考えるフランソワーズ。
時には真面目すぎる気もするけど、でもそんなところが凄く好きだ。
だから、彼女が僕を「そんなジョー」と言うからには、僕は本当に「そんなジョー」なのだろう。

「そんなジョー」は、靴を履くと軽く屈伸をして首を回した。このあとのミッションに備えて。


梅雨の時期に傘を忘れて出ていったきみ。
部屋にはバッグと腕時計も置いたままだ。
全てを忘れて感情のままに出ていったのだろうと思うには、僕は彼女を知りすぎていた。

忘れ物じゃない。

これは・・・置いて行ったんだ。

なぜなら、またすぐ戻ってくるからだ。
パリかどこかへ帰るつもりは最初からないのだ。
しかし、かといって、僕が何もせずここで待っていたら、さすがに戻りにくいだろう。
もちろん、追い掛けて欲しくてわざとやったわけではないのはわかっている。
フランソワーズはそんなことはしない。
そうではなくて、そう・・・ちょっとした儀式みたいなものなんだ。
僕たちだけの、予定調和。


準備運動を軽くすませると、僕は外に飛び出した。
既に外は雨である。
きっと彼女にも雨が降っているだろう。
それが本降りになる前に止ませるのが僕のミッションだ。

「嫌いなの」

そう言ったのはフランソワーズ自身なのに、きっと今の僕よりも傷ついている。
自分の放った言葉に。
だから僕はフランソワーズを見つけなくてはならない。
大丈夫だよと伝えるために。

・・・そうだよ。大丈夫だ、フランソワーズ。
僕はこんなことで君を諦めたりはしない。嫌いになったりもしない。
だから、抱き締めに行く。ちゃんと捕まえるから。

 


――ほらね?


「そんなジョー」でも、このくらいはわかるのさ。