「おとぎ話のその先は」
〜抱き締めたまま世界が終わればいい〜
おとぎ話はどれも「こうして王子と王女は末永く幸せに暮らしました」で終わっているけれど、その先は *** 「――ねえ、フランソワーズ。君は今、幸せ?」 そう問うた僕の顔をきょとんと見つめ、フランソワーズはしばし考え込んだ。 「そうねえ・・・」 ひとさし指を唇にあてて、少しうつむいて。 「うん。幸せよ」 そう言って僕の腕に自分の腕を巻きつけ、頬をすり寄せる。 「ジョーは幸せじゃないの?」 ――幸せ。 幸せとは、どういうものを言うのだろう。 それを味わった事の無い僕には、幸せの判断基準が欠落していた。 *** 買い出しに行くつもりが、浜辺を通って行こうという事になり、気持ちよさそうだからと車を降りて、こうして二人で歩いている。 僕とフランソワーズはお互いの仕事の関係で、ずっと一緒には居られない。 僕の答えを待つように、フランソワーズはじっと僕の顔を見つめている。 「幸せ・・・って、何だろう」 知らず、頭の中の疑問を舌にのせていた。 フランソワーズの顔が曇る。 ああ、何も今、こんな話をしなくても良かったのに、失敗した。どうして僕はこう、君の笑顔を守ることができないのだろう。 フランソワーズが立ち止まる。 僕も一緒に立ち止まる。 「ジョー」 フランソワーズが僕の目をまっすぐ見つめる。 「いまどこか痛いところはある?」 いったい何を言い出すのだろう。 「ね。どこか痛い?」 そう言われれば少しはそうかもしれない。 「――そうでもない」 そんな訳がないじゃないか。もしフランソワーズと一緒に居て苦しいことがあったとしても、それはとてもささいな事だ。一緒にいられない苦しみを思えば天地の差があるのだから。 フランソワーズの笑みが広がってゆく。 「――ジョー。今のあなたの状態が「幸せ」って言うのよ」 ――幸せ。 今の状態が。 幸せ・・・? そんな簡単なものでいいのか。 「こんな簡単なものでいいのか」 僕の頬を手のひらで包み、フランソワーズは少し背伸びをすると僕の唇に一瞬だけ唇を触れた。 「そういうものなの」 そう・・・なのだろうか。 空が蒼くて。 風が心地良くて。 どこも痛くなくて。 空腹でもなくて。 大切な人がそばにいて、笑っていて。 ――それだけで、いいのか。 今が――幸せなのだとしたら。 僕は急に明日が来るのが怖くなった。 今が幸せなのだとしたら、後は――幸せじゃない事の方が多くなるのではないか? もしもそうなのだとしたら。 明日など来なくていい。 いまここで世界が終わってしまえばいい。 そうすれば、僕は永遠に幸せのままでいられる。 「ジョー?」 フランソワーズが僕の手を引く。つられて僕は一歩踏み出す。 「そんなに心配しなくても大丈夫よ。幸せって、そんなに壊れやすいものではないのよ?」 それでも、つないだフランソワーズの手はどこか儚くて、明日になれば消えてしまいそうで―― 「明日も明後日もその次も。ずっとジョーは幸せでいられるわ」 そうだろうか。 むしろ、今ここで世界が終わってしまえば、僕は「いつまでも幸せに暮らしました。めでたしめでたし」になるのではないだろうか。 「だから、私も幸せよ」 フランソワーズがにっこり笑う。 「ジョーが幸せなら、私も幸せ」 *** おとぎ話のその先は知らない。 だとしたら、僕も――今ここで世界が終わるように願わずに、明日も明後日もその次も、フランソワーズと一緒に、いつまでも同じように幸せなのかを見てみたいと思う。試してみたって悪くはない。 もしも、ずっと未来に君を抱き締めて世界が終わるのだとしても、きっとその時僕たちは幸せなはずだから。
紆余曲折、いろいろな事があるのだろうなと僕は思っていた。
子供心に、額面通りの「めでたしめでたし」では終わりっこないと、そう理解していたように思う。
今考えると、何とも可愛げのない子供だったろう。
だけど僕は、おとぎ話のその先を知りたかったんだ。
真剣に考えている時の彼女の癖はどこか幼くもあり、僕は好きだった。
「そう」
「お天気が良くて気持ちいいし、食べ物はおいしいし、そばにジョーがいるし」
買い出しは後回し。
今、こうして二人でいる時間が大事だった。
だから、お互いに時間をやりくりして会うひまを作っている。
それでも、二人きりになるということは少なかった。
だからもっと何か、気のきいた話でもすればいいのに、僕はつい訊いてしまっていた。
並んで歩くフランソワーズの横顔があまりにも綺麗だったからかもしれない。穏やかな微笑みは幸せだからなのかと訊いてみたくなった。
あるいは、つないだ手の指先が何だかくすぐったくて、心の奥が何だか不思議に切なくて、でも辛くはなくて、照れくさかったからなのかもしれない。
僕は全く動けないでいた。
何を言われるのか怖かった。何か――悲しいことでも言われるのだろうかと。
しかし、フランソワーズはふっと口元に笑みをうかべた。蒼い瞳が優しくなる。
「えっ?」
「――イヤ。ないよ」
「今、泣きたい気持ち?」
「今、何か辛い事はある?」
「いや」
「お腹空いてる?」
「空いてない」
「私と一緒にいるのが苦しい?」
「いや」
僕は今、こうしてここに立ってただ息をしているだけだ。
地球上にただ存在しているだけなのに。
「いいのよ、ジョー」
フランソワーズがいなくて、辛くて悲しい目にいっぱい遭って。そして・・・
「そういうものなのか」
「そうよ。そういうものなの」
けれど、王子と王女はたぶん、お互いが一緒に居るだけで「幸せ」だったのだ。だから、何があっても揺らがない「末永く幸せに暮らしました」は、おそらく真理なのだろう。
世界が終わるのは、それを見届けてからでいいだろう。