「おとぎ話のその先は」
〜抱き締めたまま世界が終わればいい〜

 

 

おとぎ話はどれも「こうして王子と王女は末永く幸せに暮らしました」で終わっているけれど、その先は
紆余曲折、いろいろな事があるのだろうなと僕は思っていた。
子供心に、額面通りの「めでたしめでたし」では終わりっこないと、そう理解していたように思う。
今考えると、何とも可愛げのない子供だったろう。
だけど僕は、おとぎ話のその先を知りたかったんだ。

 

 

***

 

 

「――ねえ、フランソワーズ。君は今、幸せ?」

そう問うた僕の顔をきょとんと見つめ、フランソワーズはしばし考え込んだ。

「そうねえ・・・」

ひとさし指を唇にあてて、少しうつむいて。
真剣に考えている時の彼女の癖はどこか幼くもあり、僕は好きだった。

「うん。幸せよ」
「そう」
「お天気が良くて気持ちいいし、食べ物はおいしいし、そばにジョーがいるし」

そう言って僕の腕に自分の腕を巻きつけ、頬をすり寄せる。

「ジョーは幸せじゃないの?」

――幸せ。

幸せとは、どういうものを言うのだろう。

それを味わった事の無い僕には、幸せの判断基準が欠落していた。

 

 

***

 

 

買い出しに行くつもりが、浜辺を通って行こうという事になり、気持ちよさそうだからと車を降りて、こうして二人で歩いている。
買い出しは後回し。
今、こうして二人でいる時間が大事だった。

僕とフランソワーズはお互いの仕事の関係で、ずっと一緒には居られない。
だから、お互いに時間をやりくりして会うひまを作っている。
それでも、二人きりになるということは少なかった。
だからもっと何か、気のきいた話でもすればいいのに、僕はつい訊いてしまっていた。
並んで歩くフランソワーズの横顔があまりにも綺麗だったからかもしれない。穏やかな微笑みは幸せだからなのかと訊いてみたくなった。
あるいは、つないだ手の指先が何だかくすぐったくて、心の奥が何だか不思議に切なくて、でも辛くはなくて、照れくさかったからなのかもしれない。

僕の答えを待つように、フランソワーズはじっと僕の顔を見つめている。

「幸せ・・・って、何だろう」

知らず、頭の中の疑問を舌にのせていた。

フランソワーズの顔が曇る。

ああ、何も今、こんな話をしなくても良かったのに、失敗した。どうして僕はこう、君の笑顔を守ることができないのだろう。

フランソワーズが立ち止まる。

僕も一緒に立ち止まる。

「ジョー」

フランソワーズが僕の目をまっすぐ見つめる。
僕は全く動けないでいた。
何を言われるのか怖かった。何か――悲しいことでも言われるのだろうかと。
しかし、フランソワーズはふっと口元に笑みをうかべた。蒼い瞳が優しくなる。

「いまどこか痛いところはある?」
「えっ?」

いったい何を言い出すのだろう。

「ね。どこか痛い?」
「――イヤ。ないよ」
「今、泣きたい気持ち?」

そう言われれば少しはそうかもしれない。

「――そうでもない」
「今、何か辛い事はある?」
「いや」
「お腹空いてる?」
「空いてない」
「私と一緒にいるのが苦しい?」
「いや」

そんな訳がないじゃないか。もしフランソワーズと一緒に居て苦しいことがあったとしても、それはとてもささいな事だ。一緒にいられない苦しみを思えば天地の差があるのだから。

フランソワーズの笑みが広がってゆく。

「――ジョー。今のあなたの状態が「幸せ」って言うのよ」

――幸せ。

今の状態が。

幸せ・・・?

そんな簡単なものでいいのか。
僕は今、こうしてここに立ってただ息をしているだけだ。
地球上にただ存在しているだけなのに。

「こんな簡単なものでいいのか」
「いいのよ、ジョー」

僕の頬を手のひらで包み、フランソワーズは少し背伸びをすると僕の唇に一瞬だけ唇を触れた。

「そういうものなの」

そう・・・なのだろうか。

空が蒼くて。

風が心地良くて。

どこも痛くなくて。

空腹でもなくて。

大切な人がそばにいて、笑っていて。

――それだけで、いいのか。

今が――幸せなのだとしたら。

僕は急に明日が来るのが怖くなった。

今が幸せなのだとしたら、後は――幸せじゃない事の方が多くなるのではないか?
フランソワーズがいなくて、辛くて悲しい目にいっぱい遭って。そして・・・

もしもそうなのだとしたら。

明日など来なくていい。

いまここで世界が終わってしまえばいい。

そうすれば、僕は永遠に幸せのままでいられる。

「ジョー?」

フランソワーズが僕の手を引く。つられて僕は一歩踏み出す。

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。幸せって、そんなに壊れやすいものではないのよ?」

それでも、つないだフランソワーズの手はどこか儚くて、明日になれば消えてしまいそうで――

「明日も明後日もその次も。ずっとジョーは幸せでいられるわ」

そうだろうか。

むしろ、今ここで世界が終わってしまえば、僕は「いつまでも幸せに暮らしました。めでたしめでたし」になるのではないだろうか。

「だから、私も幸せよ」

フランソワーズがにっこり笑う。

「ジョーが幸せなら、私も幸せ」
「そういうものなのか」
「そうよ。そういうものなの」

 

 

***

 

 

 

おとぎ話のその先は知らない。
けれど、王子と王女はたぶん、お互いが一緒に居るだけで「幸せ」だったのだ。だから、何があっても揺らがない「末永く幸せに暮らしました」は、おそらく真理なのだろう。

だとしたら、僕も――今ここで世界が終わるように願わずに、明日も明後日もその次も、フランソワーズと一緒に、いつまでも同じように幸せなのかを見てみたいと思う。試してみたって悪くはない。
世界が終わるのは、それを見届けてからでいいだろう。

もしも、ずっと未来に君を抱き締めて世界が終わるのだとしても、きっとその時僕たちは幸せなはずだから。