「にらめっこ」

 

 

「――もう。何しに来たのかわからないじゃない」

目の前の異様に上機嫌なひとを持て余し、私はグラスを置いた。

「何しに来た、ってワインを飲みに来たに決まってるじゃないか」

あくまでもにこにこと、甘い声で答える上機嫌なひと。
いつも上機嫌ではあるけれど、今日はもう酔っているのか更に上機嫌に出来上がってしまっている。

「そうだけど、・・・それを飲みに来たんじゃないでしょう?」

咎めるように、彼の持っているグラスに視線を移す。
それを十分に意識しながら、グラスを傾ける上機嫌なひと。

「フン。そんな水みたいなものが飲めるか」
「だって、今日はこれを飲むのが目的だったのに」
「いいんだよ、僕は」

根拠のない「いいんだよ」に呆れて、大きくため息をついた。もちろん、わざと。

「・・・やっぱり、ジョーと来るんじゃなかったわ」

 

***

 

11月の第3木曜日。
いわずと知れた、ボジョレーヌーボーの解禁日。

その日にちょうど日本に滞在していたのはただの偶然だったのだけど、ジョーはずうっと前からフレンチレストランを予約していたらしい。一緒にワインを飲むために。
誰と一緒に来るつもりだったのか甚だ怪しかったけれど、ともかく私はここ日本にいたので、こうしてジョーと一緒にひとつのテーブルを挟んで向かい合っているというわけだった。

この店には数種類のボジョレーヌーボーが置いてあって、好きな銘柄を選ぶことができる。もちろん、早い者勝ちで。
グラスでいくつもの銘柄のものを飲めるから、行く前から私はとっても楽しみにしてた。
そして実際、あれこれ試していたのだけど、なんと同行者はひとくちそれを飲んだだけで、とっととフルボディに換えてしまったのだ。全く、言語道断である。

「うん?聞き捨てならないな。だったら、誰と一緒に来るつもりだったんだい?」

フルボディのワインをごくごく飲むというおかしなひとには答えたくない。

「あなたには関係ないでしょ」

私も負けずにワインをひとくち。フルーティでちょっぴり渋いそれはやっぱりこの時期ならではのもの。

「関係あるに決まってるだろ。きみは僕のなんだから」

あやうくワインを噴くところだった。
こんな場所で、そんな大きな声で、いったい何を言い出すのよ。

「ちょっと、ジョー」

しい、っと人差し指を唇にあててたしなめる。慌てて周囲を見回して。
が、他のテーブルは見事に自分たちの世界を構築しており、外の世界で何が起こっているのかなんて全く興味を示していなかった。
とりあえず、ほっと胸をなでおろす。

「・・・もう。今度そういう事を言ったら絶交よ」
「いつも言ってるじゃないか」
「こういう場所ではやめて」
「誰も聞いてないよ」
「それでも、よ」

コース料理の何皿目かが並べられたので、給仕されている間ちょっと黙る。

「――で?いったい誰と来るつもりだった?」

グラスを置いて、料理に手をつけるかと思いきやそうはせず、テーブルの上で手を組んで――じっとこちらを見つめる。
さっきまでの上機嫌さは微塵もない。
鋭い眼光で、これから尋問を始めるみたいなそんな雰囲気。

「誰、って・・・お友達と」
「友達」
「女の子よ?」
「ほんとかな」
「ほんとよ。・・・あなたこそ、そもそも誰と来るつもりだったの?」
「フランソワーズ」
「まさか。私がちょうど日本にいるかどうかなんてわからないのに、予約までしてたっていうの?」

信じられない。

絶対、嘘を言ってる――と、睨むように彼を見つめる。
対するジョーは、私のちょっとの表情の変化も見逃さないぞと言いたげに、さっきから一瞬たりとも視線を外さない。

緊張感が走る。

まるで、視線を外した方が負けというように。

 

「次のワインはどうなさいますか?」

テーブルの上の緊張感に全く気付いていないのか、あるいは気付いたからこそ割って入ってくれたのか――ジョーの目の前にワインリストが広げられた。

いったん休戦。

「――次の料理は何でしたっけ?・・・ああ、なるほど。だったら、僕はこれで、彼女は」

リストから顔を上げ、料理を頬張る私をちらりと見つめ、ジョーはその声に微かに笑いを含ませて言った。

「彼女には、さっきと同じボジョレーヌーボーを」

 

***

 

「だから、どうしてジョーは飲まないの?」
「僕は元々ボジョレーヌーボーはあまり好きじゃないんだ。ひとくちで十分」
「だったら、どうして・・・」

相変わらずのフルボディの赤をごくごく飲みながら、それでいて全く酔わずに平然としているジョー。

「うん?――うん。いいんだよ、きみは気にしなくて」
「だって、おかしいわよ。だったらどうしてわざわざ予約なんてしたの?」
「さっき言っただろ。きみと一緒にワインを飲むつもりだった、って」
「だから、それが信じられないって言ってるの。――偶然なのよ?いま私が日本にいるのなんて」

本当だったら、フランスにいるはずだった。
それが、うっかりチケットの手配を忘れていて――解禁日付近のパリ行きの便はどれも満席だった――帰れなくなってしまったのだ。
でもせっかくの解禁日なんだし、日本のお友達とワインでも飲みに行こうかと電話で話していた矢先にジョーに誘われたのだった。

「本当は、他に誰か・・・誘うつもりだったんじゃないの?」

情けなくも声が震える。
私がいない間、ジョーが日本で誰とどんな風に過ごしているのかなんて知らなくてもいい事だし、私には関係がない事でもある。
だから、訊くべきじゃないのに。それがどんな答えでも傷つくのに決まっているのに、最後までちゃんと否定して欲しくて訊いてしまう私はばかだ。

「・・・フランソワーズ。いい加減にしないと怒るよ?」
「だって」

食い下がりつつも、心のどこかではほっとしていた。ジョーが、ちゃんと怒ってくれたから。

「――しょうがないなぁ」

ジョーは頬を掻くと、上着の内ポケットから何かを取り出してテーブルの上を滑らせた。

「なに?これ・・・」

それは航空券だった。ジョーの名義の、往復チケット。パリまでの。日付は――

「――え?」

ジョーの目を見る。
そのあと、もう一回手元を見る。

「ええっ?」

更にもう一度、ジョーを見る。

「・・・わかった?」

ワイングラスを片手ににやにやしているジョー。

「だって、これ・・・どうしてこんな短い間隔の」

航空券にクレジットされている日付は、行きが11月16日で帰りが11月18日だった。これでは半日くらいしかパリにはいられない。
いったい、なんのためにパリに半日・・・・

「――うん。迎えに行くつもりだったから」
「誰を?」
「きみ以外に誰がいるんだい?」

本当に、この時期まで日本にいることになったのは偶然だったのだ。そもそも、本来なら日本にすら来ていなかった。

「・・・でも、これ・・・。私のは片道分しかないわ」

ジョーは往復チケットなのに、私のは18日の片道チケットだった。パリへ戻る分のがない。

「そりゃそうさ。帰すつもりなんかなかったからね」

大威張りで言い切ったジョー。

「・・・ひどいわ。ひとの予定っていうものを全然考えてくれてないのね」
「僕と一緒に居る以外のどんな大事な予定があるっていうんだい?あるなら教えてくれ。いくらでも聞くから」

――そんなの、あるわけないのに。
知ってるくせに、わざとそう言うジョーはずるい。

私もバッグの中から取り出して、ジョーを真似てテーブルの上を滑らせた。

「ん?・・・なんだい、これ」
「見ればわかるわよ」

手にとり、じいっと見ていたジョーの目がほんの少し大きくなる。

「えっ、これって――フランソワーズ?」
「なにかしら?」
「いや、だって、これは」

さっき私がしたように、手元を見て私を見てを繰り返すジョー。

「・・・チケットじゃないか。パリ直行便の」
「そうね」
「しかも日付は今日っ・・・」
「あら、そうだったかしら?」
「――本当はちゃんと取れていたんじゃないか。何で乗らなかったんだ」

その台詞を待ってたのよ。

「あら、あなたと一緒に居る以外のどんな大事な予定があると思うの?あるなら教えて頂戴。いくらでも聞くわよ」

 

その時のジョーの顔。

それだけでごはん3杯――じゃなくて、ワイン3杯は軽くいけそう。