「忘れ物はコーヒータイム」

 

 

レースが終わった。
と、いうことは、私たちはまた離れ離れになることを意味している。

 

ジョーは次の闘いの地へ。

私は日常へ。

 

赴いて。

戻って。

 

その繰り返し。
いったい、何度繰り返せば慣れるのだろう。

別れる時はいつも切なくて。
でも、そんな顔を見せるのが悔しくて。
だから、私はこんなの全然平気なのよ、って言ってみせる演技も今はプロ級。
この台詞を言わせたら、オスカーだって取れるかもしれない。

 

「――フランソワーズ。じゃあ・・・」

 

ちょっとだけでも別れが寂しいと瞳が言ってないだろうかと私はジョーの瞳を覗きこむ。
けれども彼は、私と違ってこんなの慣れっこだから、穏やかに微笑むだけで切なさなんて微塵もない。
ビジネスライクに別れを告げる。

 

「ええ。またね」

 

じゃあね。

またね。

 

さようなら。

また今度。

 

とっても短い簡単な単語。
それを言うのが難しいなんてとてもじゃないけど言えないから、私はきちんと答える。

 

じゃあ、またね。

また今度ね。

 

でも――心の隅でうるさいくらい疑問が渦巻く。

 

今度、って・・・いつ?

 

そんな事を言えるわけがない。
だって、今のこんな遣り取りだって、半ば儀礼的なものに過ぎないのだから。
「今度」なんて社交辞令に決まってる。意味はない。今度なんて来ない。約束なんてしない。

軽く手を振って、私も笑顔を返す。

こうして私たちは離れてゆく。

 

いつも。

 

いつまでも。

 

きっと・・・永遠に。

 

 

 

***

 

 

 

空港に行くのは嫌いだった。
いかにも「今生の別れ」のようで好きになれない。
だから僕はいつも、フランソワーズと離れる時は空港ではなく現地で別れるようにしている。

別れはいつもレース場だった。

見送る彼女と見送られる僕。

小さくなってゆく彼女を車内から見つめるのがいつもの僕だった。

どんどん小さくなってゆく彼女。
そして、最後には視界から消える。
それを見るのが嫌で、最近はずっと車に乗ったらもう彼女を見ないようにしている。
そうすれば、僕の中のフランソワーズは次に会う時まで等身大の彼女だから。
小さくなって消えてしまう――そんなのは憶えていたくない。

 

「じゃあ、またね」

 

にっこり笑って小さく手を振るフランソワーズ。

僕とは違って、いつも本当にあっさりと僕を送り出す。
僕がどんな気持ちでいるのかなんて、きっとわからないだろう。
だから僕は、――僕だけが別れを惜しんでいると思われたくなくて――だって、男のくせにみっともないだろう?
殊更に平静を装う。

僕は、君がいなくても全然平気だよ――と。

本当はそんなこと思ったことなんかない。
思ったことがないから、今、こうして嘘で思っただけでも胸が悪くなる。

 

「――フランソワーズ。じゃあ・・・」

 

じゃあ――何なのだろう。

 

僕は。

 

僕が本当に言いたいのは。

 

 

 

***

 

「――あ。ジョー、すまん。どうも荷物の積み忘れがあったらしい。いま連絡がきたから、ちょっと行って来る」

車に乗って待っていたスタッフが窓から顔を出しジョーに告げると、ほぼ全員がぞろぞろと降り出した。

「え。あ、ああ。わかった」

不意に声を掛けられ、ジョーはフランソワーズから目を離しスタッフたちに目を遣った。
全員が殊更に渋い顔をしており、それがなくては出発できやしないと口々に言っている。

「すまん。一時間くらいかかるかもしれない」

一体、何を忘れたのだろう――と思いつつ、ジョーは目の前のフランソワーズに手を伸ばした。

 

 

次にスタッフが戻ってくるまでの間、ふたつの影が離れることはなかった。

 

 

荷物の積み忘れとは――気を利かせたスタッフのコーヒータイムだったことをふたりが知ったのは、しばらく後のことだった。