「今日も姫様はお綺麗だったな」

警備を終えたあと、ジョーとピュンマは連れ立って廊下を歩いておりました。
途中で姫のお世話をする女官達と擦れ違いました。ジョーはその中の一人と目が合って、なんとなく見覚えがあったので軽く会釈をしました。すると、その女官は真っ赤になって逃げるように走って行ってしまいました。

「おい」

ジョーの脇腹をピュンマが肘で押します。

「可愛い子じゃないか。お前に気があるみたいだぞ」
「……この前、声をかけられた」
「ええっ、告白されたのか」
「……ずっと前から気になってる、と言われた」
「お前っ」

ピュンマが足を止めました。

「それって……そんな淡々とした顔で言うことか」
「……別に興味ないし」
「お前なぁ」

ピュンマは、無表情のジョーに肩を竦めると、再び歩き出しました。

「そりゃ、姫様はお綺麗だし、俺たちだけじゃなく国民の誰もが大切に思っているし、憧れてもいる。けどな、それだけだぞ。大それたことを考えるんじゃない」
「考えてないですよ」
「だったら、もうちょっと周りに目を向けるんだな。さっきの子、年頃もお前とちょうどいいじゃないか」

ジョーは唇を固く結んだまま何も言いません。

そのまま二人は無言で歩いて行きました。

ジョーとしても、考えなかったわけではありません。いくら姫ひとすじといっても限度というものがありますし、何しろ王子がやってきたら、姫は一緒に行ってしまうのですから。それに、姫はジョーを見たこともありませんし、目覚めてもおそらく、兵隊の一人だとしか思わないでしょう。だったら、自分のことを思ってくれる可愛い娘と恋愛をしたほうが楽しいに決まっていますし、きっと幸せになれることでしょう。
今年になってずいぶん告白を受けてきたジョーです。全く何も思わなかったわけではありません。調理係の女性が特別にジョーの好物を作ってくれた時は嬉しかったし、毎回、声をかけてくれる音楽隊の女性も綺麗なひとだったから、ちょっとは気持ちが高揚してもいました。

でも。

やっぱりジョーのなかでの一番は姫なのです。
これはもう、どうしてもそうなのです。ジョー自身、どうしようもない気持ちでした。
ですから、いつか王子がやってきて姫を連れて行ってしまう日のことを思うと胸が張り裂けそうでした。
ジョーの本当の気持ちは誰も知りません。ジョーは自分の思いを胸の奥深くに隠して、そうして毎日を過ごしておりました。王子なんて永遠にやってこなければいい。そうすれば、自分は毎日、姫の寝顔を見ていられるのだから。こんなことは絶対に言ってはいけないことなのですから。

しかし、ジョーの願いは聞き届けられませんでした。

ある日、とうとう「その日」はやって来たのです。

それは、朝から城内がざわつく日でした。いったい何事だろうと思っていると、隊長がみんなを集めて言いました。

「国境警備から連絡がはいった。昨日、王子が森に入ったらしい」

みんな驚きました。が、きっといつものように森に迷っている王子を助けにいくのだろうと思いました。けれども、隊長は興奮したように続けて言うのです。

「ドラゴンが倒された。そして、おそらく今日にも王子一行は城に到着するだろう」

警備兵達はお互いの顔を見て、そして喜びの声を上げました。そうです。とうとうみんなが待ち焦がれた「勇敢な王子」がやってきたのです。姫にかけられた呪いが解ける日がきたのです。それは、いったいどんな王子なのでしょうか。やって来る王子一行をひとめ見ようと誰もがみな、窓に殺到しているようでした。

「静かに」

隊長が一喝します。

「今まで通り、俺達は姫様の警護をするだけだ」

王子がやってきた時の場合に備えてマニュアルは出来ていましたし、全員がそれを熟知しておりました。が、まさか自分が警備についている時に王子がやって来るとは思っておりませんでしたから、みな慌てて、懐からマニュアルを取り出し確認を始めました。

しかし、ジョーはただ呆然とするばかりでした。


本当に、王子が来てしまった。


それだけが頭のなかに響いています。とてもにわかには信じられませんし、信じたくありません。けれども、ここで隊長が宣言したからには本当のことに違いないのです。
周りの警備兵はみな、姫様が目を覚ますのだ、姫様のお声が聞けるのだ、と口々に興奮した様子で語っています。が、ジョーの耳には何も入ってきません。あんなに楽しみにして待ち焦がれていた「姫様が目を覚ます瞬間」がもうすぐやってくるとわかっても、手放しでは喜べませんでした。

「今日は、ジョーとピュンマ、そして俺の三人が担当だ。ジョー、ピュンマ、しっかりしろよ」

ジョーにとって、嬉しいと同時に最悪の日でした。よりによって、自分の担当する時間内に王子がやってくるようなのですから。
ピュンマが「任せてください」と胸を張ります。自分が担当する時に歴史的瞬間が訪れることが誇らしそうです。
ジョーは何も言えませんでした。ただ、隊長の鋭い目に頷いただけでした。

 


 

 

その頃、姫付きの女官たちも大騒ぎでした。なにしろ、待ちに待った瞬間なのですから、いつにも増して姫を綺麗に仕上げなくてはなりません。
実は、姫付きに選ばれた女官たちは、それぞれメイクアップやエステのスペシャリストでした。だからこそ、毎日姫を美しく保つことができたのです。
そして、いよいよ今日はその本番であり、最後の日でもあるのです。腕のみせどころです。どんな面食いの王子が来ようとも、ひとめで姫に恋するようにしなければなりません。元々美しい姫ですから、さらに磨きをかけることはとても嬉しく腕がなるところでした。

「……でも、思うんですけれど」

一番年下の女官が年嵩の女官に質問します。

「王子様と行ってしまったら、誰が姫様のお世話をするのでしょう」
「それは心配しなくても王子様がお決めになることだわ」
「でも……お嫁入りした先の国に、私達のようなスペシャリストがいるでしょうか」

それは誰もが思っていたことでした。みんな自分の腕に自信があったので、自分たち以上に姫を美しくできるものがいるとは思えないのです。

「そうねぇ。あなたの言うことももっともだわ。そう……誰か、一緒に行けたらいいんだけど」

けれども、姫のお嫁入りの時は姫付きの女官といえど一緒に行くわけには行かないのです。そう決まっているのです。ですから、みなしゅんとしてしまい辺りに沈黙が漂いました。姫と一緒に行きたい気持ちはありますが、それはできない相談なのです。諦めるしかありません。

「でも…姫様は特別ですから」

年若い女官は続けました。

確かに、今までのきまりは元気な姫を対象に作られたものでした。ですから、眠ったまま数年過ごした姫は含まれておりません。例外なのです。果たして姫は、突然目覚めても色々なことがすぐにできるようになるのでしょうか。

「王子様にお願いして一緒に行くわけには参りませんか」

年若い女官が必死の顔で言います。彼女は若いだけに任務にも一番熱心で雑念がありません。そして、他の女官と違って特に恋仲の若者もいませんでした。思い人はおりましたが、先日振られたばかりでしたから、できればしばらくその者の顔を見たくないとも思っていました。思い人は姫付きの兵隊でしたから、このままここにいれば嫌でも顔を合わせてしまいますし、彼の姿を見るのは嬉しいけれど彼のなかには姫しかいないと毎回思い知らされるのは辛すぎました。ですから、この国を出ることに迷いはないのです。

「そうね……」

女官長は彼女の顔を見て考え込みました。そして、

「わかりました。王子様がいらしたら、申し出てみることに致しましょう」

 

その日の夕方、王子一行は城にやってきました。

王子は若くて背が高い美丈夫でした。発する声も耳に心地良く、城にいる者はみな、彼なら自分達の大事な姫をお任せしても大丈夫だと安堵しました。

待機していた王と王妃も姫の部屋へ向かいました。

姫の部屋には既に女官と警備兵が控えております。準備万端でした。

そして。

「姫はどこにいらっしゃる」

王子の声が聞こえてきました。
ジョーは我知らず、ぎゅっと拳を握り締めました。

「姫っ」

王子が戸口に立ちます。

ジョーはその姿を見て、ほっとしたと同時に敗北感に打ちのめされました。逞しい筋肉に覆われた体は大きく、しかも、立ち居振る舞いは実に優雅です。そして一分の隙もなく、剣もかなりの腕前と思われました。更に、女官達がうっとりするほどハンサムなのです。とても自分の叶う相手ではありません。
王子は大股で姫の眠るベッドに近付くと、そうっとその寝顔を見つめました。

「……美しい」

そのひとことに女官たちは顔を輝かせました。

「こんなに美しい姫は見たことがない」

王子はそう言うと、そっと姫の薔薇色の頬に触れ、そしてその紅く香しい唇にくちづけました。
ジョーはとても見ていられません。思わず、ぎゅっと目をつむっていました。

「……姫。聞こえますか」

すると

「はい。……王子様」

姫の声がするではありませんか。

ジョーにとって初めて聞く姫の声です。なんて綺麗な声なのでしょう。まるで優しい音楽を聴いているかのようです。
そうっと目を開けると、ちょうど姫が体を起こすところでした。
とうとう姫が目を覚ましたのです。
ジョーは姫の目をじっと見つめました。想像以上の碧い瞳でした。みんなが空の色のようなと表現していましたが、空というより海の色に近いような気がします。
王子が姫の手を取り、立ち上がらせました。姫は少しよろけましたが、ちょうど傍に年若い女官がいたので大丈夫でした。

「ありがとう」

姫がにっこり微笑みました。そのお顔も本当に綺麗で可愛らしく、まるで花が咲いたようでした。

「いえ。お足元、御注意なさいませ」

女官は顔を伏せたまま小さく言いました。王子はその遣り取りをずっと見ていましたが、不意に

「そこの女官。きみにも一緒に来てもらいたいが、構わぬかな」
「えっ……わたくしですか」
「そうだ。それから、そこに控えているあと二名も。……いかがですかな、王」

驚きました。今までのしきたりでは到底考えられることではありません。

「いや、私は構わぬが……」

王は即答を避けました。女官達にもそれぞれの生活がありますから、突然、別の国に行ってくれとは王といえどとてもじゃないですが言えません。ここはそういう国なのです。

しかし、王子はそんな様子に微笑みました。

「一年ほどの間です。姫は目覚めたばかりで周りのことがおわかりにならないでしょう。ずっとそばにいてくれた女官がついていてくれた方が心強いでしょうし、私も助かります」
「……そういうことでしたら」

みんな納得し、頷きました。一緒に行く事を望んでいた年若い女官も顔を輝かせました。これでもうしばらく姫のそばでお世話することができるのです。
しかし。

「ところで、きみ。きみは独身かい?」

年若い女官に向かって王子が質問しました。片手に姫を抱いたまま、女官の顎に手をかけて自分のほうを向かせます。

「きみもなかなか美しい。どうだね、決まった相手がいないのなら」

なんということでしょう。
姫を連れて行くといういまこの時に、自分の側室にならないかと誘っているのです。
しかし、王も王妃も何も言いません。こういうことは実はよくあることで、実際にこの国の王にも側室が数人いるのです。また、王子付きの者達も肩を竦め、また王子の悪い癖が出たといわんばかりに天を仰ぎました。
女官は驚いて声もでません。ただ王子の瞳を見つめるだけです。

「今より良い生活ができるぞ。どうだ、構わぬだろう」

冒険心に満ちた怖いもの知らずの王子です。今までこうして何人も連れ帰っているのでした。また、そういう人物でなければ茨の森に挑もうとするはずもありません。なかば想像しえた事態ではありました。
女官は泣きそうになりました。姫のそばでお世話ができたらと思っていたので王子の申し出はとても嬉しかったのです。
でも、側室となると話が別です。

「うん?彼女には決まったひとがいるのかね、女官長」
「いいえ」

彼女の気持ちは誰も知りません。

「よし、決まったな」

王子はにっこり笑いました。
年若い女官は確かに可愛くて、誰かに見初められてもおかしくはありません。きっと年を重ねるごとに美しくなってゆくことでしょう。
けれども彼女にとっては不本意でしたし、突然の事に何も考えられませんでした。
女官が王子に抵抗できるはずもありませんから、こうして腕をとられ、戦利品のように連れていかれるしかないのです。助けを求めるように周囲を見回し、警備兵のジョーと目が合いました。
女官の目に涙が浮かびます。
彼女はずっと警備兵のジョーが好きでした。一度、勇気を振り絞って告白しましたが、あっさり振られました。けれども、それでもずっと大好きだったのです。振られたのにその姿を見るのは辛いから、どこか遠くに行ってしまいたいと思っていました。でもそれは、誰かのものになることではありません。

ジョーは女官の目を見ました。

と、突然、ある記憶が呼び起こされました。

冬のある夜、警備兵として万全の体制でいても寒くて凍えそうだった時、温かい飲み物を差し入れてくれた者がいました。
また、不覚にも風邪を引いてしまい熱があったとき、歩哨をしている彼のもとへ首筋を冷やすように氷をそうっと届けてくれた者がいました。風邪をひいたことは誰にも言わなかったし、誰にも気付かれていないと思っていたので、ジョーはとても驚きました。そして、自分のことを見てくれている人がいるということがとても心強く感じました。
いつも一人ぼっちだった自分。でも、味方がいる。そう思うと心が温かく奥のほうまで染み渡るようでした。
しかし、その後は仕事が忙しくなり、いつしか忘れてしまっておりました。

それがいま、目があって思い出したのです。

その人物は彼女だったのです。

今まで何度もすれ違っていたのに、姫の警護と剣の稽古の事しか頭になかったジョーは、全く気付きませんでした。
しかし、彼女の瞳を見た途端に思い出しました。

自分は何てばかだったんだ。

ジョーは唇を噛み締めました。だって、目の前にいる女官はずっと彼が焦がれてきた姫そのものだったのです。いいえ、ジョーが勝手に思い描いていた「姫様の瞳の色」の持ち主だったのです。

ジョーが思い描いていた姫の瞳の色は空色でした。
空色の瞳をした女性。
ジョーはいつの日にか、そのひとのことをずっと思っていたのです。
そう……自分に優しい気持ちを向けてくれたひとの瞳の色が空色だったから。
けれども自分の本当の気持ちに気づいておらず、ジョーはずっと、自分は姫を愛していると思いこんできました。だから、姫の瞳は空色に違いないと勝手に決めてかかっていました。

しかし、いま、開かれた姫の瞳は海の碧。ジョーの思っていた色ではなかったのです。そしてその瞬間、ジョーは自分の本当の気持ちに気がついたのでした。


「王子様、おそれながら申し上げます」


ジョーは一歩踏み出して膝を折りました。


「この女官は私の思い人です。どうぞ、お慈悲を」


 えっ?


その場にいたみなが驚きました。ジョーがそんなことを言うなんて思ってもいませんし、想像してもいませんでしたから。
それは当の女官もそうでした。ですから、

「ジョー、私のためにそのような嘘をおっしゃるのはやめて」

そう言うしかありません。

突然、側室になる運命となってしまった自分をかわいそうに思って、そういう嘘を言うのだろうと思いました。そして、そんな嘘は、ジョーをずっと思ってきた彼女にとって深く心に突き刺さる針のようでした。同情でそんなことを言われてもちっとも嬉しくありません。むしろ、情けなく悲しい気持ちでいっぱいでした。

「嘘ではありません」

ジョーは王子の目をしっかりと見て言い切りました。

「彼女は……フランソワーズは、私の大事なひとです。どうかお慈悲を」

 

 

かくして、王子様とお姫様はそろって馬車に乗りお城を出てゆきました。

 

 

えっ?

警備兵ジョーと女官フランソワーズはどうなったのか、ですって?

 

それは「眠りの森の美女」のもうひとつの恋のお話。

 

誰も知らない物語。