「国民的行事」

 

 

「見て、フランソワーズ。こんなに貰っちゃったよ」

帰ってくるなり、紙袋いっぱいに入ったチョコレートを自慢するかのように見せびらかす。

「今日はバレンタインデーだったもんな。すっかり忘れてたよ」

屈託なく笑みを浮かべ、大事そうにチョコレートをひとつひとつ紙袋から取り出してテーブルの上に載せてゆく。

「わ、これって随分高級なところのやつだ。――後で一緒に食べようね。・・・あ、これはチロルチョコ。僕、これって好きなんだ。どうして知ってるんだろうね?」

にこにこしているジョーをちらりと見遣ると、読んでいたハードカバーをぱたんと閉じ、フランソワーズは立ち上がった。

「もてるのね?ジョーって」
「んっ?そうかなあ。義理チョコってやつじゃないかな」
「だって、これなんてジョーの好きなチョコじゃない。わざわざそれを選ぶなんて」
「でも、フランソワーズもいつもこれ買ってくれるじゃないか」
「――そうね」

素っ気なく言うと、フランソワーズはジョーを残しリビングを後にする。
その背中に声がかかった。

「ねえ、これ一緒に食べようよ。いまコーヒー淹れるからさ!」

フランソワーズはくるりと振り返るとにっこり微笑んだ。

「いらないわ。自分のがあるから」
「――自分の?」

ジョーの顔が一瞬、期待に満ちた表情になるが、感情を抑えこんだのかすぐに何も読めないポーカーフェイスに戻る。

「へ、へぇ。自分のがあるんだ?」
「ええ。私ももてもてですから」
「・・・もてもて?」

期待していた答えと違ったのか、ジョーが訝しげに問いかける。

「どういう意味?」
「そのままの意味ですけど?」

フランソワーズの口角がゆっくりと上がり、あでやかな微笑みに変わってゆく。

「ジョーも日本人なら御存知よね?日本の国民的行事の2月14日」
「国民的行事?」
「女性から男性にチョコレートを贈ろうキャンペーン」
「・・・まぁ、そういえなくもないけど」
「でも、今年はちょっと違うのよね」
「・・・違う?」
「ええ。男性から女性に贈るのが今年風なんですって。逆チョコって言うらしいわ」
「――逆チョコ?」
「あら、知らないの?」

ここ数日忙しくて、テレビのニュースもネットのニュースも全く見ていなかったジョーには初耳だった。

「逆チョコは義理っていう概念がないらしいわ。――困ったわ。あんなにたくさん頂いちゃって。どうしようかしら」

困った風に頬に手のひらをあて小首を傾げ。
そうしてもう一度にっこり笑むと、フランソワーズは今度こそ自室へ行くために踵を返した。
リビングにはジョーがぽつねんと残された。

深夜のギルモア邸である。

事務所に顔を出したジョーはあれこれ誘われて断りきれず、こんなに遅くなってしまった。
その彼を待っていたのかどうか――フランソワーズはリビングにいたのだった。

 

「・・・逆チョコ、だって?」


そんなの、知らない。


「たくさん貰った・・・?」


誰に?


どこの、誰に?


「・・・義理じゃない・・・」


ってことは、本命?


本命チョコがフランソワーズの元に?


「た・・」


大変だっ!!

 

やっとジョーは状況を把握した。
自分の獲得チョコを自慢している場合ではない。
そもそも、チョコなんてこの時期にタダでもらえるおやつくらいにしか思ってないのだ。
どうせフランソワーズには「バレンタインデーにチョコ」なんて概念はないのだから、貰ったチョコを一緒に食べようとそれだけを楽しみに帰って来たのだ。
バレンタインデーにチョコを贈って告白なんてのは、それこそ彼女が言った通りの日本の行事のひとつみたいなものだ。いずれ深い意味はない。

けれど。

逆チョコ?

更に。

フランソワーズは「チョコを贈る」という意味を知ってた?

「ふっ・・・フランソワーズ!」

危うく大きな声で叫びかけ、自分の口を押さえる。
寝静まった邸内で大声を出そうもんなら、フランソワーズとの諍いが全員にばれてしまう。

ともかく、行かなければ。フランソワーズの元へ。

チョコの入った紙袋を適当にその辺に置いて、素早く、でも静かに部屋を出る。
そして、二階への階段を昇ろうとして――気付いた。

 

僕は、「逆チョコ」なんて用意してないじゃないかっ!!

 

迂闊だった。
これでは、彼女がたくさんもらったという「逆チョコ」郡に太刀打ちできないではないか。
しかも、もしもその中から彼女が「本命」を選んだら?
同じ土俵にも立てず、自分は敗北を喫するのだろうか。


「・・・・っ」


今からでも遅くない。どこかで調達してこよう。
と思いかけ、でもそれができないことに気付く。


この辺のコンビニって24時間営業じゃ、ないっ!!


とっくに閉まっているのだ。
しかも、最寄の店といっても車で数十分かかってしまう。
それに、今慌てて買いに走ったとしても――例え加速装置を使っても――そんな急ごしらえの「気持ち」を彼女は受け取るだろうか?


――僕はなんてばかなんだ。


そういえば、2月に入ってから街はバレンタイン一色になっていたものの、「男性から女性へ」という文字もどこかの店のボードで目にしていたような気もする。
意味がわからなかったから、そのまま通り過ぎていたけれど。

あの時、ちゃんと見ておけば。

肩を落とし、力なく階段を一段一段昇る。
自分の部屋までが数千キロあるかのように遠い。
なのに、フランソワーズの部屋はどうしてこんなに近いんだ。

ドアの隙間から灯りが洩れており、まだ彼女は起きているのがわかる。


・・・もてもて、って言ってたな。いったい、いくつ貰ったんだろう?

自分の貰った数はどうでも良かったけれど、彼女が誰からどんなのを贈られたのかは気になった。


――どこの誰に貰ったんだ。

ノックしようと右手を上げて・・・上げた途端、ドアが中から開かれた。

「あら、ジョー。何か御用?」

あまりのタイミングの良さ。視られていたのだろうか。

「あ・・・、その」
「なあに?」
「・・・ええと」

彼女の背後に見える机の上には、「逆チョコ」と思しきチョコレートの箱が幾つも載っていた。
そして、返事でも書いていたのか手前にはカードらしきもの。

「・・・ジョー?」

訝しげに見つめる蒼い瞳。

「どうかした?」
「・・・あ。いや。――何でもないよ。・・・オヤスミ」
「オヤスミナサイ・・・?」

表情を前髪で隠し、ゆらりと離れようとした。

「ちょっと待って!」

その手を掴まれる。

「はい、これ」

手に押し付けられる小さな箱。

「・・・なに」
「せっかく日本に居るのだから、私も国民的行事に参加してみようと思って」
「え・・・」

右手に握らされていたものは、

「・・・チョコボール・・・?」
「ジョー、好きだったでしょう?」
「あ。ウン」
「ほら、早く開けて?何色のエンゼルが出るか見なくちゃ」
「・・・うん」

のろのろとセロハンを解く指先を、フランソワーズが早く早くとせきたてる。

「――あ」
「あら、残念。はずれだわ」
なかなか難しいのねぇと明るく言われる。

「じゃ、ほんとにおやすみなさい」

ニッコリ笑むとフランソワーズは身体を引いてドアを閉めた。
閉めようと、した。
が、ジョーがドアに手をかけてそれを阻止した。

「ジョー?どうしたの?」
「・・・国民的行事に参加した、って言ったよね?」
「ええ」
「それで、これ?」
「ええ、そうだけど・・・ダメだったかしら?これもチョコの一種でしょう?」
「――これって、義理?」
「えっ?」
「だから。これって義理なの?」

答えないフランソワーズに迫るように、ジョーが歩を進める。
後退するフランソワーズ。
ジョーの背後でドアがぱたんと閉まった。

「答えて。フランソワーズ」
「いやよ」
「簡単だろ?義理かそうじゃないのか、言うだけだ」
「・・・・」
「国民的行事では、それをはっきりさせなければいけないという決まりがある」
「・・・・」
「どっち?」
「・・・私からなんて要らないくせに」

ジョーがチョコをたくさん貰って帰ってくるだろうことはわかっていた。
だから、何度もチョコを買いに行っては買えずに帰ってくるという日々を繰り返していた。
どんなに高級なのでも、どんなに珍しい限定品でも。きっとジョーは貰うのだろう。
そうしたら、自分がどんなに高価なものを買って贈ったとしても、たくさんいるなかのひとり、になってしまう。
誰かと同じもの。を贈るのはイヤだった。
だから。
ジョーと一緒に買出しに行った時に寄ったコンビニ。そこのお菓子コーナーで、彼がよく手にとっていたもの。
マーブルチョコかチロルチョコかチョコボールか。それでも迷ったのだ。

「なんでそんな事言うの」
「だって。・・・・嬉しそうじゃないもの」
「嬉しいさ」
「嘘よ」
「ほんとだよ。顔に出ないだけ」
「嘘」
「嬉しくてびっくりしたんだ」
「・・・ほんと?」
「うん。すっごい嬉しい」
「・・・チョコボールよ?」
「うん。これ大好きなんだ。僕がこれ好きなの、よく知ってたね?」
「だって」

見ていたもの。いつも。

「で?これって義理?」
「・・・」
「教えて、フランソワーズ」
「・・・義理だったらどうするの」
「え。・・・泣きながらやけ食いするかも」
「じゃあ、義理じゃなかったら?」
「食べないでとっておく」
「・・・本気?」
「うん。記念だから」
「記念、って何の」
「両思いってわかった記念」

きょとんと見つめる蒼い瞳。
赤褐色の瞳は笑みを湛えて。

「・・・・ばかっ」

 

 

フランソワーズのもらった「逆チョコ」は計8個。
それは、くしくも同居している男性の数と同じだった。

けれども、彼女が一番嬉しかった「逆チョコ」は、半分こしたチョコボールだった。

 

 

 

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