「綺麗すぎて、無理」
――綺麗過ぎるから、無理。 そう耳にした途端、僕は立ち聞きしていたことも忘れてその部屋に飛び込んでいた。 通りかかったリビングのドアから洩れ聞こえてきた会話。 が。 否。 いるには、いた。 ソファに座り、せんべいを齧りながらテレビを見ているフランソワーズが。 僕が乱入してまくしたてたものだから驚いたのか、きょとんとこちらを見たまま静止しているフランソワーズ。 「あれっ?」 逃げ足の速いヤツめ。 なのか 元々誰もいない――? のか 混乱した僕の目の前に、すっとせんべいが差し出された。 「食べる?」 って、そんな場合じゃない。 「フランソワーズ、いま」 幾ら本当のことでも、ともじもじしているフランソワーズ。 おのれ敵はどこに行った。 「ジョーったら。そんな怖い顔してないで座ったら?」 「…なにこれ」 君が昼ドラのファンだったなんて。 しばし画面に見入るフランソワーズを邪魔しないように黙る。 二人のせんべいを齧る音だけが響く。 …それにしても。綺麗過ぎて駄目だとか、一緒にいて引け目を感じるとか、なんでそうなるんだろう。 フランソワーズといると、フランソワーズと一緒にいる幸せ以外はどうでもいい。 って考えてしまうのは、今まで何度ももう二度と会えないかもしれないという状況に立ったせいだろうか。 そう――並んでせんべいを齧っている、なんていうのは。 「んっ、何?」 ちょっと驚くよ。僕はそういうの慣れていない日本人なんだから。 「さっきのお礼よ?」 もっとたくさん言ったら、もっとキスしてくれるのかな と言う前に、僕はフランソワーズを抱き寄せていた。 *** *** 「綺麗すぎて、ムリ」 過去にそう言われて振られた事をジョーは知らない。
「何だよソレっ!フランソワーズが綺麗なのはフランソワーズのせいじゃないだろっしかも綺麗なのが悪いことのように言うけど、フランソワーズが綺麗でどこが悪いんだっ何にも悪いことしてないし、むしろ人助けになっていたりいろいろ世界平和のためになってるんだっこの僕だって、誘ってくれたのがフランソワーズみたいに物凄く綺麗な女の子じゃなかったらどうなってるかわからないんだぞっそれを何だっまるでフランソワーズが悪いみたいな。フランソワーズが綺麗でどこが悪いっえ!?言ってみろっ、どこが悪いっていうんだっ。一体どこが」
どうやらそれは、ここのところフランソワーズに執心で足繁く通い詰めてきていた男とフランソワーズの会話だとわかった時点で、僕の足はじゅうたんに縫い止められてしまったように動かなくなった。なので仕方なく――だって足が動かないんだしょうがないだろう?――ドアのそばで聞いていたのだけど。
なにやら雲行きが怪しくなり、フランソワーズに懸想していたはずの男がこともあろうにフランソワーズを前にしてそんなことを言ったものだから。
僕はすっかり頭に血が昇り、本来なら胸の裡で言うべきことを思いっきりぶちまけてしまったのだった。
「――あ。れ?」
いやにしんとした室内には誰もいなかった。
その唇がたてる、ぱりんとせんべいを噛んだ音だけがやけに生々しく響いた。
「え!?いや――う、うん…」
「お醤油味。おいしいわよ?」
「――塩味はないの?」
「ん。じゃあ、こっち」
「ありがと」
「もう。やあね、ジョーったら。突然、綺麗綺麗って連呼されたら照れるでしょうもう」
それはそれでとても可愛く目に心地良いのだけれど、今はそれを愛でている時ではない――はず。
「いやでも」
「いまいいところなのよ。見て」
――きみが綺麗過ぎるから僕はいつも引け目を感じて
イケメンが苦悩の表情で歯切れ良く言う。
「日本の代表的な文化のひとつの昼ドラというものよ。まさかジョー、知らないの?」
「…知らない」
しかも、どうやら件のセリフは相手を振っている――と見せかけて、口説いているらしかった。
恐るべき高等テクニック。僕には到底まねできるものではない。
確かにフランソワーズは綺麗だし、一緒にいて、じゃあ自分はと比べてみればその落差に愕然とはするけれども。でもさ。
綺麗なフランソワーズを見るのは凄く嬉しいし楽しいし、そんな綺麗なフランソワーズが怒ると物凄く怖かったり、泣いたらちっちゃい子みたいに頼りなげでぎゅっと胸の奥が締め付けられる気持ちになったり、なんだかいろいろもやもやしたりするから引け目とか比べてみるひまがそもそもないんだよ。
そして今が平和だからだろうか。
そんなことを考えていたらドラマが終わった。
途端、頬にチュッと音をたててフランソワーズがキスをした。
「うふ。キスしたかったの。駄目?」
「駄目じゃない…けど」
「お礼?」
「いっぱい綺麗って言ってくれたし」
「……だったら」