「手のひらで押さえた唇」 

 

 

「――触らないで」

冷たい声とともに唇にあてられた冷たい手。そのまま距離を置くように押された。ので、ジョーは不本意ながら一歩後ずさった。

「ふら」
「来ないで」

ちらりと冷たい一瞥をくれたあと、彼女は――フランソワーズは黄色いマフラーをふわりと翻し、彼を後にして行ってしまった。一度も振り返らずに。

意味がわからないまま独り残されたジョーは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
いま起きた出来事を受け容れられない。意味がわからない。

フランソワーズが彼のキスを拒むなど、今まで一度だってなかったのだから。
しかも。

「触らないで、か・・・」

自分の手を見つめ、拳をつくる。
しっかり掴んでいた彼女の腕は、いとも簡単にすり抜けていった。

 

 

もしかしたら、自業自得と言うヤツなのかもしれない。

今日の自分の行動を振り返るとその言葉しか浮かんでこなかった。
いくらミッションとはいえ――いくら、相手がそう望んだからとはいえ――やはり承諾すべきではなかったのだ。
誘拐された財閥の令嬢を助けたあと、彼女がジョーを大変気に入りそばに置きたいと言い出した。
親であるCEOからは、一時的なものだから、ふりだけしてくれればいいからと頼まれた。
だから、その傘下の企業から出向してきたかのような位置で、とりあえず――令嬢の気がすむまで付き合うことになった。そして、CEOの言っていた通り、確かに彼女は飽きっぽく、ジョーが一日そばにいただけでもういいと言ったのだった。
そんなわけで、見事にお役御免になったわけだったのだが。
とりあえず――不本意な任務から解放された彼が一番に向かったのはフランソワーズの所だった。
いつものように、彼女を胸に抱き締めて、キスをすれば落ち着くはずだった。
しかし。

――触らないで。

来ないで。

何故、拒否されたのかわからない。
拒否されるようなこともしていない・・・と思う。
もし、あるとすればそれは、今日一日別の女性のそばにいなければならなかったという事だろうか。
しかし、それとてジョーの意志とは無関係であり、彼と当の令嬢はどうもならなかったのではあるのだが。

フランソワーズが怒っているのは、もしかしたら――

ただのヤキモチなら簡単だった。
しかし。
だったらもう少し甘えたような色が声に滲むはずだった。
けれども、それはない。
あくまでも、硬質な澄んだ冷たさを湛えた声だったのだ。

――だとすれば、どう言い訳しても自分が悪いんだろうなとジョーは思った。

 

***

 

ジョーなんか嫌い。

どうして断れないの?
いかにも「僕は不本意な任務についてます」って顔をしていたけれど、だったら断ったらいいじゃない。
先方だって、ジョーが断るのは想定内に決まってる。だから本当に断ったって「ああやっぱり」ぐらいにしか思わない。

なのに、バカ正直に・・・

自分に好意以上のものを持っている異性と一日一緒に過ごすなんて、迂闊にもほどがある。相手に気をもたせるのはもちろん、誤解されても不思議ではない状況である。

それをきちんと断らない。――どうして?

私というものがありながら。そう思うと、更にふつふつと怒りが湧いてくるのだった。

私のことをまったく考えてくれてない。「泣かせたくない」とか「守る」とか、口先ばっかり。それをウットリ聞いていた私も私だけど。
本当に私を泣かせたくないのなら――どうして他の女の子と一緒にいたりするのよ。
私が、どんな気持ちでそれを見るのか全然思いもしないんだわ。

――泣くもんか。ジョーのためになんか、絶対に泣かない。
これはただの――

 

 

***

 

 

「フランソワーズ!」

いきなり目の前に出現したそのひとは――いったん彼女に手を伸ばしかけ、数瞬の逡巡の後に引っ込めた。辛そうに。

「――何よ」

挑戦的なフランソワーズの視線と声に一瞬怯んだかのように言葉を発さないジョー。
が、蒼い瞳に涙が滲んでいるのをみつけ、意を決したように口を開いた。

「――ごめん」

「何が?」

取り付く島も無いというのはこういうことを言うのだろうか。
何を言っても、何をしても――到底、彼女には届かないようだった。

「ごめん」

ともかく、同じ言葉を繰り返す。

「――嫌いよ」
「えっ?」

「ジョーなんか・・・嫌い」

きつい視線。冷たい蒼い瞳。

「来ないでって言ったでしょう?」

冷たく突き放すように言うと、そのままジョーの横を通り過ぎた。彼のことなど見えないかのように。

「フランソワーズ」
「触らないで」

「待って」
「来ないで」

再び、呆然と彼女の後ろ姿を見送る。それしかできなかった。
先刻までは、やはり自分が悪いのだろうという結論に達し、謝る為に先回りをして彼女の前に登場したのだったが、再び拒絶された今は成す術もなかった。
それでも――追いかけるしかないのだろうか。

しばし考えていると、数十メートル先を行っていたフランソワーズが足を止めた。
肩越しに振り返る。こちらを探るように見つめて。

そして。

「・・・どうして追いかけて来ないのよ」

「え?」
「ジョーのばか!!」

「え、ばかって・・・」

状況を把握できず、彼女の言葉を繰り返すだけの彼に焦れたのか、完全にこちらに向き直って更に言う。

「ジョーなんか嫌い!」

その瞬間、ジョーはいま一度奥歯を噛み締めた。

 

 

***

 

 

「そんなに何度も嫌いって言うなよ。僕だって傷つくんだぞ」

「離して」

「イヤだ」

「触らないで」

「イヤだ」

「嫌いよっ」

「わかってる」

「・・・」

「それから?」

「・・・・・・・・・・・・・・嫌い」

「さっき聞いた。それから?」

「・・・ズルイわ」

「そうだね。・・・それから?」

「・・・・・・・嫌い」

「わかってる」

「本当に嫌いよ」

「うん」

「――バカ」

「ごめん」

「でも・・・」

「うん?」

 

好き。