「ジタンの香り」
「煙草を吸う男のひとってカッコイイ」 って、誰が言ってたんだっけ・・・? ギルモア邸は、特に禁煙というわけでもなかったし、実際にリビングに煙が漂っていることも多かったから堂々と吸っても誰にも咎められはしない。 だからこうして、寒空の下ウッドデッキで潮風に吹かれているのである。 本当は、フランソワーズにと言われたものだったけれど、ジョーとしては彼女が煙草を吸うとは思えなかったし、偏見であろうけれど、女性には吸って欲しくないと思っている。 ジョーは煙草を吸ったことはなかった。 でも。 「煙草を吸う男のひとってカッコイイんだ・・・?」 繰り返してみる。今度は声に出して言ってみた。 僕が煙草を吸ったら、フランソワーズはどう思うんだろう? どうにも判断がつきかねて、ずっと封を切れずにいる。 「それ、誰の言葉?」 不意に背後から声をかけられ、ジョーは思わず煙草を落としてしまった。 「フランソワーズ」 風邪ひくわよ、と言いながら屈んで煙草を拾い、そして小さくアラと言った。 「ジタンじゃない。どうしたの」 首を傾げるフランソワーズの手から、もぎとるように煙草をひったくりジョーはそっぽを向いた。 「子供扱いするなよな」 そうして勢いよく封を切った。中から一本取り出す。唇に咥えて。 動きの止まったジョーに、フランソワーズが真面目な顔で問う。 「どうやって火をつけるの?」 迂闊にも、ジョーはライターやマッチを所持していなかったのだ。 「・・・うるさいな」 ちょこっと加速して火をつけてしまおうかなどと思いながら、ジョーは渋面を作った。 「ん、もうっ。無理しないで」 フランソワーズがジョーの唇から煙草をもぎとった。 「――久しぶりだわ。この香り」 でも、それとこれと何の関係があるんだい――と訊こうとして、ジョーは耳まで染まった。 それはイヤなの。と小さく呟いて、フランソワーズはジョーの肩におでこをつけた。
ジョーは煙草の箱を手の中で転がしていた。まだ封を切っていない。
紅一点であるフランソワーズは実はイヤなんじゃないかなと思い観察してみたが、特に嫌煙家というわけでもなさそうだった。だから、ジョーもリビングで堂々と吸ってもいいのだろう。
そう思うのだけれど、その勇気が出ないのもまた事実であった。
グレートがくれたフランスの煙草。
女性に対しアコガレめいたものを抱いてしまうのは教会で育ったせいだろうか。聖母マリアを思い浮かべてしまう。
ジョーは見るともなく目を向けていた海から、手元に視線を移した。
海と同じ蒼い色のパッケージ。
「ジタン」と書いてある。
そんなものは、不良のすることだと思っていた。――仲間はみんな吸っていたけれど。
妙に耳に残るセリフは、いったい誰が口にしたものだったのか。定かではない。
テレビのバラエティー番組での何かの企画だったような気がする。
ともかく、それが気になるのは――もしかしたら、フランソワーズもそう思うのかもしれないと思うからだった。
カッコイイって思ってくれるのだろうか。
それとも、眉をひそめるだろうか。
「何してるの、こんなところで」
「グレートにもらったんだ」
「ふうん・・・ジョーって煙草吸うひとだったかしら」
「え。いや、吸わないよ」
「――そうよね。グレートだって知ってると思うんだけど、なのにどうしてかしら」
「え。してないわよ」
「どうせ、吸えないくせにとか思ってるんだろ」
「そんな事言ってないじゃない」
「僕だって煙草くらい吸えるさ!」
そして。
「・・・で?」
それで煙草を吸おうかどうしようか延々と迷っていたのだから、傍から見れば喜劇だろう。
加速したら一瞬で煙草も燃えてしまうであろうことは忘れている。
そうして自分の鼻先に持っていった。匂いを確かめるように。
「・・・フランソワーズは煙草吸うの」
「吸わないわ。ジョーは煙草吸う女の人って好きじゃないでしょう?」
「うん」
フランソワーズが吸わないのって、「だから」?
「ジョーは吸わないでね」
「えっ」
「・・・吸わないで欲しいの。・・・駄目?」
「駄目ってことは・・・ないけど」
「良かった。だって、煙草を吸うと匂いがつくでしょう。ジョーの匂いが消えちゃうもの」