「不機嫌の理由」

 

 

くす。

思わず笑ってしまった。

「なに笑ってるんだよ」

すぐに投げつけられる言葉と強い視線。
その褐色の瞳は怒りに燃えて――は、おらず、こちらをひと睨みした後、ふいっと逸らされた。

「笑ってないわよ、べつに」

そう言うと、今度は舌打ちの音が聞こえた。

「ジョー。お行儀が悪いわ」
「っさいな。触んなよ」

私の手を振り払うように腕を動かす。

「俺に、さ・わ・る・な!」

手を引っ込めた私の鼻先に人差し指を向けて、凄むようにひとことずつ区切って言う。
その低い声と言動は、普通のコだったら竦んでしまうトコロだけれど。

「あ。『俺』って言った」

こちらも人差し指を彼に向けて言う。
彼の人差し指に自分のをくっつけながら。

「触んなって言っただろ」

慌てて手を引き、ふいっと横を向いてしまう。

「ジョー。言葉遣いが悪いわ。それじゃ不良よ?」
「いいんだよ」
「よくない」
「ったく、うるさいなァ。黙ってろよ」

身体ごと向こうを向いてしまう。なので、私は仕方なくぐるりと彼の正面に回り込むしかなかった。

「ジョーってば」
「何だよ。寄るなよ」

その表情を見て、思わず噴き出してしまった。
途端に再び機嫌の悪くなるジョー。

先刻からその繰り返しだった。

 

***

 

ここはドルフィン号のデッキ。
海の上にゆらゆら揺れている。
事件が解決して、あとは帰るだけなのだけれど、連日の徹夜続きで全員クタクタだった。
だから、数時間の仮眠をとってから移動することに決まったのだ。
私とジョーは、静まり返った船内から抜け出してデッキに上がってきていた。
そろそろ陽が傾きかけてきた午後。
太陽の光も幾分優しくなっていた。
二人でデッキに座り、見るともなく水平線を見つめていた。
――最初は仮眠室で眠るつもりだったのに。
ジョーの機嫌がすこぶる悪く、どうあっても大人しく眠ってはくれなかった。
だから仕方なく、デッキに引っ張り出したのだ。けれど。

「俺は怒ってるんだからな」

フンと鼻を鳴らして威張ったように言う。

「ハイハイ。怒ってるのよね?」

彼の機嫌は良くなるドコロか、ますます悪くなってゆく。
それもそのはず、彼の不機嫌の原因は私なのだから。

「ゴメンネ?」

言って、そうっとジョーの髪に触れる。
けれども彼は、頭を振って私から逃げてゆく。

「触んなって言ってるだろ!」
「もー。ジョーってば」
「うるさい」

両膝を抱え、その膝頭に額をのせて、完全に――彼のお得意のポーズ。
この姿を敵が見たらどう思うだろう?
「あの009」とは誰もわからないに違いない。
何しろ、いまここにいる009は・・・

「ジョー?」
「・・・」
「009?」
「・・・」
「島村クン?」
「・・・」
「ハリケーン・ジョウ?」
「・・・」

反応がない。
私はひとつ息をつくと、彼に更に近付いてその耳元で小さく言った。

「私のジョー?」

すると、かすかにぴくりと彼の肩が動いた。
そうしてゆっくりと顔が上がっていって・・・

「あ。――ホラ、もう。おでこに痕がついてるじゃない」

防護服の繊維の痕が彼の額にくっきりとうつっていた。
けれどもジョーはそんな私の反応には全く構わず、じいっとこちらを見つめたまま、

「――僕の」

あら、『僕』に戻ったわ。

「僕のフランソワーズ?」

見つめてくる一組の褐色の瞳には、ついさっきまでの睨むような強さは全くなくて、むしろ・・・

思わず笑ってしまう。
と、途端にくるっとそっぽを向かれる。

「あ、もうっ。ジョーってば」
「うるさい」
「私のジョー、でしょ?」
「・・・・」
「そして私は、アナタのよね?」
「・・・・」

それでもこちらを見ようとはしない。

本当に、ジョーったら。
どうしてこんなに愛しいの?

私は自分の中に湧き上がってくる愛しい気持ちを抑えられなかった。
ジョーが愛しくて愛しくて仕方がない。

大好き。

どこをどうしたら、この想いを全部残らず彼に伝える事ができるだろう。
1万回、スキって言ったら通じる?
100万回、抱き締めたら通じる?
それとも、1回のキスでも伝わるものだろうか?

「ジョー。こっち向いて」

けれども、そっぽを向いたまま何も言わない。

「もうっ・・・」

だけど、その横顔も好き。
少し赤くなっている頬も、鼻も、瞳も。
睫毛一本一本でさえ愛しくて。
目に入れても痛くない、食べちゃいたいほど大好きなひと。

・・・食べちゃおうかしら。

じっと見つめていると、ちらりと目だけこちらを見た。様子を窺うように。
そして、目が合った途端に慌ててまた向こうを向いて。

「ジョー?」

呼んでも答えないから、私は彼の頭をそのまま胸にぎゅうっと抱き締めた。

「!ん!ふら」

じたばたもがくけれど、本気を出してない009の力なんて簡単にねじふせられる。
実際、私を引き剥がすことなんて彼にはできなくて――数分後には静かになった。

「ジョー?」

けれども、呼んでもやっぱり答えてはくれなかった。

 

***

 

ジョーの不機嫌の理由は私だ。
それは、今回のミッションに由来する。
つまり、・・・009が命を懸けて助けた相手が、助けられたあと私を見てどうやら惚れてしまったらしいのだ。
いわゆる、一目惚れというものらしい。
それからというもの、彼を故国に帰すまでの間、ドルフィン号の中はもちろんそれ以外でも、彼は私の後をくっついて離れなかった。ジョーが傍にいても全く関係がなかった。
私はというと、――実はジョーよりも彼の方を優先していた。
隣に座るのも、彼。
偵察に出かける時も、彼も一緒に。
食事の準備も彼と一緒、もちろん後片付けもそう。
ジョーはそれを見てもひとつも文句は言わなかった。少しだけ不機嫌な顔をするだけで。
何しろ、彼は――15歳の子供だったのだから。

それでも、彼と私がずうっと一緒にいるのは気に入らなかったらしく、ジョーはしばらくの不機嫌ののち――拗ねた。彼が故国に帰って行っても、素直にならないジョーはずうっと不機嫌を押し通した。
私が何を言っても返事をしない。そばに行ってもすぐ避けて。手も握らない。髪も触らない。なんにもしない。
必要最小限のことも言わなくなったジョーを持て余していたのは私だけではなかった。
いい加減、船内がうんざりした空気に包まれた頃、やっとミッションが解決したのだった。
みんなが「仮眠をとる」といってさっさと自室に引き上げたのは、誰にも責められない。
私はそんな不機嫌の極めつけのジョーとふたり残された。

不機嫌なジョー。
静かに拗ねているジョー。

でも私は、そんなジョーとふたりきりになれた事が、実はとっても嬉しかった。
だって、ジョーが不機嫌で拗ねている理由は。

 

***

 

「・・・フランソワーズ」

くぐもった声が胸元から聞こえる。

「・・・ジョー?」

彼の髪を撫でてから、音をたてて頭のてっぺんにキスを送る。

「!なっ・・・フランソワーズ」
「なあに」
「何をっ・・・」
「何って、キスしたのよ。いけない?」

ジョーは何かを言ったようだけど聞こえなかった。本当に、かわいいひと。
どうしてこんなにかわいいの?

「フランソワーズ、いい加減離して」
「あら、離れてもいいの?」

結局、黙る。
離れたくはないという無言の肯定。まったく素直じゃないんだから。
こうして胸元に抱っこしていると、まるで大きな赤ちゃんみたい。

「ジョー?」

あくまでもこっちを見ない。

「もうっ・・・顔が見たいの!こっちを向いて?」

彼の頭を離し、両手で頬を挟んで無理矢理こちらを向かせる。
私を直視しないでふらふらとあたりを彷徨う視線を捉え、彼の視界に私しかいなくなるように近付いて。

「・・・いい加減、その膨れっ面をやめていつものジョーに戻って」
「知らないな」

もうっ。
そんな拗ねた声で凄んでも全然怖くないんだから。

「ジョーったら。――そんな顔してたら、食べちゃうわよ?」
「えっ?」

そうして私は彼をひとくち食べる事にしたのだった。

「ん!ふらんそ」

一瞬、逃げようと顔をそむけたものの、すぐに大人しくなった。

――素直じゃないんだから。

ヤキモチやきの、愛しいひと。

 

こんなに妬いてくれるなんて――私は幸せよ?ジョー。