『悪魔が封印されたクリスタルが危ない』


ある日、イワンが目を覚ました途端に口にした。
それがフランスのルーブル美術館――の、どこか――にあるとだけ言い残し、そして再び眠りについた。
いつもながら勝手な赤ん坊だ。普通ならただの寝言と片付けても良かっただろう。
しかし、イワンの言葉は重いのだ。放っておくには勇気が要る。

ジョーと博士と三人で相談して、とりあえず私がパリに行ってみることにした。
何かあったらすぐに連絡を入れると約束して。

 

 

 

 

そんなわけで、私はいまルーブル美術館の地下3階にいた。
ちょうど物品整理の人員を募集していたので、すんなり入り込むことができたのだ。

――とはいえ。

ルーブルの地下にこんなに広い倉庫があるとは思わなかったし、持ち込まれたものがこんなに多いとも知らなかった。
鑑定済みのもの、鑑定待ちのもの、それ以外のもの――とにかく物で溢れていた。
雑多に積まれたそれは、分類するには確かに人手が必要だったろう。


物品整理は二人一組で行うようになっていた。どんな貴重なものがあるかもわからないのだから、窃盗防止という意味もあるのだろう。
ちゃんと身上調査をされているとはいえどんな輩が紛れ込んでいるのかわからない。

私はアランという青年と組むことになった。
彼は学芸員を目指しているとかで、今回のルーブルでの物品整理には並々ならぬ意欲を見せた。

「知ってる?フランソワーズ。これは中世の貴重なものでね――」

しかし、いちいちこうして薀蓄を語られるといい加減いやになってくる。
自慢げな感じが鼻につくし、その間すっかり手元はおろそかで、結果的に私たちの組は一番効率が悪かった。
限られた日数でやるしかないのにこんな具合で目的のクリスタルを見つけることなんてできるのだろうか。


今日も整理しているそばからあれこれ薀蓄を並べだしたアランを横目に、私は残り少ない日々をどうやってイワンが言うところのクリスタル探しに
充てようか考えていた。

すると。


「おっ、これは凄い。フランソワーズ、見てみてよ」
「――アラン。あなたの発見はいいから、手を動かして頂戴」
「だけどフランソワーズ。これは今までのとは違うんだって。だってこんな見事なクリスタル、見たことないよ」
「はいはい、わかりました。そこに置いておいて、後で見るから――えっ、クリスタル?」

手元のダンボールから顔を上げると目の前に鶏卵大の水晶のようなものを掲げられた。

「これが、クリスタル?」
「そう。――ん?なかに何か見える」

アランはそういうと自分の目に近づけた。

「ちょっとアラン、危ないわよ」
「うん?いやあだって気になるじゃないか。――なんだろう、これ…」

その瞬間、クリスタルがきらりと光った。

アランはそれを至近距離から見て眩しかったのか、咄嗟に目をかばう仕草をしクリスタルが指先から零れ落ちた。
あっと思った時はもう遅かった。
床の上で砕け散ったクリスタル。そのなかから煙と一緒に何者かが現れたのだった。


「うわっ、なんだコイツ」

「アラン、危ないっ」


醜い翼を持った何者かは赤く輝く瞳で周囲を睥睨し、目が合ったアランに狙いをつけたようだった。
あっという間に彼我の距離をなくしアランに覆いかぶさると――彼と一体化した。

なんてこと。

そして、そのままこちらに向かってきた。

「アラン、正気に戻って!」

そう言ってみたものの無理なことはわかっていた。
姿形はアランのままであっても中身は既に彼ではなくなっていた。赤く輝く瞳。

「――お前の目をよこせ」

「アラン、目を覚まして!」

無駄だと思いつつ声をかける。
こうして声を出せば、誰かが異変に気付いてくれるだろうという目算があったのだけれど。
広い倉庫のなかには他に誰もいなかった。いつの間にか、私たちだけになっていたのだ。――なぜ?

「お前のその未来を見通す目を…」

未来を見通す目?そんなの、持ってない!

最早人間ではないアランは尋常ではないスピードで襲い掛かってきた。
ええい、仕方ない。

私は得意のテコンドーで応戦した。サイボーグに改造される前に、ちょこっとかじっていた武術。護身用にと兄に教わっていたのだ。
バレリーナには不要な――あるいは、マイナス要素であろう――足技が主のスポーツ。
サイボーグになった後は、それらは今まで以上のスピードで繰り出すことができた。
博士いわく、一流選手の筋肉細胞を一部移植していて、その細胞の記憶から技を会得できているのだという。
難しいことはわからないけれど、ともかく私はプロ並の破壊力を持った技を繰り出すことができるのだ。

 

……そんなわけで、私はあっさりアランだったモノに勝利した。
中身が人間ではない何かだったとしても、憑依した先はふつうの生身の肉体なのだからサイボーグの敵ではない。
倒れたアランは――衣服だけを残し消滅した。どういう仕組みでそうなっているのかはわからない。

ただ、そこには砕けたはずのクリスタルが残っていた。

そうっと指先で触れると硬質で冷たく、中身は――先ほどと同じようだった。
つまり、再び悪魔と思しきモノは封印されたということなのだろうか。


ともかく、目的のものは見つかった。

私はそれを携えて日本に戻った。

 

 

 

 

「へぇ。大変だったんだね」


クリスタルをためつすがめつしながら、ジョーがヒトゴトのように言う。

「大変どころじゃなかったわ。一歩間違えたら私、死んでいたかもしれないのよ?」

もっと心配して頂戴と頬を膨らませると、ジョーは笑った。

「まさか。フランソワーズが死ぬわけないだろう」
「だって、相手は悪魔だったのよ」
「――そうかもしれないけどさ。でもきみは確か名手なんだろう、ええとなんだっけ、なんとかって武芸の」
「……………」
「あれ?違ったっけ」


どうしてジョーが知ってるの。

私、一度も言ったことないわよね?


「……そんな武芸、知らないわ。私はか弱きバレリーナよ?」

するとジョーは失礼なことに大笑いしたのだ。

「どうして笑うのよ」
「いやあ、だってか弱いなんていうからさ」
「失礼ね」
「か弱くないだろう、フランソワーズは」
「か弱いです。女の子なんですからね」
「いやいや、強いって僕のフランソワーズは」

ジョーは膨れる私に構わず腰に手を回してきた。

「そうじゃなかったらひとりでフランスに行かせたりしないさ」

そう耳元に唇を寄せて言うと、ついでに耳たぶにキスしてきた。


ひとりでフランス、ね。


……そういうことにしておくわ。

ジョーのキスが耳たぶだけにおさまらず、あちこち彷徨うのに身をまかせ、私は眼を閉じた。

 

心配性のジョー。
おそらくルーブルまでこっそりついて来ていたに違いない。
だって、あの立ち回りを見たのでなければ先ほどのセリフは出てこない。きっといざとなったら助けに入ってくれたのだろう。

ちょっぴり――いいえ、かなり過保護なジョー。
本当なら、私は彼にもっと信用して頂戴と怒ってもいいのだろう。

でも、それはしない。

ずいぶん前から、おそらくジョーにとって私という存在はとても大事なのだろうと気付いていた。
だから彼にとってそれを守るのはきっとふつうのことに違いない。
それを拒否する権利は、おそらく私にはないのだ。

ジョーがそうしたいなら、それでいい。

 

ちょっとくすぐったいけれど。

 

「…ジョー、ちょっとくすぐったいわ」

 

言ってみたけれど、ジョーはただ笑っただけだった。