「おめかし」
―1― 正装なんて何年ぶりだろう。 ジョーはぼんやりとそう思っていた。 と、いうのは。 それがどうだろう。 今日のパーティはまさしく「ダンス」がメインのパーティであり、目の前には踊る男女ばかりひしめいている。 思わず顔をしかめた。 まったく何の因果で自分はこんなところにいるのだろうか。正装までして。 大きく息をついたとき、肘に手がかけられた。 蒼い瞳が顔を覗きこむ。ひどく心配そうだった。 「別に、なんでもないよ」 笑ってみたけれどうまくいったかどうか。 「そう?…なんだか顔色がよくないわ。気分が悪い?」 ジョーは鋭くフランソワーズを見ると問うた。 「様子はどうだい?」 「だって踊れるのはお前だけなんだからさ」 そう言われたのである。古傷のひとつであった。できればそれには触れて欲しくなかった。 某国の王女の一件。ジョーは彼女の国に潜入しパーティに出席するためにダンスを習得したのだった。 そんなわけで、実はジョーはダンスを踊れるのである。 そのあたりもジョーが強く否やと言えない理由である。 見るとフランソワーズは期待に満ちたマナザシで見つめている。 「踊れるのよね」 それは確かにそうだった。 フランソワーズが誰かと踊る。 そんなわけにはいかなかった。 「――わかった」 ジョーはフランソワーズの腰に手を添えるとフロアに一歩踏み出した。
もちろん彼はF1パイロットであったから、公式のレセプション等々で正装する機会はごまんとあった。
だから正確には「何年ぶり」なんてことはない。ないけれども、それでもジョーはそう思っていた。
今夜のメインはダンスパーティなのである。
F1パイロットとして出席する類のパーティにダンスパーティは無かった。
あってもジョーは断固として出席を拒否したから、自然と淘汰されていったというのが正しいだろう。
だからジョーはダンスパーティなるものに出席するなどとこれから先一生無いと信じ安心しきっていたのだった。
隣のホールも同様で、音楽や笑いさざめく声で耳がわんわんしてくる。
「ジョー。どうしたの?」
「いや、大丈夫だ」
「でも」
「そんなことより」
「ええ。今のところ動きはないみたい」
「そうか」
そう――今日ここにジョーがいるのは何の因果でもない、ミッションのためであった。
もちろん他のメンバーもいる。006は厨房に、002はウエイターとして、008は駐車場係として潜入していた。
ジョーは自分も駐車場係がいいと訴えたが却下された。その理由には今でも納得がいかない。
特にフランソワーズの前では。
もちろんそれだってミッションの一部であり、ダンスの最中に計画を彼女に伝えるという任務も負っていたから仕方のないことであった。とはいえ、それほど――口で言うほど嫌がっていなかったのは事実だった。
でもジョーは思うのだ。他の奴だって踊れるだろうと。004などそのくらいたしなんでいるような気がする。
しかし、フランソワーズが他の誰かと踊るというのはまた別問題で、例え仲間といえどフランソワーズを抱いて踊るなど考えると頭が沸騰しそうだった。だからジョーがパートナーを努めるというのは至極当然のことであった。
「ねぇ、ジョー」
「うん?」
「踊らないの?」
「えっ」
「う?…う、うん」
「ジョーが踊ってくれないと、私きっと誰かに申し込まれてしまうわ」
改めて見回してみると、ちらちらとフランソワーズに視線を投げてくる輩は少なくない。
―2― 結局、ダンスは踊らなかった。 ジョーとフランソワーズがフロアに踏み出した途端、事件が動いたのだった。 フランソワーズが少し残念そうに言う。 「ジョーと踊れると思って楽しみにしてたのに、残念だわ」 少しも残念に思っていないように明るく笑って言う。 「でも、また次の機会があるわよね」 次の機会。そんなもの、思いもしていなかった。 「イヤ?」 心配そうな声が追いかける。 「いや…いいよ」 ジョーの手がそっと彼女の手に包まれた。その手を握り返しながら、ジョーは思った。 そう、彼女はいつも前を向いている。自分があらゆることを後悔して後ろを向いていても、彼女は常に未来を見据え前進しようとしている。 そんな彼女だからこそ、自分は―― ――。 ――ちょっと待てよ。 「ねえ、フランソワーズ」 実は踊れる。 「知ってるんだから」 何故? と思ったけれど、それも飲み込む。 「おめかしして、ジョーと踊るの。私の夢なんだから」 夢。 本気で言ったのかどうかはわからない。が、彼女が夢だというからには叶えないわけにはゆかない。 ――叶えてやるさ。 いつか。 必ず。 ジョーが決意したその5分後。 あまりに具体的な「次の機会」を提示され、ジョーはくじけそうになった。
停電し会場はパニックに襲われた。
二人は防護服姿になると仲間と連携し敵を追いつつ客を安全に避難させ、最後には目的を達成した。
いまはその約二時間後であった。
「あーあ。せっかくおめかししたのに」
先刻までのドレス姿ではなく、赤い防護服に身を包んでいる。
アップにしていた髪もいつものスタイルに戻されていた。
そんな彼女の隣を歩きながら、ジョーは何て答えたものか考えていた。
ミッションとはいえ、綺麗な格好をしていたフランソワーズ。それが今は痛々しい防護服姿である。先ほどの姿が夢ならば、今の姿が現実ということだろうか。
そう考えると虚しくなった。
彼女に普通の女の子のような生活を保障してあげられない自分は、男としてあまりにふがいなくはないだろうか。
たとえそれが自分たちのサイボーグとしての運命だとしても――それでも、自分はフランソワーズを普通の女の子として扱いたかったし、彼女にもそう感じていて欲しかった。
でも。
そんなジョーの思いと裏腹に彼女は明るく笑うのだ。
そこには何の屈託もない。
本心を隠してわざとそうしている様子もない。本当に心から、楽しかったけど残念――と思っているのだ。
「えっ」
「やだわ、どうしてそんな驚くの。――ん、そうね。今度はミッションじゃなくて、ちゃんとしたプライベートなデートがいいわ」
「デート…で、ダンスをするのかい?」
「そうよ。今日のリベンジ」
「…」
「駄目?」
「…いや…」
「本当?じゃあ、約束ね」
「なあに。ジョー」
「次の機会ってその…ダンスも込みなのかな」
「もちろんよ!」
「ええと、そのあたりなんですが」
「何よ、いいよって言ったじゃない」
「いやそれはですね、次の機会にデートするのはいいよっていう意味でダンスのことについては」
「いいよって言ったのはジョーよ」
「いやだからそれは」
「駄目よ、踊るって決めたんだから」
「…ええと」
「踊るの。ワルツとタンゴ」
「ワルツとた、タンゴぉ?」
「そうよ。踊れるでしょ?」
が、その事実を肯定も否定もしたくなかったからジョーは黙り込んだ。
サイボーグである彼女に普通の女の子の日常というものを与えるというのは、おそらく無理だろう。でもこのくらいの夢なら叶えられないわけはない。
そのくらいできなければ、フランソワーズの男とはいえない。
この任務はただの前フリだったのではないかと疑うくらいだった。
「楽しみね、ジョー」
明るく笑うフランソワーズにジョーは黙って頷いた。