「チェックメイト」

 

 

 

「チェックメイト」


ジョーがニヤリと笑って椅子にもたれた。
私はただじっと盤を見つめるのみ。これで9戦全敗だった。

「もう少し手加減してくれてもいいじゃない。こっちは初心者なのよ」
「ふうん?じゃあ次はわざと負けようか」
「それはイヤ」

 

 

***

 

 

ジョーはあらゆるゲームができる。
ビリヤード、ダーツはかなりの腕前だというし、おそらくチェスもそうなのだろう。

いったいどこで覚えたんだろう。

――やっぱり、鑑別所とかで…かしら。

ううん。それより後かもしれない。
何しろ、悪いことは全部やったって言ってたし。別にゲームは悪いことではないけれど。

悪いことといったら、一般的に言えばやっぱり…

酒・煙草・女?

お酒は確かに強いと思う。煙草も今は時々しかすわないけれど、昔はヘビースモーカーだったみたいだし。

そして。

女…?

 

………………。

 

 

***

 

 

「フランソワーズ?」


私はジョーの声に顔を上げた。何か考え込んでいたみたい。ジョーが不思議そうにこちらを見ている。

「次、どうする?」
「次?」
「うん。10戦目。全敗はイヤだからやめておく?」

駒を手で弄びながら、余裕たっぷりに言うジョー。

「まさか。一糸報いるチャンスなのに、棄権するわけないでしょう?」

私は笑って言うと座り直した。

 

 

***

 

 

ジョーの女性遍歴について特に訊いたことはない。
知らなくてもいい事だと思っていたし、知ったからどうなるというものでもない。
それに何より、訊くのが怖かった。
だって、今のようにうすぼんやりと想像するのならいいけれど、真実はそれを遥かに超えるものだったとしたら。きっと私は受け止めきれない。
そんなことでジョーから身を退いてしまうようになる自分はイヤだったし、卑屈になってしまうかもしれない自分もイヤだった。

私は私。

堂々としていればいい。

ジョーが過去にどんなひとと何人のひとと付き合っていたとしても、いまここにいる私を選んだのは彼自身なのだから。

そう。
いまのジョーが、いまのありのままの私を選んだ。
その事実だけで今はいいんじゃないかしら。

それに――秘密がいっぱいあるひとだとしても。そして、その秘密のひとつひとつが複雑で、おそらくは知らないほうがいい事ばかりだとしても。

それでも、私はそんなジョーがいいのだから。

 

 

***

 

 

「チェックメイト」


えっ。


僕は呆然と顔を上げた。

信じられない。
だってフランソワーズは初心者なんだぜ?
しかも僕は手加減なんてしていない。

いったい自分はどんなケアレスミスをしてしまったのだろうかと僕は盤をしげしげと覗き込んだ。
対面に座るフランソワーズは満面に笑みを浮かべている。


「どう?私の腕前」
「参ったな…」

いったいいつの間に強くなったんだろう。

「秘密特訓とか」
「してないわよ」
「そうだよな…」

していたら9敗もするわけがない。かといって、今までの9戦で彼女が手を抜いていたのかというと、そんなことは絶対になかった。
だとしたら、どうして急に強くなったんだろう?

「ジョーに鍛えられたのよ」

僕の心の声が聞こえたかのように答える。

「今までの9戦でね」

フランソワーズがにっこり笑う。

「あなたの考え方とか癖とか。ぜーんぶ、わかっちゃったの」
「……」

僕は絶句するしかなかった。
フランソワーズって、いっけんとてもか弱い女の子なんだけど実はそうじゃない。芯が強くて、決して諦めたり途中で投げ出したりしない。
だからチェスで9敗してもやめなかったんだろう。ふつうなら、3・4敗したところで別のゲームをしましょうと言うだろう。実際、僕の知っている女の子はそういう子ばかりだった。
だからというわけではないけれど、フランソワーズは新鮮だったし、僕の予想の範囲を越えてくる。
とても驚くけれど、でも僕はそれがイヤではないし、むしろ嬉しい。
彼女の色々な面を知ってゆくのは楽しい。

「ね。ジョー。もう一戦やる?」
「いや…もう、いいよ」
「でもそうすると、あなたは負けたままで終わることになるわよ」
「いいよ、負けたままで」

僕にチェックメイトをかけることができるのは、きっとフランソワーズだけだろう。

だから僕は、ずっとそれでいい。

 

それがいい。

 

「負けたよ。フランソワーズ」