「視線」

 

――まただわ。

 

また――視線を感じる。

でも、相手はどこにいるのだろうかと首を巡らしても、ちからを使っても、その途端に「誰かに見られている感覚」は跡形もなく消えてしまうから、
視線を向けてくるのが誰なのか全くわからなかった。
けれども感じる時はとても強くて、はっきりと「誰かに見られている」のがわかる。

だから気になって仕方がなかった。

 

 

 

 

 

「フランソワーズ、どうかした?」

「えっ?」


隣からジョーに顔を覗きこまれ、私はふいっと顔を背けた。

「別に、なんでもないわ。ちょっと考えごとをしてただけ。――もう、顔が近いわ」
「はは。ごめんごめん」

全く悪びれずにジョーが笑う。

「急に黙るからさ。どうしたのかと思ったよ」
「…そうだったかしら?」
「ああ」
「…」

私はちょっと考えた。
ジョーに相談してみようか。時々感じる、強い視線のことを。

――でも。


私は隣で楽しげに話すジョーに目を遣った。
今日はジョーと一緒にショッピングに来ている。博士とイワンへのクリスマスプレゼントを選ぶために。
二人っきりだから、デートといってもいいだろう。
実際、ジョーは朝からずっと上機嫌だったし、きっと私も浮かれているだろう。
おずおずと伸ばされた手に触れた時もどきどきしたし、しっかり繋いでいる今だって心臓が口から飛び出そう。
胸の奥がきゅっと痛むのに、でもそれが不快じゃなくてちょっぴりくすぐったいような落ち着かない気持ち。
どきどきするのが楽しかった。
だから、ジョーに強い視線を感じることがあるのと相談したら全てが台無しになってしまうような気がして。
およそデートにふさわしい話題ではないし。


「――で、その時博士は…フランソワーズ?」

ジョーが足を止める。

「あ。ごめんなさい」

私はまた考え込んでしまっていたようだ。
ジョーの瞳が曇る。

「朝から心ここにあらずって感じだけど、どうかした?」


――やっぱりジョーに相談しようかな。

だってあの視線は、時々しか感じないとはいえ…未来都市で感じたものより強くて鋭いものだったから。
もしかしたら、何か事件性があるのかもしれないし。
だとしたらもっと早く言わなければだめじゃないかと叱られてしまう。ううん。余計に心配をかけてしまう。

でも、私が心を決めて口を開こうとした矢先、ジョーが目を伏せて言ったのだ。

「…僕と一緒じゃ楽しくない?」
「えっ?」

どうしてそんなこと。

「僕はこういうの慣れてないから、その…どうしたらフランソワーズが楽しいのかわからない」
「ジョー、あの」

そうじゃないの、気になることがあって考え込んでしまったから。――そう言いたいのに、言葉が出てこない。

「――ごめん」

そう言って繋いだ手を離そうとしたから、私はついジョーの腕に抱きついてしまった。

「違うの、そうじゃないの!」
「え…」
「そうじゃないの、ごめんなさい。考え事してて、だから」
「考え事?」
「気になることがあって。ジョーのせいじゃないの。私のせいなの、ごめんなさい」
「ああ――そう、なんだ」

私は頷いた。
頷いて――そして冷静になった途端、頬が燃えるように熱くなった。

だって。

手を離すのがイヤで、思わずジョーの腕に抱きついてしまったけれど、で――ここからどうすればいいのだろう?

私はジョーの腕を抱き締めたままで。離すタイミングがさっぱりわからなかった。
ジョーの腕を抱いたまま私が固まっていると、ふわっと頭にジョーの手がのせられた。そのまま髪を撫でられる。

「フランソワーズ。はなして」
「あ…」

やっぱり、腕に抱きつくなんてそんなはしたないこと、してはいけなかったんだ。
私は今度は恥ずかしさで頬が熱くなって、静かにジョーから腕を離した。とても名残惜しかったけれどしょうがない。

「え、違うよ。そうじゃなくて」
「えっ?」

焦ったように言われてジョーの顔を見上げると、なぜか彼の頬も真っ赤だった。

「いや、だから。そっちは離さなくていいから」
「え。あ――はい」

今度は胸の奥まで熱くなって、私は急に全身に汗をかきながら、でも素早くジョーの腕に腕を回した。
全身が心臓になったみたいにどきどきする。

「話して欲しいのは、フランソワーズの考え事のほう。何か悩んでいるんだったら、話してもらえないかな」
「…」

どうしよう。

心配してくれているのはわかるけど、せっかくのデートなのに台無しにしてしまうかもしれない。

それに。

なぜかその強い視線は、ジョーと一緒にいるときは全く感じないのだ。

「フランソワーズ?」

でもジョーは酷く心配そうだったから、私は相談してみることに決めた。

 

 

 

 

「――ふうん。そうか」


ひとおおり話したところで、ジョーが頷いた。

クリスマスカラーに彩られた遊歩道にしつらえられたベンチに座って話していた。
ところどころにツリーや人形のオブジェが置いてあって、照明で輝いていた。そんななかで話すのに適切だったかどうかはわからないけれど。
とりえあず、話したことによって私は少しだけすっきりした気持ちになった。
こんなことなら、もっと早く相談すればよかった。


「でもそれは、そんなに心配することないと思うよ」
「そうかしら」
「うん。危険性はないと思う」

ジョーはきっぱりと言い放つ。自信たっぷりに。

「…ジョーがそう言うなら」

大丈夫なのかもしれない。

「未来都市であんなことがあったから、ちょっと神経過敏になっていたのかもしれないわね私」

それに、ジョーが一緒にいる時は感じないんだし。
本当に、ただの気のせいなのかもしれない。


「寒くない?何かあったかいもの買ってくるよ」

ジョーが立ち上がって、目の前のカフェのテイクアウトコーナーに向かう。
私はその後ろ姿を見送って、そして見るともなく周りの景色を眺めていた。

ガラスのクリスマスツリー。
それを背に携帯カメラで写真を撮るカップルや家族連れ。みんな楽しそうに笑いあっている。
とても平和な光景だった。

私たちもそう見えるのかな。

見えていたら、いいな。

そうぼんやりと思った時だった。


――突き刺さるような視線。


いつものだ。

いつも感じる、強い視線。

ジョーと一緒の時は感じなかったのに。

私は眼のスイッチを入れて、そうっと首を巡らせた。
この周りのどこかにいる。視線の持ち主が。

いったい、どこの誰なの。

目的は何?


「フランソワーズ。お待たせ」

目の前にカップを差し出され、私は顔を上げた。

「うん?どうかした?」
「ええ。いま――」

けれども、つい今のいままで感じていた強い視線は唐突に消えていた。

「――ううん。なんでもない」


――やっぱり気のせいなのだろうか。

でも…

首筋がちりちりするような感覚は現実のものだった。


「そう?」
「ええ」

とりあえずジョーが一緒にいる時は感じないんだし。
こうしてずっと一緒にいれば心配ないんだわ。

そう思うことにした。

 

 

 

 

 

 

僕はカフェラテをふたつ注文すると、むこうのベンチに座っているフランソワーズに目を向けた。
そばにあるツリーに釘付けのようだ。気に入ったなら、後で一緒に写真でも撮ろう。
そんな風に思っていたら、急に彼女が緊張したのがわかった。

おっと、危ない。

折よくカフェラテが出来上がったので、僕は彼女から視線を外して店員に代金を払うべく向きを変えた。

 

未来都市の件は僕も考えさせられた。
彼女に「誰かに見られている」と言わせた視線の主は、強い恋慕の情を抱いていたという。だから僕は少なからずショックだったのだ。
僕だって誰にも負けないくらいそういう思いでフランソワーズを見ているのに。

負けていたというのか。

足りないというのか。


だから僕は、いつでもフランソワーズを見つめている。


僕の視線の先にいるのはいつだってフランソワーズだけだ。
そしてその視線を感じるのもまたフランソワーズしかいない。

いてはいけないのだから。