「素直になる日」
「ああ、僕だけど。…うん。24日と25日。きみ、何してる?…へぇ。そう。…いや、ただ訊いただけだよ、うん。いや、いいんだ。そうか。
わかった。…じゃあ、また」
ジョーは通話を切ると携帯電話を畳んでポケットにしまった。眉間に微かに皺が寄る。唇は険しく結ばれて。
『ごめんなさい、予定があるの。だからちょっと…ね』
断られるのは構わなかった。が、その声に含まれた弾むような何かが気に入らなかった。
弾むような。
浮かれたような。
どこか楽しみにしているような。
隠せない感情が滲み出ていたから、ジョーは訊けなかった。
誰かとデートかい?
肯定されたらどうすればいいのだろう。
いちおう自分では、自分は彼女の恋人であると思っているし、職場のみんなもそう思っている。
が、それがただの勘違いだったとしたら?
そんなの考えるだけ時間の無駄さと思ってみても、芽生えた不安は消えなかった。
このまま不安な気持ちは育っていってしまうのだろうか。次に会える日がくるまで消えないのだろうか。
いったいその頃にはどのくらい育っているのだろうか。不安という名の巨木になっているのだろうかと暗い気持ちになった。
大体、次に会える日なんてわからないのだ。
一週間後かもしれないし、一ヶ月後かもしれない。
ジョーは足取りも重く帰途についた。
街中にある巨大なクリスマスツリー。その前で電話をしていたのだ。ツリーを見ながら。
しかし、そのツリーは今やすっかり色褪せて見え、ジョーにとっては不要なものとなっていた。
外国では、クリスマスは家族と過ごすという。しかし日本では恋人と過ごすのが定番だった。
だからジョーも恋人と過ごしたかったのだが、あえなく夢は潰えた。しかも潰えただけではなく、ジョーに寂しさと疑惑と不安をもたらした。
――クリスマスなんか。
所詮、自分には縁の無いものなのだ。
今までも。
これからも。
ジョーが不安を大事に育て始めてから二日。
今日はクリスマスイブである。
全く何の予定もなかったから、ジョーは昼過ぎまで惰眠をむさぼり、起き出してからはずっと洗車をしていた。
どこに行く予定もなかったけれど、少なくとも好きな車に触れている間は心が落ち着いた。
夕方になり、部屋でごろごろしていたジョーは、宅配ピザでもとろうかと考えていた。
だが、サンタの格好をした宅配人ももれなくついてくるのかと思うと気が滅入った。
――別に食わなくても死なないしな。
すっかり食欲もなく、ジョーはソファに転がったままいつの間にか眠ってしまった。
「ジョー。起きて」
「ん…」
頬を髪を撫でられる感覚にジョーは徐々に覚醒した。鼻腔を刺す甘い香りに微かに顔をしかめながら。
「――あれ?フランソワーズ…?」
こじ開けた瞼。その瞳に映ったのは、恋しい人の姿だった。しかも、部屋着にエプロン姿という「ここに居るのが当たり前」のような格好で。
ジョーは無言で目をこすった。まだ夢を見ているのかもしれない。
何しろ、フランソワーズがここにいるわけがないのだ。クリスマスには誰かとデートすると言っていたのだから。
そんなことは言っていなかったけれど、ジョーの中で育った「不安」は今や大木になっており彼女の言葉の解釈を悪い方へ誘う。
訝しそうな瞳で凝視され、フランソワーズは数回瞬きをした。
「ジョー?」
「…本当にフランソワーズ?」
「本当よ?」
「…ニセモノじゃなく?」
「ええ」
「…でも君はパリで誰かとデートのはずじゃ」
「そんなこと言ったかしら」
「…言ってない。けど、予定があるからって」
「そうね」
「どうしてここにいるんだい?」
「クリスマスだから」
「いや、そうじゃなくて…」
答えになってない。
「だって日本のクリスマスって恋人と一緒に過ごすんでしょう?だから」
「だから?」
「だからクリスマスは日本に来る予定だったのよ」
「…だったのよ、って…」
自分がどんな思いでいたのか全くわかっていないフランソワーズにジョーは不機嫌に黙り込んだ。
「ジョー?」
「…」
まったく、どんな思いで。
無言のままのジョーにフランソワーズは少し首を傾げると、そうっと彼の手を取った。
そしてゆっくりとひとつずつ指を絡めて握り締めた。
「ふふっ」
そして嬉しそうに頬を染めて笑った。
「ジョーの手」
「…」
「恋人つなぎ」
「――ふん」
ジョーは体を起こすとフランソワーズと絡めた指に力をいれて彼女の手を強く握った。
「そんなかわいいもんじゃないさ。これは」
そのままその手を引いて、腕のなかにフランソワーズを閉じ込める。
「知ってるかい?別名、エロつなぎ」
「!なによそれっ」
「エロい事をする時に繋ぐからそう言うんだよ」
「嘘よ、何よそれジョーがいま作ったんでしょう」
「違うよ」
じたばたしながら、そんなつもりじゃないの離してと訴えるフランソワーズに耳を貸さず、ジョーはにっこりと笑った。
「そのために日本に来たんだろう?僕と――」
恋人同士でクリスマスを過ごすために。
ひとりで過ごした時間の分。
寂しく思った時間の分。
クリスマスなんて縁がないさといじけて落ち込んだ分。
余計に恋しさが募っていたなんて、口が裂けても絶対に言わない。
悔しいから言わない。
自分がどれだけフランソワーズに惚れているのかなんて、教えない。
教えないけれど。
「――私ね。飛行機に乗っている間も、ここへくる間もずっと、ジョーのことばっかり考えてたのよ?」
恥ずかしそうに教えられるのは、悪くなかった。
だからつい、言ってしまった。
「僕もだよ」
途端に頬を染めて嬉しそうに笑ったフランソワーズ。
そのまま首にかじりついてきたから、ジョーが大事に育てた不安の巨木はあっさりと伐採されてしまった。
平気なふりして強がったところで得るものは何もない。最初からちゃんとはっきり伝えればよかったのだ。
「――会いたかったよ。フランソワーズ」
素直になろう。
今日くらいは。
クリスマスに思いいれなどないけれど、こうして素直に言うための口実くらいにはなる。
そういう日も、あってもいい。