「ジョーの誕生日」

 

 

 

そういえば、誕生日だったんだよなぁ……


ジョーは他人事のように思った。ぼんやり天井を眺めながら。
もちろん、他人事ではない。
先ほどまでささやかながらフランソワーズが祝ってくれていた。ジョーの好きなものばかりを用意して。

二人でこの地に住むようになってからもうすぐ一年になる。
楽しいことばかりではないが、苦しいことや辛いことはあまりない。
否。殆どなかった。
常に何かと闘わねばならなかった日々を考えたら、それより辛くて苦しいことなどそうそうないのだ。
それらを全て忘れて、こうして二人で暮らしている。

それは、果たしていいことなのかどうなのか。

もちろん、サイボーグになったことは――されたことは、望んだことではない。できるものなら元の体に戻りたい。それが叶わないのなら、せめて自分たちと同じような目に遭うひとがでないようにとそれを願い闘ってきた。
闘う理由はそれだけだった。

だから、ブラックゴーストが壊滅した――少なくともそう信じた――からこそ、こうしてあとは静かに暮らすことを選んだ。
だが。
果たしてそれは正解だったのだろうか。
不本意ながら特殊なちからを持っている自分たち。あるいはそれを、もっと人類のために地球のために使うべきではなかろうか。こうして見て見ぬふりをして、世界の悪を知らないふりをして、逃げるように隠れるように生活していていいのだろうか。

そう――自分たちは――少なくとも自分は――ただ逃げているだけではないだろうか。

全てのことから。
世間の悪など諸々から目を背け、知らないふりをして遣り過ごそうとしているだけではないだろうか。

それでいいのだろうか?

あるいは、自分一人だけならばもしかしたら元の生活に還っていたかもしれない。闘うことは好きではないが、元々無かった人生である。ジョーにとっては、改造されてからのほうが人生が始まったようなものだ。

ならば、もっと――何か、できることがあるのではないかと思ってしまう。
できることがあるのなら、何かすべきではないかと。

しかし。

独りではない。

いまここにフランソワーズがいる。

闘いを嫌い、何よりも平穏な生活を望んでいる。そして、だからこそ自分もここにいるのだ。
彼女のために。

フランソワーズは優しい。
本当の誕生日すら定かではない自分を認め、一緒にいると言ってくれた。かりそめでも何でも誕生日は誕生日なのだからそれでいいじゃないと笑ってくれた。そして祝ってくれたのだ。ジョーがこの世に誕生したことを。
ここにいてもいいのだと――いてくれてありがとうと言ってくれた。
そんなこと、今まで一度も誰にも言われずに生きてきた。
だからジョーは、大袈裟かもしれないけれど彼女のためなら何をどうしたっていいと思った。
彼女が望むなら命だってなんだって差し出そうと決めている。
おそらくジョーがそう思うことが彼自身を闘いへ誘おうとする何かへのストッパーになっているのだろう。
彼自身、気付きはしないけれど。


真っ暗な部屋。

狭くて暗くて、大人二人が暮らすにはかなり窮屈だ。

が、
これがいい。

もう慣れた。


「一緒にいてくれてありがとう」


思うだけでは伝わらないから、声に出して言ってみた。
隣にいるフランソワーズは随分前に眠ってしまった。聞こえていないから言うのだ。
誕生日おめでとうジョーと言った後に彼女が「ジョーと一緒にいるのが嬉しいの」と言った。その時は言葉に詰まって何も言えず、ただ「ああそう」と素っ気無く呟いた。面と向かって何か言うのは今でも照れる。
だから、聞こえないのがわかっていてやっと言えるのだ。さきほどの返事を。

暗闇だけどフランソワーズの体温はしっかり伝わってくる。
それが嬉しい。
真っ暗でも、彼女がいれば自分はきっと迷う事はない。そう思えるから安心する。

――過去に居た闇の世界では本当に何も見えはしなかった。出口も無かった。だから常に不安定で世を呪い自身を嫌った。生活も荒れていた。

しかし今は、独りではなく二人一緒だ。どんなことがあっても怖くはない。

「……ありがとう、フランソワーズ」

誕生日の夜、ジョーは独りではない幸せを噛み締めていた。

 

 

 

いつか

独りになったらまた闇に落ちるのだろうと心の片隅で思いながら。

 

 



 

 

『誰かを守るちからがあるのにそれを使わないなんて』

 

ぼんやりテレビを見ていたジョーはこの言葉を耳にして座りなおした。
画面に映っているのは子供番組。日曜朝の特撮ヒーローものであった。そのなかで、闘いたくないというヒーローにその仲間がかけた言葉である。話の流れでは、「正義とは何か」を問うような内容であり、子供の道徳や倫理観などの育成を目的としているようである。だから深い意味はないのだろう。

けれど。

ジョーの心には重く響いた。

誰かを守るちから――を、自分は持っている。もちろん、望んで与えられたわけではないし、元々持っているちからでもない。不本意ながら持たされたちからである。何に使おうが、使うまいが、己の自由のはずである。

が。

――それを使わないなんて。

いまの自分を否定された気がした。

経緯はどうあれ、持っているちからが誰かの役に立つのであれば、それを使わないという選択は悪なのか。
ひとより優れた能力があるのなら、それを役立てるのは当然のことなのだろうか。
そしてそれは、平穏な生活と両立できるものなのか。

いまジョーが出せる答えは否だった。

平穏な生活との両立など有り得ない。
自分が持っているちからというのは、そんな小さなものではないのだ。使えば、地球規模でずっとあてにされる。そういうちからなのだ。ひとよりちょっと力持ちだとか、ひとよりちょっと走るのが速いとか、そういうレベルではない。
だとすればやはり――黙っていたほうがいい。
そうに決まっている。

ジョーがあまりに真剣な顔をしていたのだろう、朝ごはんの支度をしていたフランソワーズが心配そうに声をかけた。

「ジョー、どうかしたの」
「うん?…うん…」

フランソワーズの声に反応したものの、ジョーの意識は己の内に向いたままだ。

「何見てるの」

フランソワーズが隣に座り、一緒にテレビを見る。

「特撮番組ね。仮面ライダー」
「…うん」
「こういう怪人が襲ってきたら怖いわよね」
「…そうだね」

ジョーはちらりとフランソワーズの横顔を窺った。

「フランソワーズはどう思う。怪人と戦うべきだと思う?」
「仮面ライダーが?」
「いや。…僕が」

フランソワーズはジョーの顔を見た。冗談で言っているかと思ったら顔と声は真剣である。

「え。だってこれ…つくりもののお話よ?」
「…そうだけど」
「現実には怪人なんていないじゃない。こういう怖いひとは襲ってこないわ」
「う。…そうだけど」
「だからジョーはそんなこと考えなくていいの」

きっぱり言うとフランソワーズは立ち上がった。朝ごはんの支度の続きをするためキッチンに向かう。

「ジョーはもう闘わなくていいの」

 

お味噌汁の鍋に向かって言う。

「…闘わなくて、いいのよ」