「始めの一歩 〜SIDE F 〜」

 

 

 

私が毎日星に祈るようになって、ジョーはなんだか落ち着かないようだった。
いったい何を祈っているのとしょっちゅう訊いてくる。少し心配そうで、でも尋ねてもいいのかどうか戸惑っている顔で。
そんな彼に私はいつも曖昧に笑って答えをはぐらかす。

だって、教えるわけにはいかないことだから。
声に出して言ってしまったら、叶わないような気がするから。

だから絶対に言わない。

だってこの願いだけは、これだけは、絶対に叶って欲しい私の想いなのだから。

 

 

ジョーと知り合ったのは、私がサイボーグに改造されてしばらくしてからだった。
私はもう既に自分の体と折り合いをつけていたけれど――泣いたり叫んだり暴れたり落ち込んだりしてもこの体は元に戻る事は無いと理解した――ジョーはまさに目覚めたばかりだった。
そしてそんな彼には、私がひととおりしたような泣き叫ぶ時間は与えられなかった。なにしろすぐにブラックゴーストから脱出するという計画だったのだから。彼にとってはまさに寝耳に水、なにがなんだかわからない状態だっただろう。
それでも私たちを信じて一緒に来てくれた。その時、思った。ああなんて強いひとなのだろう、と。
後々聞いたところによると、ブラックゴーストに攫われる前はひとには言えないような悪いことばかりしていた不良だったという。でも、もっと彼のことを知っていくにつれ、それらは全て彼の生い立ちに関係していることがわかってきた。
ジョーには家族がいない。
幼い頃、彼自身を大事に受け容れてくれるようなひとはいなかった。
どんなに手を伸ばしてもその手をとってくれるひとはいない。だから彼は自分を守るために、全ての希望や期待や未来を信じることをやめた。そうすれば、得られなくても傷つくことがないからだ。だから彼のなかには諦めや絶望しか残っていなかった。
彼と初めて会ったときに私が思った「強いひと」だという印象は間違っていた。彼のなかに感じた「強さ」は、全てのものを受け容れない諦めと絶望だった。だから、身体を改造されたことを知っても泣き叫ぶようなことも落ち込むこともなく、淡々と受け容れた。「ああそうか」と。
どうでもいいとも言っていた。最初から自分の人生は捨てているから、どうってことない。そう言って笑った。
彼にとって、改造される前と後で変わったことは何もないのだ。失うものもなければ失って惜しいと思うものもない。彼は彼自身の体にさえ執着していなかった。だから、他の仲間に「009は勇気があるな」「無敵だな」と言われていたけれど、私にはただ「無茶をしている」としか思えなかった。

彼は自分の体が傷ついてもいいと思っている。

彼は自分の心が傷ついてもいいと思っている。

どちらも彼にとって大切ではないから。そして、どちらも大切だと彼に向かって言ってくれたひとがいなかったから。
それを知った時、私は彼の代わりに泣いた。
そんなばかなことってあるのだろうか。
誰にも大切に思われてないなんて、そんなこと絶対に無いはずなのに。そして、――そう思い続けて生きてきたなんて。
彼のまわりにいたひとたちは誰ひとり彼にそれを伝えようとしなかったのだろうか。ジョー、あなたは大切なひとよ、って。
いなくなったら悲しいし、あなたが傷ついたり怪我したりしたら自分のことのように辛いわ。って。だから私のために自分を大切にして欲しい、って。

誰も伝えなかったのだろうか。

誰も。

 
――誰、も。

 
だからなのだろう。
私が少しずつ彼にそれを伝えるようになっても本気にしてくれなかったのは。そんなの本心じゃないだろうって冷たく笑った。どうせすぐ俺のそばから離れるんだろって背を向けてみせたりもした。酷いときは、俺が009だからそばにいれば便利だし助けてもらえるから利用してるだけだろうなんてことも言った。
そのたびに私は彼を叱ったり怒ったり泣いたり、頬をぶったりもした。
嘘じゃない。本当のことしか言っていない。
そう何度も何度も繰り返して。

そして。

やっと最近になって――ふたりで暮らすようになってから――自分は大事に思われているって自覚してくれるようになった。自分が怪我をしたり傷ついたりしたら、少なくともひとりは泣くひとがいるんだ、って。だから自分は自分自身を大事にしなくてはいけないのだと。
わかってくれるようになった。と、思う。今はまだまだ半信半疑だけれど。
でも、明らかに違ってきてはいる。今までのように諦めたり拒絶したり絶望したりということはなくなって、私と未来の話をしてくれるようになった。明日はこれをしようとか、来年はここに行こうかとか。そういう計画をたてるのもしてくれる。
それはおそらく、もう敵と戦わなくてもいいのだということにも起因しているのだろうけれど。

私は、もっともっとジョーと一緒にいたい。彼がいままで「世界でひとりぼっち」と思ってきた期間を埋めてあげたい。
彼が過去を思うとき、「ああそんなこともあったなぁ」って笑って思い出せるくらい、今と未来を幸せにしてあげたい。
私にそれができるのかどうかはわからないし、とんだ思いあがりかもしれないけれど。

でも。

それでも。

少しでもそれができる可能性があるのなら、私はそれに賭ける。
だって、ジョーの本質は凄く優しくて強くて、――弱いんだもの。
でもそれらを全てひっくるめて愛おしい。世界でひとりしかいない、島村ジョーというひとを私はいつも抱き締めていたい。
だけど常にそれができるとは限らないから、だから私は星に祈ることに決めたのだ。


ジョーが幸せになりますように。


他の誰かの幸せはジョーが命を懸けて守った。
だから今度はジョー自身が幸せにならなくてはいけない。

他のひとなんてどうでもいい。

でも、ジョーだけは。


ジョーだけは、誰よりも幸せになって欲しい。

 

 

 

「フランソワーズ。いったい何を願ってるんだい?」

熱心だなぁとジョーが呆れたように言う。

「内緒」
「いい加減教えてくれたっていいと思うけど?」
「ダメ。言ったら叶わないかもしれないでしょ。それはいやなの」
「……ふうん……」

唇を尖らせ、少し拗ねたように黙り込むジョー。

本当にあなたったら。
私がちょっとでもあなたに隠し事をしているのがいやだなんて、その独占欲はどこからくるの?

「ジョーォ?」
「…………」
「意地悪して言ってるんじゃないのよ?だって叶ってもらわないと困るんだもの」
「…………」
「ね。こっち向いて」

しぶしぶこちらを向いたジョーは、思いっきり拗ねた顔。まったくもう、本当にあなたったら。

「ジョーったら」

私は彼の頬にそっと触れる。

「そんな顔されたらキスしたくなっちゃうじゃない」
「えっ!?」

だからどうしてそこでそんなぎょっとした顔をするの。

慌てるの。

挙動不審になるの。

「え、ちょっ……、ふらんそわーずっ」

 


知らないわ。

私は問答無用で彼の唇にくちづけた。

 

大好きで大切で大事なジョー。

あなただけは。

 

他のひとがどうでも、あなただけは。

 

どうか幸せになりますように――