「布団」
  ついこの間までエアコンが無いと辛いくらいの暑さだったのに、最近は空気が涼しい。 「――っくしょん」 くしゃみが出て目が覚めた。 ジョーは布団から出ている肩がすっかり冷えているのに気がついた。 一緒に住むにあたり、当然のことながら布団は二組買おうとしたのだ。 「そんなのダメよ」 そんなタワゴトのような睦言を口にしていた覚えは――ある。が、それをまったくそういう状況と関係ない昼日中に持ち出されるのはジョーとしては非常に不本意であった。 「ふたりっきりだから、ずうっとこうしてても誰も何にも言わないね、って」 やめてくれ。 「そう言って、ぎゅーってしてくれたのに、忘れちゃったの?」 そうじゃない。 そうじゃないけれど。 それに、それは布団が二組あったらできないということではないはずである。そのくらいフランソワーズだってじゅうぶんわかっているはずだ。わかっているのに、妙にこだわるのは一体……? 「嘘じゃないなら、要らないでしょう。余計なものは買わないの」 だからそう反復するのはやめてくれ。 「嘘じゃないが、…………わかった。いいよ。一組で」 そうジョーが言った途端、フランソワーズは満開の笑顔になった。その嬉しそうな安心したような顔を見て、ジョーはやっと納得がいった。要するに、フランソワーズは別々に寝るのがイヤなのだ、と。 ――まったく。だったらそう言えばいいのになぁ。 ちょっとも離れていたくない気持ちはどうやらフランソワーズのほうが強いようだった。 ジョーは傍らに眠るフランソワーズが寒くないか確認した。肩も首筋も腕も脚も温かい。でも。 ――もうそろそろ二人とも何か着てから眠ったほうがいいよなあ……  
   
 
       
          
   
         ―1―
         9月も半ばを過ぎたからだろうか。そろそろ秋の気配である。
         昼間はまだ気温が高くなるが、朝や夜は涼しいを通り越して肌寒い時もある。
         今日もそんな涼しい朝だった。
         まだ明け方である。やっと東の空が白んできた時分。
         やはり布団が一組だけというのは無理がある。冬になる前に、もう一組買わなくてはいけないなあとぼんやり思った。
         そのくらいの経済的余裕はあるし、これは必需品の範囲である。だからジョーは至極当然にそうしようとしたのだが――フランソワーズに止められた。
         「え。だって、二組無いと窮屈だろ」
         「酷いわ、ジョーったら」
         「何が?」
         「窮屈だなんて、私の寝相が悪いって言いたいのね」
         「いや、ちが」
         「それとも私と一緒に寝るのはイヤなの?」
         「そうじゃな」
         「酷いわ、一緒に住もうって決めたのにお布団は別々にするなんて」
         「だってベッドは別だったじゃ」
         「一日中ずうっときみを離さないよなんて言ったくせに、あれは嘘だったのね」
         「えー……っと……」
         そういうのは、そう、相当親密な場合に限って許されるセリフのはずである。
         他のひとはどうか知らないが、ジョーにとってはそうだった。それを平然とふつうの時に持ち出されると非常に辛い。顔から火を吹きそうである。しかもフランソワーズは真顔でさらりと言うのだ。
         「え……っと」
         「いや……」
         「別に余計なものじゃないと思うんだけど」
         「じゃあ、嘘だったの?ずっとこうしてようって言ったのは」
         そんなことを思い出していたら夜が明けた。東側の窓から朝日が差し込んでくる。

  「ハッ…クチュン」 チュンってなんだろうとジョーが片目を開けたら、フランソワーズが鼻をすすっている姿が目に入った。状況から察するに、さっきの謎の呪文は…くしゃみ? 「ごめんなさい、起こしちゃったわね」 ジョーは無言でフランソワーズを抱き寄せた。さっきまで腕のなかに抱き締めていたのだから、そんなに冷えているわけはない。確かに体は温かい。が、両肩と上腕はすっかり冷えてしまっていた。知らないうちに上掛けがずれていたのだろう。 「フランソワーズ。やっぱり二組あったほうがいいと思うよ?布団」 こんな風に、とフランソワーズがジョーにぴったりくっついた。 「う、うーん。だけどさフランソワーズ」 それって意地悪言ったことになるのだろうか。 「ジョーのばか。嫌い」 ジョーが呆然としていると、爆弾発言をした主は当然のようにジョーの胸に頬を預け眠ってしまった。 「え…」 寝た?あっという間に? ジョーは頭を掻くと、フランソワーズを胸に抱いたまま布団に潜り込んだ。慎重に上掛けを引き寄せフランソワーズがすっぽり隠れるように覆う。自分の肩は外気に晒されるけれど、それはどうでもよかった。 胸に抱いたフランソワーズの温かさ。  
   
       
          
   
         ―2―
         …チュン?
         ジョーが闇にぼんやり浮かぶフランソワーズを眺めていると、再びハクチュンと小さく聞こえた。可愛い子はくしゃみも可愛いなあとしみじみ思っていたが、そういう場合じゃないと体を起こした。
         フランソワーズの剥き出しの肩はいかにも寒そうだ。ジョーが傍らに置いていた予備の毛布を肩に掛けてやると、フランソワーズが顔を上げた。
         「いいよ。…寒い?」
         「ええ。少し」
         「それは嫌」
         「でもさ、風邪ひくよ?」
         「ジョーは私と一緒に寝るのが嫌なの?」
         「そうじゃないよ。ただ、布団って二人が寝るようにはできてないというか」
         「くっついていたら平気よ?」
         「ジョーは嫌なの?」
         「嫌じゃないよ。でも」
         「だったらどうして意地悪言うの?」
         「言ってないよ」
         「お布団二組なんて」
         ジョーは真剣にフランソワーズの心配をしているのである。が、それは伝わっているのかどうか。
         「えっ」
         という事は、今の一連の会話は全部寝惚けていた?
         それは、今までジョーが望んでも得られなかった大事なものに他ならなかった。
