「島村さん」

 


―1―

 

ふたりで住むにあたり表札はどうしようかと私は秘かに思っていたのだけれど、それはけっこうあっさり解決した。
ジョーがどこから持って来たのか、漢字で「島村」と書かれた表札をさっと取り出したのだ。

「あの、ジョー。それどうしたの」
「うん?……表札」

私は入手ルートを質問したつもりだったのだけど。
ジョーは特に何の感慨もなくひょいっとドア横に取り付けるとさっさと部屋に入ってしまった。

私はひとりそれをしみじみと眺めた。

ふつう、同棲ならふたりの名前を表記するものよね?
だったら「アルヌール」もあったほうがいいのじゃないかしら。

首を捻りながら部屋に入ると、ジョーはタタミに座って新聞を読んでいた。

「ジョー?表札のことだけど」
「……」
「島村だけじゃ郵便屋さん困らないかしら」
「……」

ジョーは何も言わない。
だから私は彼の背中にもたれるように座り、体重を預けた。

「ねえ、ジョーったら」

ジョーの背中に体重を乗せていく。ジョーが少しずつ前傾する。

「答えないと潰しちゃうわよ?」
「…………いいんだよ、あれで」
「えっ?」

ポツリと小さな声。

「なあに、聞こえないわ」
「……聞こえてるくせに」

私はぱっとジョーの背中から離れると、彼の顔を覗きこんだ。
いやだ、ジョーったら顔が赤い!

「だから、」

ジョーの目が泳ぐ。

「……いいんだよ、あれで。その、……大家さん、古い考えのひとだし」

古い考え、って?

「それに、外国人が住んでるってわかったら勧誘とかメンドクサイだろ、色々」
「……そういうものかしら」
「ウン。危険だし」
「日本なのに?」
「ひとりの時に誰か来てみろ。きみ、追い返せるかい?」

……追い返さないといけないようなことがあるのかしら?

私が黙ってその件について検討していると、ふわっと抱き締められた。

「――まったく」

危なくてひとりにできないよ――とジョーが呟いた。

 




―2―

 

今日のゆうごはんは何にしようかしら。

私はバイト先のパン屋さんを後にして、スーパーに向かった。
最近、ジョーは仕事がたてこんでいるらしく帰りが遅い。私が今日のような遅番の日でもおそらくまだ帰ってきていないだろう。


「し……さーん!」


たぶん遅くなるよと言っていた日は、お弁当の量を少し多くしているからお腹ぺこぺこで帰ってくるってことはないと思うけど。でもやっぱりお腹を空かせて帰ってくるんだろうなぁ……うーん。何がいいかしら。本当なら、ジョーの好きなものって言いたいところなんだけど。


「しま……さん!」


でもそればっかりだと栄養が偏ってしまうし。
ちょっと思い出し笑いをしてしまう。
だってジョーの好きなものって、甘い卵焼きとかハンバーグとかケチャップたっぷりのミートソースとかオコサマなものばかりなんだもの。それに、基本的になんでも美味しい美味しいって食べるから、本当の好みがいまひとつわかりにくい。もしかしたら味音痴なのかも。


「しまむらさん、ったら!」


やっぱり旬のものがいいわよね。よし、スーパーに行ってから決めよう、っと――


「しまむらさん!!」


肩というか背中をつつかれ、私ははっと立ち止まった。
振り返ると、そこにはバイト先の奥さん。

「え……と」

なんだろう?

「まったくもう、島村さんったら。さっきから呼んでるのに全然気付かないんだもの」

少し息を弾ませて、にこにこと奥さんは続けた。

「忘れ物よ。いつもの売れ残りで悪いんだけど、持ってって」
「え、でも……」
「私と旦那だけじゃ食べきれないし、ラスクにしてもまだ余っちゃうの。助けると思って持ってってくれない?」

手には包み。中身はおそらくフランスパン。

「いつもすみません。いただきます」
「いいのよ。ほんといつも助かってるんだし。あなたが来てから売り上げもいいのよ」
「ありがとうございます」
「明日もよろしくね」
「はい」

後ろ姿に手を振って、頂いたパンをエコバッグに入れる。

奥さんはいつもと言っていたけれど、もちろん売れ残りのパンがいつも存在するわけではない。完売することのほうが多いのだ。実は今日もそうだったのだけど、このパンはいったいどこから出てきたのだろう――?
……きっと、あまり考えてはいけないのかもしれない。
私は奥さんの厚意に甘えることにして、再びスーパーに向かって歩き出した。
せっかくフランスパンがあるのだから、今日は洋風のおかずにしようかな。


――それにしても。


島村さん、かぁ……


なんだか頬が熱くなってくる。

まだ慣れないその呼び名は、いつまでも耳の奥にこだましていた。