―4―

 

「ただいまぁ。――あら?ジョー?」

いないのかしらと訝しそうに部屋に入って来たフランソワーズ。
ジョーはその背後にゆらりと姿を現した。

「あ、いたのね。閉め切っているからてっきり出かけているのかと思ったわ」

暑くないのと首を傾げるその喉元にジョーは視線を向けた。

「――暑くないよ」
「でも……」
「――これからだよ。暑くなるのは」
「えっ?」

底光りする瞳にフランソワーズが気づいた刹那、まるで噛み付くようにジョーが彼女の首筋に顔を埋めた。

「えっ?ちょっ……ジョー?」

戸惑うフランソワーズに構わず、ジョーはそのまま彼女をタタミに押し倒した。

「えっ?なに?なんなの、どうし――イタッ」

首筋を軽く噛まれ、フランソワーズは顔をしかめた。

「ジョー?ねぇったら」

しかしジョーは無言である。無言でフランソワーズの首筋を吸う。

「ん。レッスンで汗かいちゃったしちょっと待って」
「イヤだ」
「まだ昼間よ」
「関係ない」
「でも……ねぇ。いったいどうしちゃったの」

どうもこうもなかった。ジョーはただ欲望のおもむくままにフランソワーズを組み敷いているのだ。昨日今日の関係ではないのだから、フランソワーズももちろんそんなことは先刻承知である。が、それにしてもあまりに唐突だったから、若干の抵抗を試みた。

試みようとした。

が。

なんだかちょっと変である。否、変というより――

――何があったのかしら。

と、フランソワーズを少し冷静にさせた。
もちろんジョーは追撃を緩めるわけではなく、その彼の衝動はますます増していくばかりのようである。
その証拠に彼はフランソワーズを貪るのをやめない。あっという間に彼女のスカートをまくりあげ、胸元を露わにし、今にも本懐を遂げようとしている。ジョーの意のままにあちこちキスされ舐め挙げられ既に衣服はめちゃめちゃである。

「あの、……ジョー?」

おそるおそる尋ねてみるものの、もちろん相手にはされない。だからフランソワーズはフランソワーズなりに答えを見出そうと今現在のジョーの様子を観察してみた。
ジョーは今、フランソワーズとひとつになることしか頭にないようである。それは確かだった。
しかし。
こうして着衣のまま繋がろうというのは珍しい。というより、今までにあっただろうか?
フランソワーズは記憶を引き出しかけ、そんなに回想しているひまはないということに気付いた。


「……フランソワーズっ……」

ジョーが少し身体を離し、荒い息の下から彼女の名を呼んだからだ。
潤んだ瞳。やや悲しげな色が滲んでいるが、真剣な瞳である。長い前髪の下から見えるそれは彼女が良く知っているジョーであった。
これは――この瞳は。

許可を求めている。

こうして性急に身体を合わせようとしているにもかかわらず、いつもの手順を踏もうというのがジョーらしいといえばジョーらしい。

「あの……」

でも、何か変だ。
何がだろうと思いかけ、すぐにわかった。

何しろジョーは、未だに彼女の状態を確かめてはいないのだ。なのに、もう繋がる気まんまんなのだ。
それはいつもの彼らしくはない。

「ジョー。ちょっと待って」
「……無理」
「でも、」

まだ私の準備がと言いかけて、ふと視線を下に移して心底驚いた。
ジョーは既に準備万端だったのだ。すっかり怒張しているそれはいかにも苦しそうだ。

「え……と」

何度も言うが、ふたりとも着衣のままである。そしてジョーはずっとフランソワーズを貪ることに夢中だったはずだ。両手は彼女の手首を掴んで自由を奪っていた。にもかかわらず、彼のジーンズはボタンがはずれジッパーがおろされ今にも脱げそうな状態になっているのである。

この早業はいったいなに?

性急なのにもほどがあるでしょうと思ったけれど、ジョーが苦しそうに唸ったので彼に視線を戻した。


「……フランソワーズっ……いい?」


いいも何も。
いったい何が彼をそうさせているのだろう?
彼は自分を好きなようにしているのに、どこか悲しそうなのはそのせいなのだろうか。

フランソワーズは今にもどうにかなってしまいそうに張り詰めている彼をじっと見つめ、その頬にそっと手を伸ばした。彼女の手首を掴んでいたジョーのちからは既に緩んでいた。


「ジョー」


いったいどうしたの。何があったの。

そう訊きたかった。

が。

――きっと、今そんなことを訊いてはいけないんだわ。

なぜかそう確信した。
だからジョーの瞳を捉えたまま、フランソワーズは微笑んだ。

「……苦しいの?」
「うん……」
「どうかなっちゃいそう?」
「……うん……」

その縋るような瞳が切なくて、フランソワーズは彼の頬を指先で撫でた。

「わかったわ」
「……じゃあ、」
「でも待って」

指先を彼の唇に触れる。

「先にキスしてくれなくちゃイヤ」
「えっ……」
「先にキスして」
「……」


断固とした、でも優しく言うフランソワーズにジョーはちょっと我に返った。
そう、いつもならたくさんのキスを彼女に送る。

なのに今日は。

ジョーはちょっと笑うと小さくごめんと言った。
少し反省しつつフランソワーズと唇を合わせた――が、彼女の唇がいまさっきアイスを食べたばかりと主張するように冷たかったから、やっぱりジョーは性急にことを進めてしまった。
彼女の唇の冷たさが、自分と彼女だけの親密さだったはずのものをそうではないと拒絶しているように感じたのだ。そんなことはない、そんなはずはない――と胸の裡で繰り返し、何度も何度も彼女を揺らした。

フランソワーズの唇が自分の温度と同じになるまで。

 


―5―

 

「もうっ……バッカじゃない」


嵐のような行為のあと、いったい今日はどうしたのとフランソワーズに尋ねられたジョーは素直に答えていた。きみが他の男とアイスを半分こして食べていたから……と。
それに対する答えが今の声だった。

フランソワーズが体を起こし身繕いする。

「私は一生、ジョーとしか一緒にアイスを食べちゃダメなんですか」

いつもなら、そんなことないよゴメンと謝ってしまうジョーである。が、今日の彼はいつもと違っていた。

「その通り」

憮然としてそう答えたのだった。
全く反省していない偉そうなその態度に、フランソワーズは驚いて彼を見つめた。およそジョーらしくない。
なんなの今日はいったい――と口にしかけたが、ジョーが続けて言ったので黙った。

「きみは一生僕としかアイスを食べてはいけない」
「……なによそれ」
「誓って」
「ええっ?」
「そうじゃないと今日みたいなことになるよ。いいの?」

なんなのだ、今日のジョーは。
大体、アイスひとつで何をむきになっているのだろう。

「それは……困るわ。服がくしゃくしゃだし。心の準備だって……」

とはいっても、性急に求めてくるジョーが嫌いなわけではない。どちらかと言えば、ほんのちょっと好ましい。が、だからといって頻繁にこうなるのは迷惑だった。

「だったら誓って」
「誓う、って……」

これから先の人生、ジョーとしかアイスを食べません。って?

誓う?

……変なの。

大袈裟なわりには小さな話である。
しかし、ジョーの瞳は真剣だった。
いったいどうして彼はそんなにこの件にこだわっているのだろう。彼にとって、アイスを半分こして食べるという行為はそんなに重大なことだったのだろうか。

――彼にとって、重大な……こと?

はっとした。

ジョーが何にこだわっているのか、何をそんなに重要視しているのか。


「もう……バカね。ジョーったら」

バカと言われて憮然としている彼の首筋に腕を回す。

「わかったわ。誓うわ。誓います。私はジョー以外の誰ともアイスは半分こしません。これから一生っ」

だって。

あの夜、一大決心のように提案してきたジョー。
それが彼にとってそんなに重要なことだったなんて知らなかった。
そして、自分がその提案を受け容れたことがそんなに嬉しかったなんて思わなかった。
自分にとっては、ジョーとの間にタブーは無い。ただそれだけのことだったのに。

大好きなジョー。

そんな彼との距離がまた少し縮まったあの夜。
それら全てを大事に大切に思う彼がとてもとても愛おしかった。

「ジョーも誓ってくれる?」
「もちろん」

誓うよと耳元で囁いて。

そうしてキスをかわして見つめ合った。


ん?


うん?


ねえ、なんだかこれって……


一生、誓うよ、って……


ふたりの頭に何かがよぎったけれど、どちらも口にしなかった。