次のレースでワールドチャンピオンが決まる。
これは、そんなレースを控えたある夜だった。
「ねえ、フランソワーズ」
「なあに?」
星空を眺めながら、僕はふと思いついた疑問を口にしていた。
「・・・次のレースに勝ったら、僕はワールドチャンプだ」
「そうね」
「でも・・・勝つ自信が無いと言ったら?」
「え?」
隣のフランソワーズが訝しそうにこちらを向いた。僕もフランソワーズをまっすぐ見る。
「今まで連勝してきたけれど、ここのところはずっと表彰台を逃している。とても・・・勝つ自信がない」
「ジョー」
「でも、勝利を期待されている。チームのみんなも一丸となって頑張ってくれている。だから、それに応えたい。
でも・・・勝てる気がしない。こんな辛いことってないよ」
「・・・」
「どうしたらいい?フランソワーズ」
フランソワーズは僕の目をじっと見たまま考え込んでいるようだった。
きみは何て答える?
どんな結論を出す?
辛いならやめて、一緒に逃げよう――そう、言ってくれるのだろうか。
「――何を言ってるの、ジョー」
途端、背中をばしんと叩かれた。手加減なしだったから、僕は思いっきり咳き込んだ。
「なっ、なんだよ突然っ・・・」
「だって、あんまりばかなんだもの」
「なんだよばかって」
「ばかはばかよ」
「ばかばか言うなよ」
「いいえ、言います。戦う前から放棄するなんて、ジョーらしくないもの。いい?」
フランソワーズはまなじりを決して僕に詰め寄った。
「どうして勝てないって決めてかかるの?挑戦してもいないのに。ジョーってそんなに意気地なしだったかしら」
「意気地なしだって?僕が?」
「そうよ。私の知ってるジョーは、絶対に逃げたりしない。望みがあるならそれを捨てたりしないわ」
「たまには弱気になることだってあるさ。それを優しく慰めてくれるのが恋人なんじゃないのか」
「違うわよ、もうっ、ばかね」
フランソワーズは処置なしといったように、つんと横を向いた。
「ジョーは弱気になんかなってないもの」
「そんなことないよ。いつだって怖いさ」
「嘘ばっかり」
「・・・そういわれたら、これから先、きみには何にも言えなくなってしまう」
「だから、そういうことじゃないのよ、わからないの、ジョー」
いらいらとフランソワーズはバルコニーの手すりを指先で叩く。
「そうじゃないの。そうじゃなくて――だって、勝てるかもしれないじゃない。どうして勝てないかもしれないということが前提なの?
やってみなければわからないじゃない」
「でも・・・勝てないかもしれない」
「だから!全力を出して勝てなかったなら、誰も責めないわってこと。それともあなた、全力を出さないつもり?」
「そんなことないよ」
「そうでしょう?だったら、逃げることないじゃない。勝てなくても、全力を出したあなたを誰も責めないわ。
そんなひとがいたら、私がぶっ飛ばしてあげる」
「・・・怖いな」
「そうよ。怖いでしょう?だから、いい?戦う前から諦めるようなことは言わないで」
「・・・でも」
「だって、レースに出なかったら負けないかもしれないけれど、絶対に勝てないのよ?」
確かに、フランソワーズの言う通りだった。
レース前の怖さは誰もが持っている。でもそれに負けたら、それこそ勝利はないのだ。
「それに、勝てなかったら何かまずいことでもあるの?死んじゃうの?そんなわけないでしょう」
「・・・うん」
「レースに向き合うのもあなたの責任。それを果たさず逃げるなんて最低よ」
逃げるのは最低――
「それにね、私。思うんだけど」
フランソワーズが僕を見上げてふっと笑った。
「あなたは負ける気がしないんだけど、どうしてかしら」
黒い瞳の女性は、一緒に逃げようと言った。
蒼い瞳の女性は、一緒に立ち向かおうと言った。
どちらが正しいのか僕にはわからない。
でも
勇気をくれたのは――
その年、僕はワールドチャンプになった。