「難しいけど簡単」

 

 

好き

って口にするのって難しい。

それ自体は簡単な言葉。難しいのは、それを言う場所だったり、タイミングだったり。
いったい、いつ言えばいいんだろう?
気持ちが溢れそうになった時?
あるいは、いつでもいいのだろうか。

そんなことを考えていた初恋のとき。
結局、好きと言うどころか遠くで見つめるだけだった。

それから何度か恋をして。それなりに、好きと言えるようになっていた。自然に。

だから、今度もさらりと自然に言ってしまおう。
言えるだろうと思っていた。


「ジョー、あの」

「うん?」


褐色の瞳がきょとんとこちらを見る。
私は胸が詰まって、ただ彼の瞳を見つめるだけ。


「どうかした?フランソワーズ」

「ええ、あの」


ジョーが微かに笑む。促すように待っている。


「・・・あのね。ジョー。わたし」

「うん」


胸が詰まる。
そんな目で見ないで。


「・・・わたし、」

あなたが好き。

って、言うだけなのに。
伝えたいのに。

胸が詰まって声が出ない。
言いたいのに。伝えたいのに。


「うん。僕も」


えっ?

私、何も言ってない。


「・・・わかるよ」


ジョーの指がおでこをつつく。


「フランソワーズはわからない?」


・・・ジョーの気持ち。言いたいこと。伝えたいこと。


「・・・ううん。わかるわ」


ジョーが何を私に伝えたいのか。
言葉にしなくてもわかる。伝わってくる。

私は彼の瞳を見る。彼も私の目を見つめる。

 

***

 

「お前ら、邪魔」
「いつでもどこでも見つめ合うのもいい加減にしろ」
「よく飽きないなあ」

私とジョーは脇に寄ってみんなを通すドルフィン号の中。

「飽きないよ。ね?フランソワーズ」
「飽きるわけないわ。ね?ジョー」

飽きなくて、ちゃんと伝わる。そんな相手。

でもね。
やっぱり言ってもいいかしら。
一日一回は言いたいの。
ちゃんと伝えたいの。

「す」

ジョーが顔を寄せる。

「わかってるって言ったろ?」

優しい褐色の瞳。低くて甘い声が耳元で囁く。
そうして私たちはお互いの気持ちを言葉以外の方法で伝えあう。


大好きよ。ジョー。


・・・大好き。

 

 


 

 

好きだよ。


って言うのは、やっぱり照れる。
大体、日本人には以心伝心という言葉があるくらいなんだから、言わなくてもいいようにできているんだ。

僕はそう思っていた。の、だけど。
だからって、女の子にその言葉を言わせて平気かというとそうではない。
それはまた別の話であって、つまりその、女の子に言わせるくらいなら自分が言うべきだろうということ。

照れるから、って、彼女に言わせていいわけがない。

 

「フランソワーズ」


何か言おうとしている彼女のおでこをつつく。
何かを言いたくて、でも言い出せなくて、切羽詰まっているような瞳。
顔を見ればわかる。何を言おうとしているのか。


「・・・わかっているから」


何をわかっているというのだろう。
かっこつけてこんな台詞を吐く自分はかなり恥ずかしいのだけれども。

見つめてくる蒼い瞳。
僕はこの瞳を曇らせたくはない。どんなことがあっても。


「わかるから。大丈夫」

とはいえ、彼女のほうは僕の気持ちをわかってくれているのだろうか。

「僕も君が」


好きだよ。

と、それこそ清水の舞台から飛び下りる気持ちで言おうとしたのに。
僕の唇は言葉を発する前に塞がれてしまった。
だから僕は、言葉以外の方法で彼女に伝える。


好きだよ。


大好きだよ。フランソワーズ・・・

 

 

***

 

 

『全く、君達は一日何回キスすれば足りるんだい?』

 

脳裏に流れこんでくる声に僕たちは瞬時に離れた。
フランソワーズをかばうように僕の背に回す。

イワンはクーハンごとゆらゆらと漂っていた。目が覚めたらしい。
僕は油断なく身構えた。なにしろ僕と彼は永遠のライバルなのだから。
しかも、彼には必殺技がある。


『お腹空いちゃった』


出た。
これが出ると、フランソワーズは彼の元へ行ってしまうのだ。何があっても。

今回もやはりそうだった。

僕の背から駆け出したフランソワーズは彼を抱いてキッチンに向かった。
既に僕は眼中にない。

通り過ぎざまにイワンがにやりと笑ったような気がした。
そして、脳にぴりっとショックウェーブ。

・・・アイツっ・・・。

僕は痛みに顔をしかめたが、既に彼と彼女の後ろ姿しか見えなかった。


だけどイワン。残念ながら、彼女は僕のなんだ。
いくら君でもこれだけは譲れない。