「イタイひと」
「レーサーの島村ジョーだっけ?大した事ないよな」 そのひとことに女性陣は沈黙した。 「チャンピオンっていったって、この間は3位だろ?実力なんてないくせにいい気になって」 さすがに隣席の友人がたしなめた。 「おい、酔ってんのか?――ごめんね、こいつの実家、レーシングスクールをやっててさ、こいつも昔ドライバーだったんだ」 へえ・・・と女性陣が頷くと、それに気を良くしたのか更に言葉を継いだ。 「だからわかるんだよ、あいつは大した事ない、ってな」 「あなた、彼のファンなのね?」 遮るようにかけられた言葉に、言われた本人を含め全員が声を発した人物を見つめた。 「別に俺はファンってわけじゃ・・・」 そう言って、フランソワーズはにっこり笑った。 男女同数の会食の席である。世間一般には「合コン」という名称で通っている、見知らぬ男女の出会いの場のひとつである。 しかし。 その場で「島村ジョー」の悪口を聞くことになるとは。 「別に詳しくなんか――」 駄目押しの笑顔に相手は沈黙した。 気まずい雰囲気が漂うなか、黙々と食事だけを続けるその空気は、今夜の合コンが失敗に終わった事を告げていた。 *** 「――と、いうことがあったのよ。ねっ?そのひと絶対、ジョーのファンだと思わない?」 電話の向こうから聞こえてくるその声は、耳に心地良いものであったが、話の内容は全く心地良くはなく、先刻からジョーは眉間に皺を寄せたままだった。 「――楽しそうだね」 「・・・そうかな」 しかしどう考えても、合コンなるものを楽しんできたとしか思えず、ジョーは小さくため息をついた。 「あのさ、フランソワーズ」 「合コンなんかに行ったこと」 確かにフランソワーズの言う通り、彼女は進んで出席したわけではなかった。しかも、数度に渡り断っているのだ。 「でも、気に入らない」 そう。深い理由はないのだ。 「ジョーったら」 くすくす笑いが伝わってくる。 「ヤキモチやきね?」 それとこれとは別だった。 「信じてるよ。でも、嫌だ」 もし今一緒に居るのなら。彼女を膝に抱き上げて、胸に抱き締めて聞いただろう。何の不満もなく。 「・・・ジョーったら」 そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、フランソワーズは言いにくそうに続けた。 「でも――ごめんなさい」 ごめんなさい? 一体何を謝るんだ――と、ベッドに寝転がって電話をしていたジョーは跳ね起きた。 「失敗しちゃったの」 失敗? まさか。 「まさか、フランソワーズ――」 *** 気まずい空気のなか、食後のコーヒーも済んで散会となった。 「わぁ。良かったじゃない。――もお、いつの間に?」 やな奴とは、さっきジョーの悪口を言った男のことである。 「気にしてないわ。大丈夫」 そこへ、会計をすませて店を出てきた男性陣が合流した。 「さっきはすまなかったね」 やな奴がフランソワーズを見つけ、そばへやって来た。 「きみが島村ジョーのファンだなんて知らなかったものだから」 それじゃ――と帰ろうとしたフランソワーズは腕を掴まれ驚いた。 「あの」 冗談ではない。 「困ります。門限が」 強引に肩を抱こうとした男の腕を思わず捻り上げていた。 「いててて、――わかったよ。ったく、乱暴だなぁ。顔に似合わず」 にやりと笑う。 「じゃあさ、きみの好きな島村ジョーの話でもしない?色々と裏話を知ってるし、興味あるだろ?」 オンナ関係。 その言葉にかちんときたフランソワーズは、つい言ってしまったのだった。 *** 「――は?」 ジョーは一瞬、耳を疑った。 「悪い。よく聞こえなかった」 電話の向こうはしばしの沈黙のあと、小さく言った。 「・・・ほんとは聞こえたくせに」 「もう。何度も言うことじゃないのに」 *** 「そんなの興味ないわ!だって、ジョーのオンナは私だもの!!」 夜の繁華街である。人通りもそこそこある通りで突然そんな宣言をした友人を、バレエの友人たちは驚愕の目で見つめた。 「ちょ、フランソワーズ、何言って――」 わっとフランソワーズを囲み、誰か聞いていないかと辺りを見回した。 「『今夜は離さないよ』って言われたのも私なんだからっ!ジョーに他のひとなんていないの!オンナ関係なんてあってたまるもんですか!訂正しなさいよっ」 慌てたように、フランソワーズの口を塞ぎ羽交い絞めにする。 「いったいどうしたっていうの?内緒なんでしょーが」 そうしてどう収拾がつけられたのかというと。 「この子はね、島村ジョーの熱狂的ファンだから、多少イタイことを言うことがあるの。――虚言癖があるのよ。だから、あんまり刺激しないで、――ね?」 *** 「イタイことっ・・・・虚言癖っ・・・・」 電話の向こうで悶絶しているジョーの姿を想像し、フランソワーズは頬を膨らませた。 「もうっ。そんなに笑わなくてもいいじゃない」 会話にならない。 「・・・まぁ、いいじゃないか、結局」 苦しそうに息をしながら、まだ笑いの残る声でジョーが言った。 「――結局、それで落ち着いたんだろ?その――相手も、イタイ人とは付き合いたくなかった、と」 自分の言葉に再び爆笑するジョー。 「・・・悪かったわね。イタイ人で」 彼が息を整えるまで待った。 「――そんな訳だから、ジョーは何にも心配することないのよ?」 そもそもの話題に戻る。 「あ、ああ。そのようだな――って、コラ。ごまかされないぞ」 とはいえ。 自分以外の男に会ったりするな――と言うのは、憚られた。自分が嫉妬深い男であり、独占欲の塊なのだと彼女に伝えるのは抵抗がある。 「――もう行くなよ」 「行かないわよ。・・・行きたくたって、もう誰も誘わないわよ」
2008.10.30初出「子供部屋」
気遣わしそうにちらちらとフランソワーズを見つめて。
が、目の前の男性は女性陣の空気に全く気付かず、更に続けた。
「おい、そこらへんにしておけよ」
「フン。大体、途中にブランクがあるくせに、さっさとシートを獲得できたなんて話がうますぎる。コネがあったとしか思えない」
「レースの話はもういいだろ。みんな退屈してるじゃないか」
「レーサーのくせに、芸能人みたいにテレビに出たりしてさ。レースに対する気持ちなんて、これっぽっちも――」
「あら。だって随分詳しいんですもの。毎回レースを観ているとしか思えないわ」
予定していた子が来られなくなって困っている――と、人数合わせに誘われたフランソワーズは、最初は固辞したものの、出席する友人のひとりが秘かに思いを寄せている相手が来るので中止にしたくないという事情を聞き、仕方なく承諾したのだった。
女性陣は全員、バレエ教室の友人だったから、フランソワーズがF1レーサー・島村ジョーの恋人であるということを知っている。
だから、あまりに不用意に発せられた言葉に全員が固まってしまっていた。
「そうかしら?」
「楽しくなかったわよ?」
だってあなたの悪口を聞かされたのよ――とやや不機嫌な様子。
「なあに?」
「そろそろ怒ってもいいかな」
「怒る?何を?」
私、何か悪いことをしたかしら・・・と、小さく聞こえてくる。
「どうして?人数合わせで出席しただけよ?」
「ウン。それはわかっているけど」
それを押し切られたのは、ひとえに友人を思う彼女の優しい気持ちからであり、合コンで新たな出会いを求めようなどという意志も意図もあるはずがなかった。それは十分わかっていた。が。
ただ、自分の知らない所で、彼女が見知らぬ男と会い、食事をしたという事実が単純に嫌だった。
毎日声を聞かせてとは言ったけれど、こういう内容なら聞きたくなかった。が、内緒にされるよりはマシだと思い直す。何の屈託もなくあっけらかんと自分に話すということは、何ら後ろ暗いところがないという証明だった。
「悪かったな」
「だって、妬く必要ないのに」
「あるよ」
「ないわよ。・・・もう。私のこと信じてないの?」
信じてるか信じてないかと言われれば、それはもう信じているのに決まっている。
が、今の話のポイントはそれではなくて、フランソワーズが自分のいない所で他の男に紹介されたという事が問題なのだった。
しかし、ここは日本から随分離れた違う国である。
自分はいま、彼女の笑顔を見ることもできなければ、触れることもできないというのに、自分以外のどこかの男が何の苦労もなく彼女の笑顔を見たということは、なんとも受け容れ難かった。
とはいえ、そんな小さい事にも妬いている自分が何て嫉妬深い男なのだろうとも思い、何とも複雑な気分だった。
この話の流れで「ごめんなさい」ということは、まさか――
幾分ほっとした雰囲気になり、店を出たところで、意中の彼とお茶をしに行くことになったと友人は頬を染めてフランソワーズに報告した。
「えへへ。今日、一緒に来てくれたフランソワーズのおかげよ。ありがとう」
「私は何にもしてないわ」
「ううん。それに・・・やな奴に会わせてごめんね」
「気にしてません。あなたも彼のファンみたいだし」
「別にファンなんかじゃないけどさ、レースはとりあえず観るからね」
「もう少しレースの話でもしない?きみ、詳しいみたいだしさ。もう一軒行こうよ」
「ちゃんと送るよ。――この先にいい店があるんだ。二人で行こうよ」
「行きません」
「つれないなぁ」
特にオンナ関係とかさ、とにやにや笑いを顔に張り付かせ言う。
「聞こえなかったよ。もう一回言って」
「・・・意地悪」
「意地悪、って」
本当に聞こえなかったんだよ――と続ける。
「そんなのこんなとこで言っちゃだめでしょ」
が、幸いにも誰もこちらに注意を払ってはおらず、雑踏はただ流れてゆくだけだった。
しかし、そんな女性陣の心配をよそに、フランソワーズは頬を紅潮させて更に言うのだった。
「――フランソワーズっ」
「だって、酷いのよ、ジョーのこと――」
「言わせておけばいいじゃない。もう・・・あなた酔ってるのね?」
「酔ってない」
「いいから。酔ってるってことにしてて!」
「っ、・・・・腹いてー・・・・・」
「いや、いいよ、・・・・・・・イタイ人っ・・・・」
「ジョー。笑いすぎ」
が、このまま「ま、いいか」で済ましてしまう気にもならなかった。
何故なら、今後もこのように、彼女が押し切られて合コンなるものに行ってしまうことがあるかもしれないのだ。
「イタイ人だもんな」
「・・・うるさいわよ、ジョー」
「ま、しばらくイタイ人でもいいんじゃない?きみは僕のオンナなんだろ?」
「・・・イタイ人がいいなんて物好きね?」
「そ。僕は物好きなんだ」