新ゼロ「嫌い!」

 

 

 

「嫌い!」

 

ジョーは呆然とフランソワーズを見た。
いったい何がどうしたのか、わけがわからない。

「え、と…」

なんだか喉が詰まって声もうまく出てこない。
防護服の首元に手をあてマフラーを直した。まるで物理的に喉が詰まったせいかのように。
でもそうではない。明らかに心理的ショックによるものだ。

「ど…」

どうしたんだい?

と訊きたいけれど全く声が出てこない。出てこないのに咳が出てむせこんだ。涙が滲んで視界が曇る。
今立っているのが寒風吹きすさぶ崖っぷちなせいだろうか。そして崖を背にしてフランソワーズと相対しているせいだろうか。あるいは、マフラーが風をうけて膨らみ、今にも持っていかれそうになっているせいかもしれなかった。

そんな状況でジョーは孤立無援である。
唯一の味方であるはずのフランソワーズにも嫌われた。もう活路はない。

「――裏切り者の島村ジョー」

フランソワーズが言う。通常の彼女の声より数段低い。見つめる瞳の蒼は変わらないのにその視線は冷たい。

――彼女はフランソワーズではない。

どんなに似ていても違うのだ。
わかっているのに、彼女の声で彼女の姿で嫌いと言われるとダメージを受けてしまう。
それは自身でもどうにもならないことであった。

「もう逃げられない」

逃げるつもりはない――フランソワーズを取り戻すまでは。

とはいえ、この窮地を脱出し形勢逆転するプランなどないジョーだった。

 

 

***

 

 

「ジョー、伏せてっ」


え、伏せる?

ここは崖っぷちなのだ。

伏せる。って、どうやって?

とジョーの頭の中が疑問符だらけになったのと、目の前の偽フランソワーズが倒れたのが同時だった。

「ふ、ふらんそわ…」

偽フランソワーズとわかっていても、目を見開いて崩れてゆくのに反応し動揺してしまう。目頭が熱くなる。
背後から撃たれたのだ。おそらく致命傷だろう。

「フランソワーズっ」
「ジョー、大丈夫?」

駆け寄ろうとしたのを止めたのは本物のフランソワーズの声だったから、間一髪だった。そうでなかったら偽フランソワーズにすがって泣いていただろう。

「う、うん。だいじょう…」

しかしジョーは目を見張った。
フランソワーズの手にはレイガン。偽フランソワーズを撃ったのはどうみても彼女であった。
いくら偽ものとはいえ、本当にそっくりだった。それなのに背後から撃つとは…

「もう、バカっ」

ジョーの頬が鳴る。

「どうして加速装置を使わなかったのよ!」
「あ」

そうだった。

「忘れてた」

だって相手はフランソワーズたったのだ。偽者だけど。
フランソワーズ相手に加速装置を使って攻撃するなどジョーの頭にはない選択肢である。

「どれだけ心配したと思ってるのよ」
「ごめん」
「偽者に簡単に追い詰められてるんじゃないわよ」
「うん。ごめん」
「ばかっ」

フランソワーズが体当たりみたいに胸に飛び込んでくる。危うく二人で崖からダイブしそうな勢いだ。

「偽者と本物の区別もつかないの?」
「いや、そういうわけじゃ」

が、どうなのだろう?

区別がつかないわけではない。が、偽者だろうがフランソワーズはフランソワーズなのだ。
そしてジョーはフランソワーズが大好きなのである。
だから、嫌いと言われ動揺したのだ。

「区別がつかないジョーなんて嫌いよ」
「えっ…」

一瞬、気が遠くなる。
一日に二度も嫌いと言われた。フランソワーズに。

が、

「なんて、嘘」

マフラーを引き寄せジョーの唇にキスするフランソワーズに、ああやっぱり本物は違うなあと思うジョーだった。

「僕も好きだよ、フランソワーズ」

 

 

が、本当に怖いのはこれからだった。
フランソワーズは物凄く怒っていたのである。

 

 

***

 

 

「で?一体何て言われてあんな場所に追い詰められていたのよ?」


ギルモア邸のジョーの部屋でフランソワーズに詰問されていた。
何しろ、床に正座である。
自分の部屋のはずなのに、部屋の空気が全てフランソワーズに味方をしているようである。

「…本物のフランソワーズを返して欲しければ一緒に来いと」
「その時点で偽者だってわかったのよね?」
「う…ん」
「わからなかったの!?」
「だってそっくりだったし」
「自分で本物のって言ったんでしょ?だったらそのひとは偽者じゃないの!」
「…でもそっくりだったし」
「ジョーは私の区別なんてつかないんだ?」
「だって、どんなだってフランソワーズはフランソワーズだし」

これは愛しすぎるゆえの発言なのだろうけれど、もしかしたら単純に馬鹿なのかもしれない。
フランソワーズにはどちらなのかわからなかった。どちらもありえるし、そう思わせての後者なのかもしれない。

「…もういいわ。でも許したわけじゃないわよ?」
「ええっ」

途端、ジョーの胸にフランソワーズがダイブし、二人一緒に床に倒れこんだ。

「フランソワーズ?」
「今夜は寝かせないから」
「えっ…」

自分の上にフランソワーズが乗っていて、いつになく好戦的な瞳で妖しい事を言う。そんな状況は願ってもないので一瞬嬉しさが胸を満たしたのだけれど。
反対に、そんなフランソワーズは存在しない――と脳の一部が冷静に判断する。

偽者に違いない。

いや

そんなことはない


……はず



混乱して、

「それってどういう意味?」

野暮なことを訊いたと思った時には、フランソワーズは部屋を出て行ったあとだった。
今度こと本当の本気で怒ったに違いない。捨てセリフが

「ジョーのばか、嫌い!」

だったから。
一日に三回も「嫌い」と言われたらこれはもう相当なダメージである。
が、三回目の「嫌い」は追いかけなければならない。

彼女の真っ赤な頬と潤んだ瞳にかけて。