「…の次に、ね」
その記憶はバレエ公演を観た後に突然甦った。 ともかく、数年前の出来事をフランソワーズは思い出していた。 「そうね」 「そうね…」 ――だって、はっきり言わないのって昔からだもの。ちょっとは改善されたとはいえ… あの頃は自分も初心だったわと振り返る。
『素晴らしいバレリーナだと思うよ。――君の次に、ね』
主演が大久保ミナだったせいかもしれない。
場所も同じストレンジャーのなかで。
「いい舞台だったね」
ジョーはすこぶる上機嫌だった。彼女のファンというのはけっこう本当だったのかもしれない。
確かにいい舞台ではあったのでフランソワーズは静かに同意した。
「これからどうする?」
このまま帰るのには勿体無いような、そうでもないような。
「ちょっとドライブしたいわ」
「ヨシ。じゃあどこに行きたい?」
「んー…海と夜景の見える場所」
「ええっ、難しいなあ」
「ジョーの知っているなかで一番綺麗なところ」
「選択を僕に任せるのかい?」
「ええ。センスのみせどころよ?」
ジョーは参ったなと頭を掻いた。が、フランソワーズは助け舟をださなかった。
そう、過去の記憶がちょっとだけ彼女を意地悪にしていたのだ。
なにしろ、はっきり言わないジョーの言葉に「まあジョーったら」などと言って頬を染めていたのだから。
でも今はそんなことはない。今こそリベンジの時なのだ。
「シューマッハって凄いドライバーだよ、実際」 「この前イワンから教えてもらったんだ。良い方法だと思わないかい?」 「オリンピックでのフェンシングの試合は凄かったな」 「あの監督の作品は凄い。どうやったらあんなアイデアがでるんだろう」 「――あのさフランソワーズ」 「なあに?」 「ジョー、どうしたの」 具合でも悪いのだろうかと心配しかけたとき、ゆっくりとジョーが顔を上げた。 「……その、もうちょっと…お手柔らかに頼む…」 照れるよ、と小さく言われ初めて気がついた。 「!」 そして真っ赤に染まって照れているジョーを見て気がついた。 ――じゃあ、あれって………! 「やだわ、私ったら」 急に顔が熱くなった。胸がどきどきする。 「今さら何を」 気がついたらジョーの顔が近くにあった。 唇が近付いた。 「待って、……」 いくぶん強引といえばいえる。でも。 ジョーとするキスが好き。 ……ジョーの次に、ね。
「そうね。私も素敵だと思うわ」
「だろう?」
「ええ。――ジョーの次に、ね」
「…………」
「そうね。イワンって本当に色んなことを知ってるわよね」
「そうだよなぁ。ただの超能力ベビーじゃないね。成長したらきっと凄いぞ」
「そうね。――ジョーの次に、ね」
「…………」
「ええ。優れた反射神経と動体視力よね」
「ほんと凄いよなぁ」
「練習のたまものよね。きっと凄く努力してるんだわ」
「そうだね」
「尊敬しちゃうわ。――ジョーの次に、ね」
「…………」
「ほんと感動したわ。きっと泉のように湧いてでるのね」
「映画はどれも感動的だな」
「ええ。素敵よね。――ジョーの次に、ね」
「…………」
急に車を止めたジョーに、フランソワーズはもう着いたのかしらときょろきょろした。
しかし、海も見えなければ夜景も見えない。
いったいどうしたのかと隣のジョーを見ると、なんとステアリングに突っ伏しているではないか。
「何が?」
「……その、ジョーの次にねを連発されるとさすがに」
ジョーの顔が真っ赤なことに。
自分がけっこうな告白をしていたことに。
今まで、なんて遠まわしなわかりにくい言葉だろうと思っていたけれど自分で言ってみてわかった。
あれは遠まわしなどではなく、意外にストレートな告白だったのだ。
憂いを含んだ褐色の瞳。
そして、赤く染まった頬。
しかし、今や自分も同じくらい赤い頬をしているだろう。