「指先にキス」
指が白くなるほど握り締めても、操縦桿は動かなかった。
額から脂汗が流れ落ちる。
まだ治療の途中だった僕の意識は、ともすれば霞んで向こう側に消えそうだった。
視界が揺れて――見るもの全てがぶれて気持ちが悪い。
指に手に力が入らない。
――駄目か。
泣きたいくらいの悔しく惨めな思いが僕を襲った。
今の僕は――無力だ。
だから、簡単に負の思いに囚われた。
そう――僕は何をしても、――何をしたって、世界に認めてはもらえない。
ここに僕の居場所はない。
その証拠に、ホラ――きみを守ることすらできない。
動かない操縦桿。
力の入らない拳。
――僕は。
***
すっと操縦桿が動いた。僕は力を入れてないのに、いとも簡単に。
依然として操縦桿を握り締めている僕の手の上に白い手が重なっていた。
白くて華奢な――温かい手。
「・・・どうしたいの?」
小さく尋ねられる。
「機首を――南へ」
「わかったわ」
そうして僕の手は、フランソワーズの白い手のサポートを受けてやっと――動いた。
あの時、どうして彼女が僕を手伝ってくれたのか。
僕は昔の思い人を助けるために無理をして――みんなの制止も振り切って、ドルフィン号を動かした。
彼女から見れば、到底納得できることではなかっただろう。
もしも僕なら、彼女が昔の男を助けるために命を落とそうとしているなど耐えられるものではない。
絶対に、許さない。
だけどフランソワーズは。
そんな僕を許し、あまつさえ――サポートしてくれたのだ。
もし逆の立場だったら、僕はそうできただろうか。
無理だ。
彼女が他の男のために危険を冒すなど絶対にさせない。
フランソワーズを男から引き剥がし、ヤツの手の届かないところへ連れて行く。
だけどフランソワーズは。
広くて優しくて温かい心で僕を許し――守ってくれた。
僕の気持ちを。
そして僕が過去の自分にけりをつけるのをじっと待っていてくれた。
もしもあの時、君のサポートがなかったら、僕は――
フランソワーズ。
君はどうしてそんなに温かくて優しいのだろう。――誰に対しても。
そう――きっとあの時、それが僕じゃなくても君は同じようにしたのだろう。
僕だけが特別だというわけではない。
そんな自信はない。
だから。
僕はただ、君を――君に憧れて、憧れて――崇拝するだけの信奉者に成り下がる。
君の慈悲を等しく受ける者のなかのひとりでいい。
そんな中に混じって、ほんのひとかけらでも君の思いを受け取れるのなら。
「フランソワーズ」
ただの崇拝者の僕は、君の手をとりその指先にキスを送る。
それだけが僕に許された行為なのだから。
***
「ジョー。くすぐったいわ。また姫と従者ごっこなの?」
くすくす笑うフランソワーズ。
いいよ。君がそう思うのなら。
だけど本当は「ごっこ」じゃない。
いくら慈悲を受けても、それでもやっぱり僕は「運のいい崇拝者」のひとりに過ぎない。
ちゃんとわかっている。
いくら僕でも、もう――勘違いは、しない。
「いやだわ、ジョー。もうっ・・・何度言ったらわかるの?」
いよいよ笑い声が大きくなって。
そうして僕は抱き締められた。
「あなたは私の王子様なのに」
違う。
「従者なんかじゃないわ。だって、こんなに――お慕いしているのよ、王子様」
僕は王子じゃなくてただの、
「――怖がりで自信をなくしがちな優しい瞳の王子様」
ただの、
「でも、誰よりも私を愛してくれているんでしょう?」
ただの――
「・・・うん」
ただの、君に愛されている男だった。