第34話「あした鳴れ愛の鐘」より 数年後

「in PARIS」

 

フランソワーズの友人の結婚式に二人揃って招待された。
そんなわけで僕は今、フランソワーズと共にパリにいる。

「綺麗だったわね、カトリーヌ」


そう、友人というのはカトリーヌだ。
いつぞやの事件でパリに行ったときフランソワーズに紹介された。
親友だそうだ。
その親友の彼氏が科学者でネオブラックゴーストに誘拐されていた。

それを救出したのが僕たちだった。

だから僕はカトリーヌとその恋人であるフィリップと双方と面識があった。
……おっと、今は「その夫であるフィリップ」が正しいか。

「そうだね」

友人の結婚式の余韻に浸っているのか、隣を歩くフランソワーズはぼうっとしているようだった。
いつもより歩く速度がゆっくりだ。

「色々あったけど…、やっぱり大事な友達だもの」

招待状を貰ったとき、出席するかどうか随分迷っていた。
あの事件以来、故意に疎遠にしてきたフランソワーズだったから。
だから、なぜ招待状が届いたのかも不思議そうだった。

「お祝いできて良かった」
「うん」

彼女らが僕たちがサイボーグであるということを知っている――かどうかはわからない。
ただ、僕とフランソワーズが何かしらの「組織」と戦っていることは漠然と理解しているようだった。
もしかしたらどこかの諜報機関に所属しているのだと思っているのかもしれない。
ともかく、公言しないでいてくれるのは有り難かったのでどちらでも構わなかった。

「でも……これ、私が貰って良かったのかしら」
「いいんじゃない。彼女もそう言ってたし」
「…そうだけど」

フランソワーズが気まずそうに手の中で弄ぶのは花嫁のブーケ。
それは投げられることなくフランソワーズへ手渡しされたのだった。

「――ジョーったら。ひとごとみたいに言ってるけど、これの意味って知ってるの」
「意味?」
「そうよ」

そう言って目の前に差し出された。
意味、ね。
そのくらい僕だって知っているけれど、でも。
いまここでそう言うのは適切ではない。

「一番の仲良しにあげるんだろ?」
「ほらね、やっぱり知らないんじゃない」

ふいっと視界からブーケが去った。と一緒にフランソワーズが膨れてちょっと早足になった。

――まぁ、いいさ。

僕はのんびりとその後ろを歩く。

 

二次会のパーティの時だった。
カトリーヌとその周囲のひとの会話が耳に入った。

『カトリーヌ、もう踊らないの?』
『ええ。バレエはもうやめたの』
『もったいないわねぇ。また始めればいいのに』
『ええ、でも…ふふ、もうトシね』

暗にバレエをやめた理由を探られているにも関わらず華麗にかわすその姿は見事だった。
しかし、同じくその遣り取りを耳にしたのかフランソワーズの顔が瞬時に曇ったのを僕は見逃さなかった。

以前、フランソワーズから聞いていたのは、自分はカトリーヌと一緒にバレエ学校に通っていたということだ。
だから二人ともバレリーナを目指していたのだろうけれど、二人ともその夢を手放した。
フランソワーズの理由はわかる。が、カトリーヌは?

それをフランソワーズには訊けなかったから、僕はそっとフィリップに尋ねた。
そしてその理由を知り愕然とした。
おそらくフランソワーズも「カトリーヌがバレエをやめた理由」を知っているだろう。
だから故意に彼女と距離を置くようになり、そして――以前、パリに来たときもあんなに泣いたのだ。
僕はあの時、それを知らなかったから、フランソワーズが泣いたのは単純にノスタルジックなものだろうと思っていた。
だから「元の体に戻りたい」というのはイコール「元の生活に戻りたい」ということだろうと思った。
おそらくあの時の僕の慰めの言葉はフランソワーズには何一つ届きはしなかっただろう。きっと随分的外れな言葉だったに違いない。
僕が言うべき言葉は「わかるよ」などではなかったのだ。

フランソワーズの傷は深い。
しかし今日、フィリップは別のことも言っていた。そしておそらくそちらが正解だろう。
そしてその件は、カトリーヌとフィリップにとってはもう過去のことで済んだこと。
どちらももう気にしていない。
あるいは、むしろ二人が知り合うきっかけとなったこと――という位置付けだけかもしれない。
しかしフランソワーズはそれを知らない。カトリーヌと話し合ってはいないからだ。いや、むしろもう触れられたくない話題となっているに違いない。

でも。

あの一瞬、曇った顔を見た僕としては到底放っておけるものではなかった。

 

「ジョーって肝心なところが抜けているのよねえ」


いつの間にかフランソワーズが隣を歩いている。
機嫌は直って――いないようだ。なんだか僕の悪口大会になっている。

「わざとなのか天然なのか未だにわからないわ」
「ん、なんのことだい?」
「そんな不思議そうな顔したって駄目よ。…他の女の子には優しいくせに」
「えっ?」
「聞こえたでしょう」
「――別に他の女の子とフランソワーズを差別したりしてないさ」
「そういう意味じゃないわ」
「じゃあ、どういう…」
「自分の胸に手をあてて考えたら?」
「むう。それでわかるなら苦労しないよ」
「何か言った?」
「…言ってまセン」


セーヌ川のほとり。
夕方というにはもうすっかり遅い時間。

そんななかを僕たちは隣り合って歩く。
周りのひとにはどう見えているのだろうか。

…手くらい繋げばいいだろうか。
いや、フランソワーズの両手は塞がっている。

肩でも抱き寄せるか。
でもそれには僕たちの距離は少し遠いようだった。
もうちょっと――肩が触れ合うくらい近くにいないと、自然に手を回すことはできないだろう。

小さく息をついた。
見るとも無く川面を見る。

僕たちは――ただの「結婚式帰りの知人」同士か。


ちょっと立ち止まった。


「ジョー?どうしたの」

フランソワーズが振り返る。

「うん。少し休憩しないか」
「休憩?」

そんなにたくさん歩いてないのにと言いながらもフランソワーズは僕の隣にやって来た。
並んで欄干から川を見下ろす。

しばし無言の時が流れる。

「ジョー?どうかしたの」

静かにフランソワーズが尋ねてくる。

「……うん。ずっと考えていたんだけど」

――僕はこういう話は苦手だ。うまく伝えられる自信が無い。
けれどフランソワーズは、唐突に話し始めた僕の次の言葉を待っていてくれている。どんな内容なのかもわからないのに。
それに勇気を得て僕は続けた。

「今日、来て良かったと思っているんだよね?」
「えっ。…ええ」
「ちゃんと話したかい、カトリーヌと」
「…ええ」
「本当に?」

表面上は仲の良い友人同士だ。でも実際はわだかまりがある。
それがフランソワーズのほうに一方的にあるということを僕は知っている。

フランソワーズは無言だった。

「前にパリで事件があったよね。その時も僕と一緒にここを歩いた。覚えている?」
「ええ」
「じゃあ、…泣いたことも?」
「…ええ」

ああ、本当に苦手だ。こういうことは。

「あの時、きみは僕にその理由をちゃんとは言わなかった。いや、言ったけれどあれは嘘だったよね?」
「えっ――」
「いや、別に責めてるんじゃないんだ。そうじゃなくて、その…」

早くも言葉に詰まってしまった。
いったい、どうやって伝えたらいいのだろうか。

フランソワーズの顔が曇る。
彼女のなかの屈託がそうさせている。でもそれは。

「……あれは、違うんだフランソワーズ」

結局、僕は言葉を続けられなくて一足飛びに結論に飛びついてしまった。

「違う、ってなんのこと、ジョー。私は」
「いやだから、そうじゃないんだフランソワーズ」

思い出したくないことを思い出したフランソワーズの顔は強張っていた。
でも違う、僕が言いたいのはそれじゃない。

「そうじゃないんだ、フランソワーズ」

ええい、言葉が見つからない。
これ以上、哀しい顔のフランソワーズを見ているのも辛い。
だから僕はフランソワーズを胸に抱き締めていた。

「そうじゃないよ、よく聞いてフランソワーズ」

そう、数年前に僕が彼女に本当に言うべき言葉だったのは。


「君のせいじゃない。君のせいじゃないよ」

 

フィリップはちょっと困ったように僕に話してくれた。

「カトリーヌも言い過ぎたと思うんだけど、でもそれはフランソワーズを心から心配していたからだと理解して欲しい。
確かに、フランソワーズが行方不明になってカトリーヌは必死に捜していた。それこそ寝食を惜しんで、だ。
そして捜している途中、階段から落ちて足に怪我をしたのは事実だ。
でも、怪我自体は大したものじゃなかった。バレエをやめるような大怪我じゃなかったんだ。だから彼女がバレエをやめたのはそのせいじゃない。
そうじゃなくて、彼女自身、すっかり疲れてしまってもう踊るという気力がなくなってしまったんだ。モチベーションが続かなかった。
確かに、それがフランソワーズのせいかどうかと言われれば完全否定はできないだろう。きっかけにはなっているからね。
でも、カトリーヌは復帰しようと思えばできたんだ。だから、彼女が踊るのをやめたのはフランソワーズのせいではない。
もしかしたら僕のせいかもしれないし、ね」

僕と出会ってバレエに対する情熱を失ったのかもしれない、と締めくくって苦笑いしていた。
確かにある意味ではそうかもしれない。
彼女にとって、一緒に夢を目指していたフランソワーズは親友であると共に盟友でもあっただろう。
それがいなくなった。
そして次に現れたのがフィリップだ。
彼が精神的な支えになることによって、カトリーヌは次の夢を見つけたのだろう。
だからバレエに別れを告げた。

それは世間一般的によくあることで、夢なんてものもひとつきりではない。
誰が悪いとか誰かのせいだとかそういうものではないのだ。要は本人が幸せかどうか、それだけなのだから。
だから、今の二人が幸せならそれでいいではないのだろうか。

それに、フランソワーズがカトリーヌの前から姿を消したのは彼女のせいではない。
ブラックゴーストのせいだ。フランソワーズは被害者なのだから。
だから、何も負い目を感じることはないはずだ。

ないはずなのだ。が。

そこがそうではないのがフランソワーズなのだ。
彼女は優しい。だからカトリーヌがそういう目に遭っていたことを知って心を痛めた。
バレエをやめるきっかけとなった怪我も自分のせいだと思っている。
そしてそのせいでカトリーヌを距離を置くようになった。

だけど、そうじゃないんだフランソワーズ。
君のせいじゃない。
バレエをやめると決めたのはカトリーヌ自身だ。

君のせいじゃない。


「君のせいじゃない、フランソワーズ」


全部、ブラックゴーストのせいだ。なにもかも。

 

言葉の足らない僕に、フランソワーズは最初は何を言っているのかわからないといった風だったけれど
ぽつぽつ話す僕の言葉を辛抱強く聞いてくれた。
そして最後には理解して――僕の胸で泣いた。
僕は彼女の涙がおさまるまで胸を貸し、その髪を撫でていた。

いくら君のせいじゃないといったところで早々気が晴れるものでもない。
けれど、僕たちにできることは、もうこういう悲劇が起こらないようにすることだけだ。
即ち、ネオブラックゴーストを倒す。
それしかないのだ。
そしてそれは僕たちがこれから努力すれば可能かもしれないのだ。
だから、僕たち二人の当面の夢はそれなのだろう。
そこから先のことは、それが叶ってからでいい。

「…ジョーって優しいのね」

髪を撫でていたら僕の胸のなかでフランソワーズがそう言った。
もう涙声じゃない。

「優しいかな」
「ええ。…誰にでもそうだけど」

ううむ。ここはどういえばいいのだろうか。

僕が黙っているとフランソワーズはこちらを見上げ可愛く笑った。
あんまり可愛いからキスしたくなったけれど、フランソワーズは何かに気付いて視線を逸らせた。

「あら、大変」
「え?」
「もう。ジョーが急に抱き締めるから、見て。ブーケがつぶれちゃったわ」

フランソワーズが持っていた花嫁のブーケは僕とフランソワーズに挟まれて無惨なことになっていた。

「あーあ。残念。ドライフラワーにしたかったのに」
「…日本まで持って帰るつもりだったのかい」
「もちろんよ。だってこれは」
「うん?」

フランソワーズはちょっと僕を見つめたあと、なんでもないわと小さく言った。

「――せっかくカトリーヌに貰ったけれど、私にはしばらく無縁だわ、やっぱり」

そう明るく言うと、思い切り良くセーヌ川にそれを放り投げた。

「えっ、いいのかいフランソワーズ。せっかく貰ったんだろ」
「ええ」
「だったら」
「いいの、…仲良しなのは変わらないもの」

確かに、一番仲良しなひとにあげるんだろうと言ったのは僕だ。でも。

「ホテルに帰ったら改めて電話するわ――って、やだわ、そんなの迷惑よね。ええと、そうね、」

フランソワーズは自分の言葉に頬を染めると慌てて言った。

「ええと、メールとか手紙とか」

その慌てようが可愛くて、僕はやっぱりキスしてしまった。


「……ジョーったら」
「駄目だった?」
「そんなことないわ」

恥ずかしそうに目を伏せるフランソワーズを抱き締める。
日本だったらこういうことは場所を選ぶけれど、ここはパリだ。僕だって時には大胆になれるさ。

「――さっきのブーケ」
「えっ?」

大胆ついでだ、言ってしまおう。

僕はフランソワーズの耳元に唇をつけた。


「いつか本物を君にあげるよ」
「えっ……」
「いつか、ね」


そう、いつか。

不確定な未来だけど、でもそれはネオブラックゴーストとの闘いの後にあるはずだから。


「――待ってるわ」


フランソワーズは僕にだけ聞こえるように小さく言った。