第34話「あした鳴れ愛の鐘」
  奇跡

もしかしたら、君はここに現れないかもしれない。
このまま、戻って来ないかもしれない。

それは仮定ではなく決定事項だと確信していた。

 

その時僕は、ひとりでセーヌ河の川面を見つめていた。
日暮れ時。
川面には、街灯や星星が乱反射してキラキラと揺れている。
昨日、彼女と一緒に見た情景と似ていた。
もっとも、その時反射していたのは太陽の光だったけれど。

 

あと5分だけ待ってみよう。
その5分が過ぎたら、僕は。
僕は永遠に・・・君の人生から姿を消そう。

 

 

「私たち・・・どう、見えるかしら」

昼過ぎのパリの街。
君が演りたいといっていたバレエ「ジゼル」。その舞台を見た帰り途。
ぶらぶらとセーヌ湖畔を散歩した。
ふと立ち止まり、見るともなく川面を見つめている時に、ためらいがちに君が問うた。

「どう・・・って」
「他の人たちのように、その・・・」
「・・・恋人同士に、見えるかって事?」
君が小さく頷く。
実際、何を今更きくのかと思った。
だって僕達は。
既に恋人同士なのだから。
他人にどう見えようが、それは揺るがない真実。
だから、他人にどう見えるのかなんてどうでもいい事じゃないか。
「・・・見えるだろうね、きっと」
僕がそう答えると、君は途端に真顔になってセーヌ河を見つめた。
「そうよね・・・きっと」

 

僕は気付いていなかった。
いや、本当は前から気付いていた。
僕達が普通の恋人同士とはかなり違っているという事に。
普通の恋人同士には、「二人の未来」がある。
だけど僕達にはそれがない。
「二人の未来」は存在しない。
たまたま、同じようにサイボーグにされた二人が戦場で出会っただけ。
それだけの事。
刹那的な、足元のしっかりしない、不安定な関係。
戦場でなら、お互いを信頼し手を取り合える。
平和を願う、戦いの終わりを願うという未来なら、ある。
けれど。
戦場以外では。

 

元々、出会わなかったはずの二人。
だから、何も生まれない。
夢も。
希望も。
未来も。
生まれも育ちも違う。
育った環境も違う。
ブラックゴーストに改造されなければ、出会わなかった。
僕達の出会いは「ブラックゴーストに改造された」のがきっかけ。
そんな皮肉な事があるだろうか。

 

元の身体に戻りたい。

君はそう言って肩を震わせた。
僕達は何万回、そう叫んだだろうか。
永遠に叶わぬ願い。

わかるよ。

僕はそう言って、泣いている君をただ抱き締めるしかなかった。
戦場以外の僕はこんなにも非力だ。
泣いている君を、どうすることもできない。
ただ抱き締めて、君が笑顔になるのを待っている事しかできない。

 

 

時々、思うことがある。
もし、003がフランソワーズ・アルヌールでなかったら。
もし、009が島村ジョーでなかったら。
運命は違う展開をしたのだろうか。
もし、003が君でなかったら。
僕と恋人になっていただろうか。
もし、009が僕でなかったら。
君はもっと自由だったのかもしれない。

君が003ではなく、フランソワーズ・アルヌールという女の子だったら。
僕達は出会うことは無かった。永遠に。
そして僕も009でなかったら。
やっぱり君と出会うこと無く人生を終えていただろう。

そう思うと、少し嬉しくて少し切ない。
君と出会えた事は嬉しい。
でも、改造されなければ出会うことも無かったと思うと切なくなる。
この二律背反は永遠に断ち切られない。

だから僕達は、普通の恋人同士とは違う。
戦場に居る時が一番似合っている。
だからこそ、君は訊いた。

私たち、どう見えるかしら?

ごめん。
僕は本当にわかっていなかった。
君が言いたかったのは、僕達が他の恋人同士のように「二人の未来を見つめている恋人同士」のように見えるのかどうかという事。
そんな普通の恋人同士であること。
例え表面上でも、そう見えていたらいいなと。
そう言っていたのに、僕は気付いてあげられなかった。

 

 

フランソワーズ。
君はもう、ここに戻ってはいけない。
パリの街は君に過去を思い出させるけれど、温かく受け容れてもくれるはずだ。きっと。
だから、君はここに来てはいけない。
ここ・・・僕が立つ、この同じ場所に。

 

 

5分が経ち、僕は歩き出した。
もう君を待つのはよそう。
君がここに来た時。
僕はここにはいない。

 

「ジョー!!」

空耳かと思った。
振り返ると、君が息を弾ませ駆けてくる。
僕の居る場所へ。
「カトリーヌたち、幸せそうだったわ・・・」
嬉しそうに言う君の瞳に残る涙。
それは惜別の涙だったのだろうか。

無言で歩き出す僕の腕に、するりと自分の腕を絡ませて。
そっと肩に身を寄せる。

それが君の選択。
君はパリの街に背を向けて、戦場へ向かう事を選んだ。
僕と一緒に。

普通の恋人同士と違っていても。
元の身体に戻れなくても。
僕が009で君が003。
僕が僕で、君が君で。
そんな風に出会ったのが奇跡だとしたら。
その奇跡を大切にしたい。
君が003でよかった。
僕が009でよかった。
例え、戦場でしか「同じ未来」を見ることができなくても。