「もう一回、言って」

砂浜を、歩く。
一歩、一歩、確かめるように。
・・・あなたの、のんびりした声。
起きぬけの、くしゃくしゃの髪。
無防備な寝顔。
一足ごとに思い浮かべてみる。
大好きな、あなたのこと。
太陽と雲と、そして海。
まだ砂は熱さを帯びてなくて。
誰の足跡もついて無い砂浜は、まるで独り占めしているようで、とても贅沢な気分。
素足で踏む砂が心地良くて、ステップを踏むみたいに足取りが軽くなる。
気持ちいい。
大きく腕を広げてみる。
抱き締める。大気を。
海からの風を。
立ち止まって見つめる水平線は、蒼く霞んでいた。
前にもこういう日があったような気がする。
あれはどのくらい前のことだったかしら。
月と星と、そして海。漆黒の。
あの時は。
あなたは私の前を黙々と歩いていて。
私はそんなあなたの背中をただずっと見つめていた。
闘いに赴く前の、ほんのひととき。
あの頃は。
あなたと気持ちが通じ合う日がくるなんて、思ってもいなかった。
車を運転するあなたの横顔。
ミルクを作る時の、不器用な手つき。
しょうがないなぁ、って笑う優しい褐色の瞳。
それから
それから・・・
潮風が目に滲みたみたいに視界がぼやけた。
今・・・あなたの姿は、私には見えない。
私の前に、大好きなあなたの背中はない。
足元をさらう波。
寄せては返し、寄せては返し。
その繰り返し。
全ての命は海から生まれた。
母なる海と、そして大地。
その、境界線に立っている。
不思議な感覚。
・・・私たちも、海に還ったら・・・産まれた時の姿に戻っていたらいいのに。
元の身体に。
滲む世界。
ふと、あなたの声が聞こえたような気がして振り返った。
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私をまっすぐ見つめる褐色の瞳。
少し照れているみたいな。
波間の反射が眩しいのか、少しだけ目を細めて。
「いま何て言ったの?」
答えは、無い。
「・・・ね、もう一回、言って」
参ったななんて小さく呟きながら。
息を吸って、・・・でも言えずに黙ってしまうあなた。
ちょっと俯いて。
潮風が、そんなあなたの髪を優しく撫でてゆく。
ごめんね。
意地悪言っただけ。
本当はちゃんと聞こえていたの。
さっきのあなたの言葉。
私を後ろから見守っていてくれるあなたの声。
ふっと視界が揺れた。
あなたの姿が滲んでゆく。
驚いて駆け寄るあなたの手が、そっと頬に当てられる。
・・・温かい。
その温かさと優しさに安心して、私はいまこの瞬間を抱き締める。
同じ時間を生きる事が出来て嬉しい。
あなたとすれ違う人生ではなくて良かった。
たとえ、その代償は大きかったとしても。
あなたが居なければ、私はきっと生きていなかったから。
失ったものを求めて。今の自分を拒んで。そして・・・きっと狂気の世界に逃げていたはずだから。
あなたに出会えて良かった。
もう、お互いの背中を見ながら黙って歩くのはやめようね。
振り返れば、必ずあなたがいてくれるとわかってはいても寂しくなってしまうから。
そう言うと、あなたはそうだね・・・と少し笑った。
それに、今は。
手をつないで一緒に歩けるのだから。
そうして再び歩き出す海岸線。
今度はお互いの手の温もりを確かめながら。
隣に居る、大好きなひとの横顔を見つめながら。