――最後にひとめだけ、009の姿を見たい。
それは見取り図なんて生易しいものではなく、建物全体及びそれに付属する施設という全体像はもちろん、各フロアのそれぞれの部屋やそこにどんな器具があって何人のどんな人がいるのかまでわかった。 …幽体離脱みたいなものだろうか。 自分の尊厳の危機に陥って、自身の感情とか魂がすっぽり抜けて逃亡を図ったのだろうか。 ――だったら、いい。心の入っていない私の身体など、どうでもいいモノに違いない。どんな目に遭ったって、そこには魂が宿っていないのだから、それこそただの機械に違いない。 それより、009だ。 こうして建物全体が透けるように見渡せるなんて、なんて便利なのだろう。
お願い。 ひとめだけでいいから、彼に会わせて。 009は――どこにいる?
――009は――
――……
………!?
―――いない?
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私は無言で医師の腹を蹴った。 「ふ、ふらんそわーずっ、何をっ…」 何を、ですって? 「きみが抵抗したら009は」 ――サイボーグを舐めるな。 私は自分のなかにこんな怒りが生まれる日が来ようとは思いもしなかった。 ――殺してもいいかもしれない。 だって私は兵器なんだし。サイボーグなんだし。 醒めた思いが支配する。 私はまっすぐ医師の方に向かった。医師はまだ倒れたままだ。その腹を蹴る。さらに二度三度。そのくらいしなければ気がすまない。殺すのと比べたらましだろう。 そんなことをしている場合ではないのだ。 ここから無事に逃げること。 それが、敵に攫われたときの私の鉄則。
医師が顔を上げて私を見る。その瞳は期待に満ちていた。 「まさか、もう…?」 だから私は逃げる前にちょっとだけ笑ってみせた。 「ええ。ありがとう先生。この機能、助かります」 私は、今や全て見渡すことのできる建物から脱出するべく部屋のドアに手をかけた。今までどうやっても見つけることのできなかった、白い部屋のドアに。 「待て、003っ。いまどう見えているのか、教えてくれっ」 医師の声が聞こえるが私は振り返らなかった。 もう声は聞こえない。
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009はどこにもいなかった。 誰もつかまってなどいなかったのだ。 全て私を実験に協力させるための嘘。
――あんなに何も見えなかったのに。 シールドが解かれたわけではない。そうではなくて、私はそんなものにはごまかされない目の持ち主になっていたのだった。 皮肉なものだ。
私は外に出ると深呼吸した。
みんなの元に。
建物は意外にも普通の住宅地のなかにあった。 私は住宅地を抜けて公園に出ていた。 ――電話をしよう。そして無事を伝えて、それから… 硬貨もカードも持っていないから、迎えに来てもらわないと私は帰ることができなかった。けれど電話だけはかけることができる。ずうっと昔、ジョーに教わったのだ。タダで電話をかける方法を。 ――繋がった。
電話の向こうで歓声が上がっていた。 あのラボをどうするか――もう目くらましは私には通用しないから攻撃するのは容易だ――は、みんなに任せる。 今は考えたくない。 何も。
受話器を通じて聞こえてくる懐かしい声に耳を傾けながら、私は遠い空を見つめていた。 震える身体を抱き締めながら。
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