ジョーの上に女の人がいる。
全裸で。
両足をジョーの体の脇に置いている。
つまり、跨っている。ジョーの上に。
どうしてこんな光景を見なくてはいけないの?
その女の人は誰。
ジョー。
ひどいわ。
ひどい・・・
***
「フランソワーズ!」
がしっと両膝を掴まれた。
「え・・・」
「大丈夫かい?」
心配そうに見つめる褐色の瞳。
大丈夫か、って、何が?
私の下にジョーがいた。
二人とも裸だった。
どういうこと?
ふと横を見ると、あられもない姿の男女がいた。
――何、これ。
鏡・・・?
壁一面が鏡になっていた。
つまり、先刻の光景は私とジョーの姿であり、ジョーの上にいたのは――私。
「フランソワーズ」
ジョーが身体を起こして私を抱き締める。
「どうしたんだ、いったい」
ジョーの身体は熱くて、汗ばんでいた。
「今日はいつもと全然違う」
ジョーの鼓動が速い。
「――フランソワーズ?」
少し身体を離して、私の顔を覗きこむ。
「何かあった?」
心配してくれるジョーが嬉しい。
「ううん。・・・なんでもないわ」
***
ジョーと会うのは久しぶりだった。
ううん、久しぶりなんて言葉では足りない。
確か最後に会ったのは三ヶ月前。
日本で別れてから、私は公演で忙しかったし、ジョーは日本でやることが沢山あった。
だからこれは、久しぶりの逢瀬で・・・
空港まで迎えに来てくれたジョーのSUVに乗って。
そうして、どういうわけか、途中にあったラブホテルの一室にいた。
たぶん、二人とも離れていた時間が長すぎて、早くお互いを確かめ合いたかったのだろうと思う。
途中、記憶が曖昧ではっきりとは思い出せないけれど。
「フランソワーズ」
ジョーの熱い声が耳元で響く。
「今日のきみ、いつもと違うよ。どうしたんだい?」
「どう、って・・・」
そう言っている間も、ジョーの手は私を確かめるのに余念がない。
「どうもしないわ。いつもと一緒・・・よ?」
「そうかな」
「そうよ」
そう答えつつも、いつもと一緒なんかではないのは自分が一番良く知っていた。
私はジョーを繋ぎとめておきたくて必死だったのだ。
離れている間、彼がどうすごしていたのか私は知らないし、訊くつもりもなかった。
何人の女の人がいるのかなんて、どうでもいい。
ただ、私のことを――また会いたいって思ってくれるなら、何でもしたかった。
気持ちで繋ぎとめておくのが無理なら、せめて私の身体を思い出して欲しかった。
私はジョーを、身体で繋ぎとめておこうとしていたのだ。
――だけど。
ジョーが夢中になればなるほど、
ジョーの身体が、声が、熱くなればなるほど、私の心の中は冷えていった。
身体で繋ぎとめておく、なんて。
こんなの、全然楽しくない。
まるで、――理性のない動物みたいで。
やっぱり、身体も心もすべて――きみが必要だよ、って言って欲しかった。
そんな事、ジョーは一度も言いはしないけれど。
「フランソワーズ」
熱く掠れた声で名を呼ばれ、私は眼を開けた。
間近で見るジョーの瞳。
切なくて、でも私を欲しいって言っているのがわかる、熱い視線。
この目で見つめられるなら、私は何だってするわ。
ジョーの額に浮かぶ汗の粒。
いつもと同じ。
ジョーは激情に流されない。いつも上手に自分を抑えている。
――ねえ。ほかのひとにもそうしているの?
上手に抑制されたジョーの気持ち。
だけど、私には壁一枚隔てているようでジョーが見えない。
こうしてひとつになっても、どこか寂しい。
身体の刺激で感情は高まるけれど、でも、心の奥の深いところは孤独のまま。
抱き締め合っているのに、身体は繋がっているのに、心は繋がっていない。
私にはジョーが見えない。
***
「――フランソワーズ」
何度目かの、いわゆる「愛を交わす」と表現されることをした後、汗ばんだお互いの身体が冷える前。
ジョーが私をしっかり抱き寄せて、髪を撫でながら言う。
「・・・なあに?」
「うん・・・」
いつもと違う、って言うのだろうか。
そう、今日の私はいつもと違うの。
身体であなたを繋ぎとめたい、って身の程もわきまえず思っているのだから。
でも、ジョーにとっては全然どうってことないのに違いない。
彼を満足させることができる人なんて、いくらでもいるだろう。
私が少し頑張って慣れない事をしてみたところで、ジョーにとっては目新しいことでも何でもないのだ。
それとも。
いつもおとなしい私が急に積極的になったのに驚いたのだろうか。
もしかしたら、ジョーは、こんな私を望んではいないのかもしれない。
だから驚いて・・・嫌いになったのかもしれない。
今頃、こんなことに気付くなんて遅すぎる。
冷静になって初めてその危険性に気付くなんて。
もしかしたら、ジョーは今、それを私に伝えようとしているのかもしれない。
思わず身を固くする。
するとジョーの腕が更に私を抱き寄せ、私はジョーの胸にぴったりと押し付けられた。
「今日はいつもと違うよね」
ああ、やっぱり。
ジョーの身体に回した腕をそうっと引っ込める。
するとジョーは更に私を抱く腕に力を込めた。
「どうして?フランソワーズ」
どう、って・・・?
私はそれ以上聞きたくなくて、ジョーの胸を手のひらで押し遣った。
どうしていつもと違うのかなんて言いたくない。
そして、ジョーがそれをどう思ったのかも聞きたくなかった。
「フランソワーズ」
ジョーが片肘をついて半身を起こし、私を逃がさないように彼のなかに捕える。
「僕を見て。フランソワーズ」
怒っている?
ジョーの顔を見られない。
「――フランソワーズ。頼む」
そうっと顎に手がかけられ、ジョーの方を向かされる。
目の前にあるのは、大好きな褐色の瞳。
その瞳が――揺れていた。
「お願いだから。・・・・・いや、・・・」
苦しそうに一言言っては言葉を切る。何か他の言葉を探すかのように。
「・・・クソッ・・・どうして」
言葉を選ばなくてもいいのに。
どうして私に気を遣うの?
気を遣われてしまう仲なのだと知らされるのは悲しかった。
「フランソワーズ」
ジョーの瞳が切なく悲しげに揺れる。
どうしてあなたがこんな目をするの?
まさか、今・・・私に別れを切り出そうとしてる?
聞きたくないとかではなかった。
そうではなくて、たくさん抱き締めあった後の、その余韻も引かないうちに別れを切り出せるジョーが悲しかった。
私はあなたの何?
時々会って、こういうコトをする都合のいい女?
いつもいつも届かない。ジョーの気持ちが見えない。
何度、繰り返し抱き締められても、見えない気持ちは全てを不安にさせ、冷たく突き放すだけだった。
身体だけでもいい、ジョーを私に繋ぎとめておけるのなら。
そんな事は嘘だった。
だって私は、ジョーの身体が欲しいんじゃない。ちゃんと心が入っていなくちゃ嫌。
からっぽの身体なんて要らなかった。
「・・・どうして」
絞り出すような声を聞いて、私は覚悟を決めた。
別れを告げられるために、私は今日日本に帰ってきたのだ。――きっと。
「僕の名前を呼ばないんだ?」
え?
「・・・あの、」
「今日、ここに来てからずっと・・・一度も呼んでくれないよね?いつもは、もっと・・・」
そうして歯を食いしばり黙った。
気まずい沈黙がおりる。
ジョーはしばらくした後、私の上から身体をどかし、隣に仰向けに寝転がった。
右腕を額に乗せて、目を隠す。
「どうしてだよ。まるで、僕じゃなくてもいいみたいじゃないか」
そんな。
そんなこと、あるはずがない。
「誰か別のひとのことでも考えていたのか?」
「そんなはずないでしょう?」
「だけど。・・・だったら、どうして」
「・・・私、あなたの名前を呼んでなかった?」
「うん」
――そう言われればそうだったかもしれない。
何しろ今日は・・・一生懸命で余裕がなかったから。
「一度も?」
「うん」
「・・・ホントに?」
いつもは――それまで名前を呼んでなくても――最後には必ずジョーの名前を呼んでいた。
確かめるみたいに、何度も何度も。
「うん」
少し拗ねたみたいに、腕で顔を隠したままのジョー。
私に名前を呼ばれない事が、とても大事なことみたいに。
私にそれを伝えるのに言葉を選んで。ためらって。何度も言い直して。
「・・・ジョー。こっち向いて」
私はジョーの顔の上にある彼の腕をそっと外した。
褐色の瞳。
じっとこちらを見つめる一組の瞳。
ジョーは何も言わない。
怒っているような、でも悲しそうな・・・苦しいみたいな。不思議な目の色をして。
――そんな顔しないで。
私は心の中で、ずうっとあなたしか呼んでないのに。
今だって、見せられるものなら、心を全部見せてあげたい。
どんなにあなたしかいないかわかってもらえるなら。
「・・・フランソワーズ」
少し掠れた声。
あなたの声に呼ばれるのが好き。
熱く呼ばれるのも、切なく呼ばれるのも、全部好き。
だから、もし・・・
肌を触れ合っている時に一度も呼ばれなかったら、私は悲しくて辛くて胸がつぶれてしまうだろう。
もしかして、ジョーもそうなの?
「・・・ジョー」
私はそうっとジョーの唇にキスをして、彼の肩に頬を寄せた。
「ジョー」
好きよ。
「ジョー」
会いたかった。
「ジョー」
誰よりもあなたが大切。
「・・・フランソワーズ」
いま少しだけあなたの心が見えたような気がする。