「眠り姫」
私はずっと待っていた。 長い永い間、ずっと。 時には片目をそっと開けて。 やっと待っていたひとがやってきたから。
―1―
時には眠ったふりをして。
そうやって観察し、そして待った。
何年も何年も。
でも、それももう終わる。
「ジョー、遅いわよっ」 私はじろりとジョーを睨んだ。 「…そんな設定、無かったと思うけど」 慌ててあらぬほうを向くジョー。 「ただ退治してみたくなっただけなんでしょう?冒険だ、とかいって」 ジョーは何も言わない。 ふふ。 ジョーのてのひら。王子様なのに豆だらけ。戦うことを選んだ王子様。 守られているより自分がみんなを守りたいって自ら前線に出て行くひと。 「ジョーが早く来てくれないから、大変だったのよ」 私はわざと悲しそうに言って目を伏せる。 「眠ったままのお姫様を起こす方法って…大体決まっているんだから」 これも本当。 ――とはいえ。 される側としては忍耐のひとことしかないじゃない。 と。 急にジョーが立ち上がった。 「フランソワーズっ」 いったい何を謝って…って、ああ、今の話ね。 「僕が一番にくるはずだったのに」 そうね。期待していたわ。 「本当にごめん」 そうしてジョーは私のそばで膝を折って、そのままがっくりとうなだれた。 「…ジョー。反省した?」 私はそのままジョーの頭を抱き締めた。
―2―
「悪い悪い、ちょっと竜退治に時間がかかって」
「竜?」
「えっ、そうだった…かな?」
まったくもう、どうしてこのひとは嘘をつくのが下手なのかしら。
これで誤魔化しているつもりなんだから、ほんとうにもう。…なんて可愛いひとなのかしら。
でもそれが答えになっていることにも気付いていない可愛いひと。
私の手をぎゅっと握ったままなのも可愛い。
大将は後ろに控えているのが常なのに。
でもそれで兵士たちの士気が上がって、いつも勝ち戦になる。
ジョーを困らせるの半分、もう半分は本当に大変だったから。
だっておとぎの国の法則なんだから仕方がない。
やってきた王子様が、その…否応なしに試していくとなったら。
ああもう、なんの因果で眠り姫になってしまったのか本当に恨んだわ。
ジョーも竜の退治なんかじゃなくてこんな呪いをかけた魔女を退治してくれたらよかったのに。
「な、なあに?」
「す…すまないっ」
「え?」
別に謝らなくてもいいのに。だってほら、おとぎの国の姫のいわゆる宿命でみんな我慢しているんだし。
私は慌てて周囲を窺った。
だって王子様のこんな姿、他の誰にも見せられない。
人払いをしていたから、周囲には誰もいなかった。少なくとも、見える範囲には。
私はいちおうほっとして、そしてジョーの髪をそうっと撫でた。
「……うん」
「もう遅刻しない?」
「誓うよ」
「何に?」
「きみの瞳の蒼さに」
ジョーのお城までの道程は、竜の背に揺られてだった。 …という話をすんなり最初にしてくれていたら、私だってあんな意地悪をしなかったのに。 「どうかした?」 きょとんとしてる。 「…眠ったままのお姫様を起こす方法の話、よ」 ああもう。 「もうっ。いくらおとぎの国の法則っていったって、お姫様にはちゃんとそれをすり抜けるスキルがあるのよ」 そうじゃなきゃやってられないじゃない。 「心に決めた王子様のキス以外はイヤに決まってるでしょ」 眠っているのにどうやって除けることができるんだと口のなかでぶつぶつ唱えるジョー。 「だからそれは、お姫様のスキルというか」 ああもう、あんまりそれは教えたくないのよ。だって、気に入らない王子様がキスの体制に入ったら思い切り蹴飛ばすとか、そんなの言えるわけないでしょう。いちおうお姫様なんだから。 「と、とにかくっ。私の唇はジョーにしか許してないの、わかった?」 ジョーは満面の笑みで私をぎゅうっと抱き締めた。 もう…ばかなんだから。 「あ。ここは怒るところか」 やっと気付いたのかジョーが笑いをひっこめて真面目な顔で言った。 「うん。でもいいや。怒るより安心したほうが強いし僕が来るのが遅かったのは本当だし」 そしてもう一度、遅れてごめんねと言った。 もう。 ほんとうにもう。 どうしてこのひとって。 もしもただ私を迎えにくるだけだったら、きっとあっという間だっただろう。 もう。 もうもうもう。 不覚にも涙が出てきてしまったので、私はジョーのほうを見ないで空を仰いだ。 なのに。 「あ。泣いてる」 あっさり見つかった。 「なに?どこか痛い?目になにか入った?お腹すいた?それともええと」 王子様らしく問題点はすぐ解決しようとしてくれるけれど、できればそっとしておいて欲しい。 「…嬉しいの」 だから泣いてるの、悪い? するとジョーはちょっと笑って、護衛の兵士に何か言うと竜に翼を開かせた。 ええっ、まさか。 空を飛ぶつもり? 「空なら泣いても見られないだろ?」 …そうだけど。 「それに、空なら完全にふたりっきりだ」 たくさんキスもできるしね、と言う声は竜の羽ばたきに掻き消された。
―3―
竜退治をしたと言っていたけれど、可哀相になって飼うことにしたのだという。
ちなみにその竜は魔女の家にいた竜で、魔法をかけられて悪いことをしていたらしい。
そしてその魔女というのは私に呪いをかけた例の魔女で、どうやらジョーはまず魔女を成敗してきたらしい。
で、何年もかかってしまったというわけ。
ジョーとしては、呪いをかけた魔女をどうにも許せず放っておけなかった。
けれども魔女の棲家がそう簡単にみつかるはずもない。
それで、悪い竜の話を聞きつけ、それが件の魔女の家の竜だと突き止めるのに数年。
その竜を追って魔女の棲家をみつけ、竜を退治するとともに魔女を成敗し、その足でここまで来たという。
私は背後のジョーをちらりと見た。
まっすぐ前を向いて竜の手綱をとっているジョーは視線を感じたのか目をこちらに向けた。
「…嘘よ」
「え、何が」
「さっきの話」
「えっ?」
まったくもう。
「え、でもさっき…」
「だからあれは嘘なのっ」
「嘘って、でも…」
いかにも不可解だ、って顔をして。
「う、うん…えっ、本当に?」
「本当です」
「本当?」
「信じてくれないの?」
「信じるよ、もちろんっ」
なんだそうか、嘘だったんだいやあ良かった良かったって何度も言って。
そんなに嬉しそうに何度も言わなくてもいいじゃない。
ふつうは怒るところでしょう?どうしてそんな嘘ついたんだ、って。
でもそれでは私は眼を覚ましてからも安心できない。
また魔女が呪いをかけにくるかもしれないと怯えながら暮らさなくてはならない。
それを心配して、まず魔女を倒そうと考えたのだろう。
私が安心して暮らせるように。
いちおう姫なんだから、こんな大団円の場面でめそめそ泣くわけにはいかない。
もうっ、だからどうしてこういうことには目聡いの。
さもなくばただ胸をかすとか、抱き締めるとか。
でも待ってもそれはやってこないようだったから、私は覚悟を決めて小さく言った。