フランソワーズはぎゅうっと抱き締めていた手のなかがからっぽになったことに気がついてゆっくりと目を開けました。醜いカエルを至近距離から見るのは耐え難く、しっかりと目をつむっていたのです。
やけくそだったといってもいいかもしれません。
カエルはそこにはいませんでした。
フランソワーズの手のなかはもぬけのからです。
しかし。
「やあ」
ニッコリ笑って立っていたのは、散々探し回った黒衣の王子、魔界王子ジョーではありませんか。
「ジョー!?えっ、カエルは?」
「俺」
「カエルがジョー!?」
「そう」
「!!」
なによそれ!!
散々心配させて、ひとに捜しまわらせておいて!
ごめんのひとこともないの!?
――と思ったけれど、実際にフランソワーズの口から出たのは彼の名前だけでした。
それも、涙と一緒に。
ジョーは無言でフランソワーズをしっかりと抱き締めました。
その胸にフランソワーズの頬をおしつけるようにして髪を撫で、低い声でごめんと何度も繰り返しました。
「――月を消したら、俺は醜いカエルになってしまう呪いがかけられていたんだ。でもそれを君に言うわけにはいかなかった。もちろん、魔界のみんなは知っていたけどね」
だから誰も心配していなかったのです。だってジョー王子はずっとここにいたのですから。
「君がキスしてくれなかったら俺はずっとカエルのままだった」
ジョーがそう言った途端、フランソワーズは顔を上げました。
燃えるような瞳でジョーを睨み付けます。
「嘘ばっかり!」
「嘘じゃないよ」
「いいえ、嘘だわ!私がキスしてもしなくても、いずれカエルから元に戻る予定だったんでしょう!」
「・・・」
「私を試したんでしょう!?ここの世界のひとみんなで!」
ジョーはちょっと天を仰ぐと口の中で小さく言いました。
「・・・それがきまりだから。魔界の」
「知らないっ。酷いわ、魔界だか何だか知らないけどどこまでひとをばかにすれば気が済むの!」
「ばかにしてなんかいないさ。紅い月の呪いも本当だし、大魔女の話だって本当だ」
ただ、自力で元の姿に戻れるかどうかというのを言わなかっただけの話で・・・というジョーの呟きはあっさりフランソワーズに無視されました。
「ばかにしてるわ、だってあなたには私じゃなくても代わりがたくさんいるじゃない」
「――えっ?」
「知らないと思った?まるで恋人のように連れてこられたけれど、所詮は後宮にいれるひとりに過ぎないんでしょう」
「――!」
その瞬間、ジョーはフランソワーズを引き寄せると乱暴に唇を重ねていました。
フランソワーズがもがいて抵抗しても全く気にしません。
そのキスは、人間界でジョーが白雪姫を助けるときにしたキスと同じものでした。
あの時以来、しなかったキスです。フランソワーズがずっと気にしていたあのキスでした。
最初はじたばたしていたフランソワーズもキスが長くなるにつれ、だんだん静かになってゆきました。
どのくらい時間が経ったでしょうか。
もうフランソワーズが文句を言う気がなくなった頃、ジョーはやっとフランソワーズから離れました。
フランソワーズは首から耳まで真っ赤に染まり、ふらりとジョーにもたれかかりました。
「フランソワーズ。ねぇ、信じてくれ。俺にはきみだけだ。後宮なんてものはない」
「――でも。だって」
フランソワーズはジョーにもたれながら、そっとむこうのほうを指差しました。
そう、さきほどたくさんの女性がいたほうを。
しかし。
そこには誰もいませんでした。
あるのは、色とりどりの花畑。
「・・・え?」
向こうを見て、そして問うように自分を見上げたフランソワーズにジョーは気まずそうに笑いました。
「ごめん。これもその――きまりなんだ。魔界の」
いったい何のきまりだというのでしょう。
「その・・・王子が花嫁を連れて来た時――の」
後宮があるという事実をつきつけられて、王子よりもそちらを信じてしまうような姫は要らない。
また、後宮の者たちの意地悪な嘘を真に受けて王子を不実だと思ってしまうような姫は要らない。
このように、幾重ものテストが課せられるきまりとなっているのでした。
魔界王子のパートナーとなる姫は、心の強い者でなくてはならないのです。
そして、何よりも王子自身を深く愛し信じている者でなければ。
「え・・・じゃあ、」
魔界に来てからどこかよそよそしい感じがしたジョーも。
後宮だと言っていた女性たちも。
更には、王子が気に入った姫を連れ帰って後宮に集めているという話も。
全部、嘘だったということでしょうか。
「そう――ごめん。怒った・・・よね?フランソワーズ」
全部のテストをクリアしたフランソワーズですが、ジョーはそんなフランソワーズだからこそ反対に愛想をつかされるのではないかと恐れておりました。
私を試すなんて酷いわ、私のことを信じてないのね――と言われても何も言い返せません。
罵倒されてここを去っていかれても文句を言える筋合いではないのです。
でも、かといってフランソワーズを永遠に失うことなど、考えただけで胸がはりさけそうです。
実際、いまこうして彼女の反応をじっと待っているだけでも死にそうなくらい胸が痛みます。
彼女を騙して試したことは事実なのですから。
ところが。
驚いたことに、フランソワーズはくすくす笑い出したではありませんか。
「ふ、フランソワーズ?」
魔界の王子は情けなくも声が震えました。まったくわけがわかりません。
すると、フランソワーズが拳でジョーの胸を突きました。
「もう。馬鹿ね。言ったでしょう――あなたの嘘なんて全部わかっちゃうんだから、って」
「えっ?」
「変だと思ったわ。――全く」
ジョーが気に入った女性をさらって後宮を作っているなんて、信じるわけないじゃない。そんなにたくさんのひとを一度に愛せるほど器用なひとじゃないし、それに――
「――私、あなたが醜いカエルだったとしても関係ないって思っていたのよ」
まさか本当に醜いカエルになってしまっていただなんて夢にも思っていなかったけれど。
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