「首席と2番目」
    高校三年生ともなれば、そろそろ進路を決めなくてはならない。 島村の前に髪を逆立てた長身の生徒がやってきて何かしら話している。           「――ズルイわ。いったい、いつ勉強しているの?」 委員長は絶句したままだった。           「じゃあ、慣性の法則は?」 見つめ合うふたり。   委員長と不良は――いまはただの恋人同士であった。      
   
       
          
   
         今日渡された模試の結果表を眺め、委員長はため息をついた。
         「フランソワーズ、どうだった?」
         振り返ると、そこには唯一の親しい友人であるフローラがいた。
         「ん・・・ダメ」
         「ダメって――ちょっと見せて」
         委員長が差し出すそれを覗き込み、フローラは目を丸くした。
         「ダメって、どこが?志望校は殆ど合格圏内じゃない。平均点が――86点!」
         「・・・そうなんだけど」
         委員長としては平均90点狙いだったから、全く満足できていなかった。
         「でも、ここを見て」
         指先で校内の席次を示す。
         そこには「2」とプリントされていた。
         「凄いじゃない!」
         「うん。でも・・・」
         曖昧に笑うと、委員長は背後の人物を肩越しに見つめた。
         「1番をとれないんだもの。――アイツのせいで」
         委員長の視線を追って、フローラは息を呑んだ。
         「アイツ、って、島村!?まさか、彼が1番のはずないでしょ!」
         その彼は、窓際の席の一番後ろに座り、頬杖をついてぼんやりと窓の外を眺めている。
         表情は長い前髪に隠されて見えない。
         「だってそうなんだもの」
         委員長は長い髪を揺らして立ち上がった。
         「アイツに勝てないのよ。ずっと2番なの、私」
         「それが信じられないんだけど、でも――もしそうだとしても、2番だって凄い事よ?」
         「・・・だけど私は進学しないから、あまり関係ないんだけどね」
         委員長は卒業後、ロシアへ新体操の勉強のために留学することになっていた。
         現在はロシア語の勉強中である。
         「それが勿体無いのよ。だって確か島村も・・・進学しないのよね?」
         委員長は小さく頷いた。
         「一体、どうするつもりなのかしら」
         フローラの問いには答えない。
         それは、委員長と島村のふたりだけのヒミツであった。
         そして、目の前の模試の結果表を手に取り、うわあおと吠えた。
         「お前っ・・・また首席かよ!」
         振り返るフローラに委員長はほらねと肩を竦めた。
         いつだって彼には勝てない。どんなに勉強しても、彼は平然とトップに立つのだ。
         フェンシング部行きつけのラーメン屋である。
         ジョーは度々助っ人として参加していたからフェンシング部には受けが良く、ここはよく足を運ぶ店だった。ただ、委員長を連れて来たのは初めてだったので、部員は彼らを遠巻きにしてあまり見ないようにしながら耳をそばだてていた。
         「うん?そんなの適当だよ」
         「適当・・・って、そんなんでトップを取るなんて許せないわ!」
         「でも取れちゃうんだから、仕方ないだろう」
         しれっと言ってラーメンをすするジョー。
         その顔を睨みつけてから、委員長は自分のラーメンに口をつけた。
         「・・・ベルヌーイの定理」
         「へ?」
         「だから。ベルヌーイの定理よ。知ってる?」
         「え、あ、うん」
         「知ってるんだ」
         「まあね」
         物理で唯一、委員長がミスした問題だった。
         それができていれば、あるいはもう少し平均点は上がっていたかもしれない。首席には届かないとしても。
         「・・・何でも知ってるのね」
         「知らないこともあるさ」
         「でも知っていたじゃない」
         「常識の範囲だよ、そんなの」
         「常識・・・ですって・・・?」
         委員長はジョーの言うところの常識問題ができなかったのである。
         頬を紅潮させ、柳眉を逆立てて委員長は立ち上がった。
         「私をバカにしてるのね!」
         「してないよ」
         「嘘よ。バカだなあって心の中で笑ってるんだわ!」
         「笑ってないよ」
         平然とラーメンを食べ続ける彼に、委員長はとうとう爆発した。
         「酷いわ!!そうやって、ちゃんと相手もしてくれないなんてっ・・・」
         二人の周りのフェンシング部の面々は、とても口を挟む余裕もなくただぽかんと突然の局地的嵐を見守るばかりである。
         店主だけが鼻歌まじりに調理を続けていた。
         「してるってば」
         「してないわ!ラーメンの方が好きなんじゃない!」
         「うん?」
         ジョーはやっと視線を上げた。が、その口からはラーメンが垂れ下がっている。
         「ちゃんとごっくんしてから話して!」
         「うん――」
         ジョーはラーメンを飲み込むと、箸を置いた。そして水をひとくち飲んで髪をかきあげ、おもむろに
         「ちゃんと聞いてるし、ちゃんと見ているし、ちゃんと好きだよ、フランソワーズ」
         と、言った。
         「なっ・・・そっ・・・」
         「聞こえた?」
         「ほら。これがいわゆるベルヌーイの定理」
         「え?」
         「――まぁ、座れよ」
         呆然としたまま委員長が座ると、ジョーはテーブルに両肘をついてにっこり笑った。
         「エネルギー保存の法則。力学物理の基本中の基本だろ?」
         「――そんなの知ってるわ」
         「じゃあ何でできなかったんだい?」
         「それは・・・」
         応用問題ができなかったのである。
         「怒りのエネルギーも、受け止めるのも、互いにベクトルが同じだから、その輪の中ではエネルギーは保存される。つまり、僕とフランソワーズもそうだっていうことさ」
         「そう、って何が?」
         「ちゃんと好きだっていうことさ。フランソワーズが僕を思うのと同じくらい、僕もちゃんと思っているってこと」
         「もちろんそれも適用される」
         「じゃあ、・・・等加速度運動は?」
         「有り得るね。現に今そうだろ」
         フランソワーズは頬を赤らめた。
         ラーメンそっちのけで物理の理論を展開させるふたり。
         いっけん真面目に勉強しているように見える。が、よく聞くとそれは単なる恋人同士の会話だった。
         「だってそれじゃ・・・ずうっと止まらないじゃない」
         「フランソワーズは止めたいの?」
         「ううん」
         「じゃあ、いいじゃないか」
         にっこり笑むジョー。

「ベルヌーイの定理」はエネルギー保存の法則・・・で、あってますよね・・・?
一昨日ふっと頭に浮かんだのです・・・が、記憶があやふや。
もしも御専門の方がいらしたら、ご教授お願い致します。