「不良と生徒会長」

 


―9―

 

「――では、詳細はこの次に」

「そうしましょう。今日のところはこれで」

散会となった。

それぞれ席を立つ――が、ナインはじっと委員長を見つめたまま動かない。

「…ジョー。どうしたの。帰りましょう」

スリーが小さく呼びかけるが、ナインは動かない。

「あの…?」

見つめられている委員長も戸惑ったように動きを止めた。
戸口のほうからジョーがゆっくりと足音をたてずにこちらに向かってくる。

「ジョー」

スリーは泣きそうな気持ちだった。
こんな風に一心に女性を見つめるナインの姿など、やっぱり見たくはなかったのだ。かといって先に帰るわけにもいかない。先に帰ったらナインは道に迷ってしまう。

「ねぇ、ジョー。帰りましょう」

無理に笑顔を作って言ってみる。が、やはりナインからの返事はなかった。代わりに

「あの、委員長…フランソワーズさん。ちょっとよろしいでしょうか」

ナインが委員長の名を呼んだ。
途端、室内の温度が下がった――ような感じがした。

「え…と、なんでしょう」

立ち上がったナイン。反対に射すくめられたように動けなくなった委員長は椅子に座り込んだ。

「ちょっとお話があるのですが」
「お話…」
「今日このあと時間を作ってもらえますか」
「え、ええと…」

委員長の目がナインの隣のスリーに向けられる。

「手間はとらせません」
「え、と、でも」
「すぐですから」
「あの、でも」
「ちょっと伺いたいことがあるだけですから」
「ええと、でもその」

ナインがずいと体を乗り出した。

「本当にすぐです。その――」

委員長に向けて手を伸ばしたその時。


「お前、いい加減にしろっ」


その手首を掴み捻り挙げたのはジョーであった。


「――またお前か。邪魔しないでくれたまえ」
「いいや、するね。どー見たって嫌がってるじゃねーか。引き際もわからねぇ野郎はみっともないぜ」
「嫌がっているかどうかわからないだろう。それにどう見ても君のほうが彼女は嫌がっているように見えるが?」
「ああん?」
「聞こえなかったかい?」
「…もう一度言ってみろ」
「大体、何の権限があって君は邪魔をするんだい?保護者か何かだというのか?」
「うるさい」
「彼女が誰と話そうが自由だろうが」
「ジョー。やめて」
「僕は彼女に話があるだけで、貴様と話す時間はない。そこを退いてくれたまえ」
「ふん、イヤだと言ったら?」
「ジョー、やめて。私、お話くらいだったら」
「貴様は彼女のなんだと言うんだ?」
「お前こそ嫌がっているのに無理強いするなと言ってるんだ」
「なんだと?」
「なんだ?」

スリーはナインの学生服の裾を掴んだ。
委員長はジョーのシャツの裾を掴み引いた。
が両者とも一歩も引かないのだった。

そして。


「その髪飾りはどこで買ったか訊いたっていいだろう!」

「俺の女に勝手に話しかけんじゃねーっ」


同時に言い放った。

 



―10―

 

「…ねぇ、ジョー」
「うるさい、話しかけるな」
「ねぇ、ちょっと待って」
「フン」

すたすた前を行くナインにスリーは小走りになって、そして言った。

「帰り道はこっちのほうが近いってさっき言ったでしょう」
「…」

方向音痴のナインである。が、道が違うとか間違えているなどとは絶対に口にしないスリーであった。
無言で踵を返しこちらに戻ってくるナインに、だからスリーは別のことを言った。

「同じ名前だったなんてびっくりしたわよね?」

ナインはむっつりと口をつぐんだままである。

「二人ともジョーだなんて、ね?」
「フン。…むかつくから言うな」
「それにフランソワーズっていうのも同じだったのよ。偶然って凄いわよねぇ!」
「…それは、まぁそうだな」


あのあと。
ナインは委員長からカチューシャの詳細を聞いて、これから二人でその店に行くところである。

「でもびっくりしたわ。ジョーが委員長を気にしていたのって、あのカチューシャがどこで売ってるか知りたかったからだなんて」

本当にそれだけの理由なのかどうか、訊く勇気がスリーには無かった。

「誰かにプレゼント?」
「当たり前だ。僕が自分で使うわけないだろうが」
「そうだけど…。…ジョー、お姉さんとか妹さん、いなかったわよね」
「ああ」
「……」

誰にプレゼントするのかも訊けないスリーだった。

「え、と。私が一緒に選んでも本当にいいのかしら」
「自分で立候補したくせに」
「…そうだけど…」

ナインが一人で目的の店に行けるとは思えないスリーである。自分が選んであげるわこういうのは女の子の意見を聞くものよと半ば強引に一緒に行くようにしたのである。が、ナインの思い人への贈り物かと思うとそれはそれで気が重かった。

「好きなのを選んでくれれば助かるよ」
「でも、その、贈る相手の好みっていうのがあるでしょう。私の好きなのを選ぶっていうのはどうかしら」
「いや、大丈夫だ」
「…でも」
「好みは合ってるはずだから」
「…そう…」

妙に自信たっぷりなナインにスリーはますます落ち込んだ。彼の思い人は委員長ではなかったけれど、彼女のカチューシャが似合うだろうと思うくらい常に思っている相手が彼にはいるのだ。

――いっそのこと、変なのを選んでみようかしら。そうすればジョーはきっと嫌われちゃうわ。

そんなことも考えてみたりするが。

…でも、わざとそういうことするのって良くないわよ…ね。
それにジョーってそういう卑怯な行為って嫌いだし。もし私がそうしたのを知ったらきっと私のことも嫌いになっちゃうわ。

それは絶対に避けたいことだった。
彼に思い人がいたとしても、こうして「生徒会役員」として一緒に行動することはできるのだから。
自分のことを好きじゃなくてもいい。彼に思い人がいても――つきあうことになっても――いい。
ただ、嫌われたくはない。

「ずっと思ってたんだ。きっと似合うって」
「…ふうん…そう…」

嬉しそうに誰かの話をするナイン。
一緒に行動することはできるからそれでいいと思ってはみたものの、こういう展開はちょっと辛い。

「髪が長いのも一緒だし。絶対、彼女より似合うって思ってさ」
「…そうなんだ…」
「そう思わないかい?」
「…だって、私、そのひと知らないし」
「――えっ!?」
「え、って…知るわけないじゃない」
「あっ、いやそのっ」

ナインが急に足を止めた。

「ジョー?どうかしたの?」

手で顔を覆い黙り込んだナインに心配そうにスリーが駆け寄った。

「大丈夫?」
「……まずった…」
「えっ?何が?」

見るとナインと目が合った。

「…ジョー、顔が真っ赤よ。熱中症かしら、大丈夫?」
「だ、だいじょうぶだ。そんなことより」
「大丈夫じゃないわ、そんなに真っ赤になって!ほら、日陰に入って」
「だいじょうぶだ」
「駄目よ、ほら」

ぐいぐい腕を引かれ、ナインはスリーに連行された。

「大体、真夏なのにそんな厚着をしているからよ。ほら、脱いで」
「いい」
「駄目よ。もう訪問は終わったんだから脱いだって失礼でもなんでもないの」

言いながらナインの学生服を脱がし、ついでに帽子も取り、スリーは鞄からマイボトルを取り出した。

「まだ冷たいはずよ。飲んで」
「いい」
「駄目よ。倒れたらどうするの」
「だから、熱中症じゃないんだって」
「でも」
「ああもうっ」

ナインはスリーの手から学生服と学帽をひったくると足早に歩き始めた。

「ちょっと待って、ジョー」

慌てて小走りになるスリー。

「もうっ、今日は変よジョーったら」
「うるさい」
「今日はまっすぐ家に帰ったほうがいいわ」
「イヤだね」
「だって」
「熱中症じゃないって言ってるだろう」
「そんなのわからないじゃない。ねえ、そんなにカチューシャを買うのって大事?」
「ああ」
「今日じゃなきゃ駄目なの?」
「駄目だ」

そんなに好きな相手なの…?

そう思うと胸の奥が痛くなった。やっぱり、一緒に行動するのは辛くなるかもしれない。

「何故なら」

と、唐突にナインが足を止めくるりと振り返った。

「クリスマスも誕生日もスルーしたんだぞっ。もう限界だろうっ」
「………はあ…そうなの…?」
「そうだっ。いつも貰うばかりで何も返せてない。去年からずっと訊こうと思ってたけど訊けなかったし」
「って、委員長に?」
「ああ」
「もしかして去年の文化祭の時って」
「もちろんそうだ。それ以外に何かあるか?」

逆にきょとんとして訊かれたので、スリーはがっくりと脱力した。

去年の文化祭に委員長に話しかけたのもまさかカチューシャを売ってる店を訊きたいからだったなんてっ…。

「絶対にフランソワーズのほうが似合うから!」
「えっ?」

って、どっちの?

「それって委員長のほう…?」
「そんなわけあるか。お前のほうだ!」


え、え、ええっ??


「ちょ、ちょっと待ってジョー。って…ええっ?」


どういうこと?


「だから。いま言っただろう?クリスマスも誕生日も何にも返してない」
「…ああ、お返しなんてそんなの別に」
「そうじゃないっ」

ああもう、とナインは頭をぐしゃぐしゃ掻くと、スリーの手首を掴んだ。

「うるさいっ、いいから行くぞっ」
「え、ええっ?」
「いいか、好きなのを選べよなっ」
「う、うん」
「それを僕がお前に贈る。そういう話だ」
「……ええと、それって…」


つまり、もしかして?


「絶対にお前のほうが似合うから!」

 

 



―11―

 

後片付けを終えて校門を出たところで、委員長は島村ジョーに呼び止められた。

「あら。さっきはありがとう」
「えっ?いやそれは」

俺の女だ発言がすっかり無かったことのように言われ、ジョーは戸惑った。
先刻までさんざん考えていたのだ。どのように話を持っていこうかと。それが――まさかの「なかったこと」?

「…礼を言われるようなことは何もしてない」
「えっ?」
「俺はっ…」
「だって、私が困っていたのをわかって助けてくれたんでしょう?」
「…」
「ありがとう。助かったわ。ジョーってこういう事に気が回るのね」

意外だったわ…とは言えなかった。何故なら、意外でも何でもないからなのだ。島村ジョーの女性遍歴は有名である。おそらく幾多の修羅場も経験しているのだろう。

――なんて、推測なんかじゃないわ。実際にその場面を見ちゃったんだし。

その時は島村ジョーのことをこんなに思うようになるとは思ってもいなかった。だからそんな場面を見たからってどうということもなかったのだ。
しかし、今は違う。
思い出すだけで胸の奥が痛くなる。

…私なんて、ただの十把ひとからげよ。期待なんてしちゃ駄目。彼はきっと困っている女の子を放っておけなくて、俺の女だなんて言葉だって簡単に言えちゃうのよ。だから特別な意味なんてないんだから。期待したり誤解したら恥をかくだけよ。


「…別に、そんなんじゃ」

しばし黙っていたジョーが地面を見つめながらぽつりと言った。

「えっ?」
「…」
「あの、何か言った?ジョー」
「…別に」
「でも」
「…」

気まずい沈黙がおりた。

島村ジョーにしてみれば、勢いもあったとはいえ告白したも同然なのだ。
彼は女性との噂話が絶えないし、言い寄ってくる女子が多いのも事実であるから女性扱いは慣れている。ように見える。
が、実際は常に受身であり彼から能動的に行動を起こす相手など今まで皆無だったのだ。だから、彼が「俺の女」と言ってしまったのは決して口が滑ったわけでもなければ、その場しのぎの嘘でもなかった。
彼のなかの真実なのである。
それに対する反応――答え――を知りたいと思うのは当然であろう。

が、どうも委員長には通じていないようだった。

否、あるいは通じているがわざと話題にされないのだろうか。
それはつまり拒否――お断わり――ということになる。

しかし。

島村ジョーが今までずっと観察してきた委員長ならば、こういうことは有耶無耶にしないはずである。
彼女は相手が真摯な気持ちでいるならばちゃんと向き合ってくれる女の子――だったはず。
そう、相手が例え「不良」でも。
そういう女の子でなければ好きになったりなどしない。

だからジョーは待った。

待つしかできなかった。彼女の言葉を。返事を。


「――あの」

ややあって委員長が口を開いた。
いよいよ待っていた「返事」か。

そう思ってジョーが顔を上げた。しかし。

「私、もう帰るので…じゃあ、また」

それは返事ではなく単純な別れの挨拶であった。

「ちょっ…」
「今度会うのは始業式の時ね。遅刻しないように」

委員長らしいセリフなどを口にする。ジョーが聞きたいのはそんな言葉ではなかった。

「さよなら」


ちょっと待てよ。


そう引き止めたい気持ちはある。が、何故かその一言が出てこなかった。
だったら手をのばして腕力で引きとめてしまえばいい。と思うものの、足はおろか指いっぽんさえ動かせそうに無い。

――何故だ。どうして…何もできないんだ!

それは遠まわしに委員長に振られたと自覚したからなのだろうか。
何の望みもないのだと引導を渡されたようなものだからなのだろうか。

――違う。俺は何も聞いちゃいない!
それに、彼女はそんな曖昧にごまかす子ではないはずなんだ。そうでなければ好きになったりなどしない。

しかし。

…いや、それは買い被りだったか…?

裾を翻し背を向けた彼女は振り返ることなく歩み去ってゆく。ジョーに見向きなどせず。
ジョーのことなどすっかり忘れ去ったかのように。

……彼女は、…「そんな子」だったのだろうか。

それはあまりにがっかりする現実であった。
もしかしたら、今まで彼がみてきた委員長は勝手に彼が作り上げた幻影だったのかもしれない。
そして、そんな幻影に憧れていただけ。

そんな程度だったのかもしれない。

ジョーは去り行く彼女の後ろ姿をじっと見つめた。失望を胸に抱いて。
それは自身に対する失望なのか、夢が壊れた現実を見つめるための道具なのか。

――女に期待するなんてどうかしてる。そんなもの、とっくに…

睨みつけるように見つめる背中。金色の長い髪が揺れた。

 

一方、委員長は呪文のようにある言葉だけを胸のなかで繰り返していた。

――振り向いちゃ駄目。期待しちゃ駄目。彼は私のことなんて眼中にないんだから。

ふとすれば視界が滲みそうになるのを堪える。

今日、ここに来ていたのだって彼の気まぐれに違いないんだから。
100歩譲って気まぐれじゃないとしても喧嘩相手を探りに来ていただけのこと。

昨年の文化祭のことを思い出す。
どこから現れたのかわからないけれど、こういうこと――恋愛というもの――に疎い自分を守ってくれた。
そう勝手に思っていた。
でも今日のことでわかった。
彼は、誰にでも「俺の女」なんて言えてしまうのだと。決して自分は特別扱いされているわけではない。

唇を噛む。

なのに、少しだけ期待してしまった。
そんな自分が情けなく恥ずかしく、そして――悲しかった。

勉強と恋愛は違う。
予習と復習をきちんとやったからといって良い結果が待っているとは限らない。
そもそも、恋愛に予習や復習などあるのだろうか。常に――予想しえない事態が起こる。心の準備など全くできない。

そういうものは苦手だった。

だから、次の瞬間に起きた出来事も全くの想定外であった。

 

「――待てよ」


目の前に忽然と現れたのは、さっき背を向けた相手――島村ジョーだった。

「…っ?」

自分は出来うる限りの早足で彼の前を去ったはず。なのに――どんな早業で彼は自分の先回りをしたのだろうか。

「なっ…何?」
「何じゃねーよ」
「だっ…て、どうして」
「まだお前の答えを聞いてない」
「こ、答え、って…」

答えも何もないだろう。そもそも彼からどんな質問だってされてはいないのだから。

「…なんのこと?」
「なんのこと?じゃねーだろーが」
「だって私、何も訊かれた覚えがないわ」

するとジョーはちょっと黙ったけれど意を決したように口を開いた。

「…怒ってるんだな」
「は?」
「俺が勝手な事を言ったから」
「勝手な事?」
「そうやってあくまでもなかったことにするんだ」
「だって」

いったい何のことを言っているのかわからない。

口ごもっているとジョーは睨むように挑むように見つめてきた。
視線が痛い。

「…お前はそんな奴なのかよ」
「え?」
「ひとの表面だけ見て判断する奴だったのかって訊いてるんだ」
「え?」

それこそなんのことやらわからない。
委員長にとって島村ジョーはやっぱり全くわからない男子だった。

「あの…?」

ジョーは大きく息を吐くとポツリと言った。

「…わかった。――もう、いいよ」
「えっ?あの、何が」
「だからいいって言ってるんだよ」
「でも」
「みんななかったことにするんだろ?…いいさ。わかった。俺もそうするから安心しろ」
「え…?」

なかったことにする、って…いったい何を?

「でも…お前にはちょっとガッカリした」

そうして今度は島村ジョーが背を向けた。先刻、委員長が彼にそうしたように。

 

――ちょっと待って。いったい何のことを言っているの?

委員長は呆然と彼の背を見つめた。
いきなり目の前に現れて――昨年の文化祭の時のように――そして、勝手に喋って勝手に背を向けた。

何がなにやらさっぱりわからない。
わかったことといえば、彼が自分に失望したらしいということだった。

――どうして?

何がどうやって彼が自分に失望したのか、その理由にも思い当たらない。
当たらなかったけれど。

このまま彼を見送ってはいけないような気がした。

 

「待って!」

 

考えるよりも先に行動していた。
といっても彼の前に回りこむような素早さは持ち合わせていなかったから、委員長は彼のシャツの裾を引っ張った。

「――なんだよ」

鬱陶しそうにジョーが振り返る。が、委員長はシャツの裾を握り締め下を向いたままだった。とても彼の顔を見る心の余裕などない。それに、彼の声はまるで知らないひとに対するかのようにとてもよそよそしいものだったから。

「もう話は終わったんだろ」
「…終わってないわ」
「終わったよ」
「終わってない。だって私、」

そして言葉に詰まった。

「…何?」

後先考えずに行動することは殆ど無い委員長である。いまの自分の衝動が何をしたくて発露したことなのか自分でもさっぱりわからない。思考が迷路で迷子になっているようだった。今日はよくよく迷子になる日らしい。

「もう帰るんだろ?俺も帰るところだから離してくれませんか」

妙に丁寧に言われるのも何故か気に障った。だからシャツを握り締める手に力がこもった。

「あのさ。いったい何をしたいわけ?」

問題はそこだった。
言い訳のひとつくらい簡単に浮かぶだろう――と恋愛ドラマを見て思ったものだったけれど、現実とドラマは違う。
全く何も浮かんではこなかった。ただひとつの真実を除いては。

「……そっちこそ、誰にでも言えるの?」
「え?」
「わ、私だってガッカリしたわよ」
「…何のことだ?」

訝しそうな声。それはそうだろう。何の脈絡もなくいきなりこんな話を始めたところでわかるわけがない。
しかし、一度口にしたら防波堤が決壊したのか、委員長の言葉は次から次へと続いた。

「何よ、思わせぶりに現れたり、ひ、ひとのことを可愛いなんてからかってみたりして、気まぐれもいい加減にしてよ。さっきだって勝手に俺の女なんて言っておいてさっさと出て行っちゃって、こっちはもうとっくに帰ったもんだと思ってたしそれこそ何の意味もない、誰にでも言うことなんだから気にしたらばかみたいよって何度も自分に言い聞かせて落ち着いたところだったのに校門で待ってるなんて反則もいいところじゃない。しかもなんなの?いきなり言い掛かりつけて勝手に怒って、その上、ガッカリしただのそんな子だっただの誹謗中傷。もういい加減にしてよ。ただでさえ期待したぶん落ち込んでいるのに、わざわざ追い討ちかけることないじゃない。どうせ俺の女なんてみんなに言ってるんでしょ。こっちだってあなたにはガッカリしたわよっ」


言い過ぎた――かもしれない。と思ったのは、ジョーが黙ったまま何も答えないことに気付いてからだった。

「あ、…」

思わず手を離していた。何だかいらぬことまでぺらぺら喋ってしまったような気がする。
背を向けたままのジョーが無言なのも怖い。不良を怒らせてしまったのかもしれない。

「え、と。あの、」

思わず一歩後ずさる。手のひらが汗ばんでおり、ああそうだ真夏だったと改めて思い出した。

「あの、じゃあ私…」

帰るから。

そう言いかけた委員長の耳に低い笑い声が響いた。ジョーだった。
笑っている。静かに。

「…あの?」

ジョーはしばらくくつくつ笑ったあと、くるりと振り返った。まともに目が合った。

「迂闊だな。委員長」
「えっ?」
「さすが学年二番だけある」
「っ!!」

首席を取れないのはコンプレックスであったから、そこを刺激され委員長の頬は染まった。

「な、何よっ」
「知ってる?一番が俺だって」
「えっ!?」
「――期待してたんだ?」
「えっ?」
「誰にでも言うわけじゃねぇよ」
「えっ?」
「っていうか、他の女に言ったことは一度もない」
「えっ?」
「つまり、…そういうことなんだけど」
「えっ」
「だから答えを訊きたかったんだけど…もういいや」

くすくす笑う――いや、この笑いは…にやにやと表現したほうが的確か。

「な、何よひとりで勝手に納得してっ」
「うん。ひとつわかった」
「何よ」
「お前、パニックになるとよく喋るんだな」
「うるさいわね、さぞガッカリしたことでしょうよ」
「いや、ガッカリは撤回。――そこも可愛いからいい」
「えっ!?」
「ほら、帰るんだろ?」
「う、うん…」
「送ってく」
「えっ、い、いいわよ」
「いいよ」
「だって方向違うでしょ」
「よく知ってるな」
「っ!!」
「迂闊パート2。顔真っ赤だぞ」
「何よ、そっちこそ赤いわよっ」
「え。嘘っ」
「嘘よ」
「なんだよそれ」
「ひとのことを馬鹿にするからよ」
「ひでー」
「その言葉遣いなんとかならないの」
「ほっとけ」
「ねぇ首席って本当?」
「ああ。時々だけどな」
「…ふうん…」
「あ。落ち込んだ。ほんとお前って見てて飽きねーな」
「もう、からかうのはやめて」
「からかってないって。手、繋いでいい?」
「え、あ、…うん」