「不良と生徒会長」
「――では、詳細はこの次に」 「そうしましょう。今日のところはこれで」 散会となった。 それぞれ席を立つ――が、ナインはじっと委員長を見つめたまま動かない。 「…ジョー。どうしたの。帰りましょう」 スリーが小さく呼びかけるが、ナインは動かない。 「あの…?」 見つめられている委員長も戸惑ったように動きを止めた。 「ジョー」 スリーは泣きそうな気持ちだった。 「ねぇ、ジョー。帰りましょう」 無理に笑顔を作って言ってみる。が、やはりナインからの返事はなかった。代わりに 「あの、委員長…フランソワーズさん。ちょっとよろしいでしょうか」 ナインが委員長の名を呼んだ。 「え…と、なんでしょう」 立ち上がったナイン。反対に射すくめられたように動けなくなった委員長は椅子に座り込んだ。 「ちょっとお話があるのですが」 委員長の目がナインの隣のスリーに向けられる。 「手間はとらせません」 ナインがずいと体を乗り出した。 「本当にすぐです。その――」 委員長に向けて手を伸ばしたその時。
スリーはナインの学生服の裾を掴んだ。 そして。
「俺の女に勝手に話しかけんじゃねーっ」
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「…ねぇ、ジョー」 すたすた前を行くナインにスリーは小走りになって、そして言った。 「帰り道はこっちのほうが近いってさっき言ったでしょう」 方向音痴のナインである。が、道が違うとか間違えているなどとは絶対に口にしないスリーであった。 「同じ名前だったなんてびっくりしたわよね?」 ナインはむっつりと口をつぐんだままである。 「二人ともジョーだなんて、ね?」
「でもびっくりしたわ。ジョーが委員長を気にしていたのって、あのカチューシャがどこで売ってるか知りたかったからだなんて」 本当にそれだけの理由なのかどうか、訊く勇気がスリーには無かった。 「誰かにプレゼント?」 誰にプレゼントするのかも訊けないスリーだった。 「え、と。私が一緒に選んでも本当にいいのかしら」 ナインが一人で目的の店に行けるとは思えないスリーである。自分が選んであげるわこういうのは女の子の意見を聞くものよと半ば強引に一緒に行くようにしたのである。が、ナインの思い人への贈り物かと思うとそれはそれで気が重かった。 「好きなのを選んでくれれば助かるよ」 妙に自信たっぷりなナインにスリーはますます落ち込んだ。彼の思い人は委員長ではなかったけれど、彼女のカチューシャが似合うだろうと思うくらい常に思っている相手が彼にはいるのだ。 ――いっそのこと、変なのを選んでみようかしら。そうすればジョーはきっと嫌われちゃうわ。 そんなことも考えてみたりするが。 …でも、わざとそういうことするのって良くないわよ…ね。 それは絶対に避けたいことだった。 「ずっと思ってたんだ。きっと似合うって」 嬉しそうに誰かの話をするナイン。 「髪が長いのも一緒だし。絶対、彼女より似合うって思ってさ」 ナインが急に足を止めた。 「ジョー?どうかしたの?」 手で顔を覆い黙り込んだナインに心配そうにスリーが駆け寄った。 「大丈夫?」 見るとナインと目が合った。 「…ジョー、顔が真っ赤よ。熱中症かしら、大丈夫?」 ぐいぐい腕を引かれ、ナインはスリーに連行された。 「大体、真夏なのにそんな厚着をしているからよ。ほら、脱いで」 言いながらナインの学生服を脱がし、ついでに帽子も取り、スリーは鞄からマイボトルを取り出した。 「まだ冷たいはずよ。飲んで」 ナインはスリーの手から学生服と学帽をひったくると足早に歩き始めた。 「ちょっと待って、ジョー」 慌てて小走りになるスリー。 「もうっ、今日は変よジョーったら」 そんなに好きな相手なの…? そう思うと胸の奥が痛くなった。やっぱり、一緒に行動するのは辛くなるかもしれない。 「何故なら」 と、唐突にナインが足を止めくるりと振り返った。 「クリスマスも誕生日もスルーしたんだぞっ。もう限界だろうっ」 逆にきょとんとして訊かれたので、スリーはがっくりと脱力した。 去年の文化祭に委員長に話しかけたのもまさかカチューシャを売ってる店を訊きたいからだったなんてっ…。 「絶対にフランソワーズのほうが似合うから!」 って、どっちの? 「それって委員長のほう…?」
ああもう、とナインは頭をぐしゃぐしゃ掻くと、スリーの手首を掴んだ。 「うるさいっ、いいから行くぞっ」
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後片付けを終えて校門を出たところで、委員長は島村ジョーに呼び止められた。 「あら。さっきはありがとう」 俺の女だ発言がすっかり無かったことのように言われ、ジョーは戸惑った。 「…礼を言われるようなことは何もしてない」 意外だったわ…とは言えなかった。何故なら、意外でも何でもないからなのだ。島村ジョーの女性遍歴は有名である。おそらく幾多の修羅場も経験しているのだろう。 ――なんて、推測なんかじゃないわ。実際にその場面を見ちゃったんだし。 その時は島村ジョーのことをこんなに思うようになるとは思ってもいなかった。だからそんな場面を見たからってどうということもなかったのだ。 …私なんて、ただの十把ひとからげよ。期待なんてしちゃ駄目。彼はきっと困っている女の子を放っておけなくて、俺の女だなんて言葉だって簡単に言えちゃうのよ。だから特別な意味なんてないんだから。期待したり誤解したら恥をかくだけよ。
しばし黙っていたジョーが地面を見つめながらぽつりと言った。 「えっ?」 気まずい沈黙がおりた。 島村ジョーにしてみれば、勢いもあったとはいえ告白したも同然なのだ。 が、どうも委員長には通じていないようだった。 否、あるいは通じているがわざと話題にされないのだろうか。 しかし。 島村ジョーが今までずっと観察してきた委員長ならば、こういうことは有耶無耶にしないはずである。 だからジョーは待った。 待つしかできなかった。彼女の言葉を。返事を。
ややあって委員長が口を開いた。 そう思ってジョーが顔を上げた。しかし。 「私、もう帰るので…じゃあ、また」 それは返事ではなく単純な別れの挨拶であった。 「ちょっ…」 委員長らしいセリフなどを口にする。ジョーが聞きたいのはそんな言葉ではなかった。 「さよなら」
――何故だ。どうして…何もできないんだ! それは遠まわしに委員長に振られたと自覚したからなのだろうか。 ――違う。俺は何も聞いちゃいない! しかし。 …いや、それは買い被りだったか…? 裾を翻し背を向けた彼女は振り返ることなく歩み去ってゆく。ジョーに見向きなどせず。 ……彼女は、…「そんな子」だったのだろうか。 それはあまりにがっかりする現実であった。 そんな程度だったのかもしれない。 ジョーは去り行く彼女の後ろ姿をじっと見つめた。失望を胸に抱いて。 ――女に期待するなんてどうかしてる。そんなもの、とっくに… 睨みつけるように見つめる背中。金色の長い髪が揺れた。
一方、委員長は呪文のようにある言葉だけを胸のなかで繰り返していた。 ――振り向いちゃ駄目。期待しちゃ駄目。彼は私のことなんて眼中にないんだから。 ふとすれば視界が滲みそうになるのを堪える。 今日、ここに来ていたのだって彼の気まぐれに違いないんだから。 昨年の文化祭のことを思い出す。 唇を噛む。 なのに、少しだけ期待してしまった。 勉強と恋愛は違う。 そういうものは苦手だった。 だから、次の瞬間に起きた出来事も全くの想定外であった。
「――待てよ」
「…っ?」 自分は出来うる限りの早足で彼の前を去ったはず。なのに――どんな早業で彼は自分の先回りをしたのだろうか。 「なっ…何?」 答えも何もないだろう。そもそも彼からどんな質問だってされてはいないのだから。 「…なんのこと?」 するとジョーはちょっと黙ったけれど意を決したように口を開いた。 「…怒ってるんだな」 いったい何のことを言っているのかわからない。 口ごもっているとジョーは睨むように挑むように見つめてきた。 「…お前はそんな奴なのかよ」 それこそなんのことやらわからない。 「あの…?」 ジョーは大きく息を吐くとポツリと言った。 「…わかった。――もう、いいよ」 なかったことにする、って…いったい何を? 「でも…お前にはちょっとガッカリした」 そうして今度は島村ジョーが背を向けた。先刻、委員長が彼にそうしたように。
――ちょっと待って。いったい何のことを言っているの? 委員長は呆然と彼の背を見つめた。 何がなにやらさっぱりわからない。 ――どうして? 何がどうやって彼が自分に失望したのか、その理由にも思い当たらない。 このまま彼を見送ってはいけないような気がした。
「待って!」
考えるよりも先に行動していた。 「――なんだよ」 鬱陶しそうにジョーが振り返る。が、委員長はシャツの裾を握り締め下を向いたままだった。とても彼の顔を見る心の余裕などない。それに、彼の声はまるで知らないひとに対するかのようにとてもよそよそしいものだったから。 「もう話は終わったんだろ」 そして言葉に詰まった。 「…何?」 後先考えずに行動することは殆ど無い委員長である。いまの自分の衝動が何をしたくて発露したことなのか自分でもさっぱりわからない。思考が迷路で迷子になっているようだった。今日はよくよく迷子になる日らしい。 「もう帰るんだろ?俺も帰るところだから離してくれませんか」 妙に丁寧に言われるのも何故か気に障った。だからシャツを握り締める手に力がこもった。 「あのさ。いったい何をしたいわけ?」 問題はそこだった。 「……そっちこそ、誰にでも言えるの?」 訝しそうな声。それはそうだろう。何の脈絡もなくいきなりこんな話を始めたところでわかるわけがない。 「何よ、思わせぶりに現れたり、ひ、ひとのことを可愛いなんてからかってみたりして、気まぐれもいい加減にしてよ。さっきだって勝手に俺の女なんて言っておいてさっさと出て行っちゃって、こっちはもうとっくに帰ったもんだと思ってたしそれこそ何の意味もない、誰にでも言うことなんだから気にしたらばかみたいよって何度も自分に言い聞かせて落ち着いたところだったのに校門で待ってるなんて反則もいいところじゃない。しかもなんなの?いきなり言い掛かりつけて勝手に怒って、その上、ガッカリしただのそんな子だっただの誹謗中傷。もういい加減にしてよ。ただでさえ期待したぶん落ち込んでいるのに、わざわざ追い討ちかけることないじゃない。どうせ俺の女なんてみんなに言ってるんでしょ。こっちだってあなたにはガッカリしたわよっ」
「あ、…」 思わず手を離していた。何だかいらぬことまでぺらぺら喋ってしまったような気がする。 「え、と。あの、」 思わず一歩後ずさる。手のひらが汗ばんでおり、ああそうだ真夏だったと改めて思い出した。 「あの、じゃあ私…」 帰るから。 そう言いかけた委員長の耳に低い笑い声が響いた。ジョーだった。 「…あの?」 ジョーはしばらくくつくつ笑ったあと、くるりと振り返った。まともに目が合った。 「迂闊だな。委員長」 首席を取れないのはコンプレックスであったから、そこを刺激され委員長の頬は染まった。 「な、何よっ」 くすくす笑う――いや、この笑いは…にやにやと表現したほうが的確か。 「な、何よひとりで勝手に納得してっ」
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