「帰り道」

 

 

 

その日は新体操の地区大会だった。

帰りがすっかり遅くなり、委員長は家路を急いでいた。
いつもは兄が車で迎えに来てくれるのだが、生憎今日は出かけていた。

近道だからと繁華街を通ることにした。

それがいけなかった。

委員長は目の前の光景にちらりと軽蔑の視線を投げた。
どう見てもマトモではない店から、転がるように出てきた一組の男女。二人とも酔っているのは明らかだった。
まだ飲酒許可をされていない年齢のように見える。二人とも若い。
その二人が何やら揉めているのだった。

進行方向だったから、委員長は眉をひそめつつその横を通りすぎた。なるべく二人から遠い位置で。
けれども好奇心からか、何をしているのだろうと横目で見てしまった。

男の方と目が合った。


…えっ?


知っているひとのようだった。

その時、いきなり女性の方が委員長にぶつかってきた。凄い勢いの上、完全に気を抜いていたから、委員長は彼女と一緒に歩道に倒れこんだ。

「いった…」

苦痛に顔が歪む。彼女の下敷になり、歩道にしたたかに打ち付けられた。

「アタシは絶対、別れないから!」

委員長の上で女が叫ぶ。

「他に好きな女ができただって?ふん。アンタなんか相手にするもんか」

タンカを切りつつ女が立ち上がる。そして男に派手なびんたをかませ、そうして――男のジャケットの衿を両手で引き寄せると乱暴に唇を重ねていた。


うわあ。


生のキスシーンを見るのは初めてだった。


…目って閉じないんだ?


思ったのは、熱烈なキスをしているはずの男と目があったからだろうか。

男は一瞬、目をすがめると再び女を突き飛ばしていた。
そして乱暴に唇を拭う。

「…いい加減にしろ」
「だって、納得できるもんか!なんなんだよ、好きな女ができたって?ふざけるなよ!」

さっさと立ち去ればいいのに、委員長は歩道に座り込んだままだった。目の前の修羅場から目を離せない。

「アイツだろ?あのキャサリンとかいうアバズレ」
「…キャシーは君とは違うよ、マユミ」
「どうだか!アタシの時みたいにすぐ」
「マユミ!いい加減にしろ!」
「だって、酷いよ。急に好きな女ができたって言われたって」
「いい加減にしろと言ったはずだ」

男の目が剣呑な光を帯びる。唇が歪められる。

「二股かけていたのを俺が知らないとでも?」

女が息を呑む。

「最初は別にそれでもいいかと思ったんだけどね。でももう限界だ」
「だって、ジョー、私は」
「気安く呼ぶな。俺たちは他人だ。そうだろう?」
「そんなっ…だって、アタシとあなたは」
「帰れ」
「ジョー、アタシの本命はあなただって…わかるでしょ?」
「知らない。興味ない」
「ジョー」
「帰れ」

そんなやりとりをあっけにとられ眺めていたからだろうか。
ふと目を逸らした男と目が合った。

「…大丈夫かい?」
「えっ?」

言われて気がついた。自分はまだ歩道に座り込んだままだったのだ。
抱えていた鞄もどこかへ飛んでしまっている。

「立てる?」

男が手を差し伸べたので委員長はそのままその手をとっていた。

「怪我はない?」
「ええ…」
「ほら。鞄」
「あ。ありがとう。…あの、あなたもしかして…」

見た事があるような気がする。

「…同じ学校の…?」

問いかけてみたものの、男は頷くでも否定するでもなかった。
ただ委員長を見つめ小さく言っただけだった。

「さあ、ね」

委員長は何か言いかけたのだけど。

「ジョー!そんな子どうでもいいでしょ。今日はつきあってくれるって言ったじゃない!」

さきほどの女――マユミと言ったか――に突き飛ばされた。が、マユミは委員長など眼中にないようで、男の腕に自分の腕を巻きつけ甘えるように顔を見上げていた。
いっぽうの男はうんざりといった様子だったが、こちらもどうやら委員長のことは既に忘れたようで

「うるさい。離せ」
「イヤよ」
「俺は帰る」
「待ってよ、アタシも一緒に」
「来るなっ」

などと言いながらその場を去ってゆく。

委員長はひとりポツンと残された。
今の光景は普段の自分の生活とはほど遠く、刺激的であったのだった。

「…ジョーって言ってたわ。…確か…」

呆然と彼らの背を見送りながら呟く。

「確か…不良の…」

直接的な接点は無い。が、名前は知っている。

「島村ジョー…」

 

この日の出来事が、のちのち自分の心に重くのしかかってこようとはこの時の委員長は知る由も無かった。