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「あのね、いまいい?・・・ちょっとお願いがあるんだけど」

レッスン終了後、フランソワーズは彼女に声をかけていた。彼女――例のシークレットカードを持っているその人である。

「なぁに?どしたの」
「うん。・・・あのね。この間のカード、もう一回見せてもらえないかなと思って」
「いいわよ」

更衣室に向かい、ロッカーを開けてバッグから取り出す。
「はい、どうぞ」

着替え始めた彼女をそのままに、フランソワーズは練習着姿のまま例のカードをしみじみと見つめた。

――やっぱり、どう見てもキスしてる時の顔よね。・・・私はちゃんと見たことがないけれど・・・。だってキスする時って目をつむっちゃうから・・・あ、そっか、目を開けていればいいんだ?でもそんなの、ジョーに見つかったら恥ずかしいし・・・。
ああ、だけどだけど、全国で何人か――もしかしたら何百人かがこのカードを持っていて、ジョーのこの顔を見てるんわ・・・!なんだかもう、やっぱり嫌。ジョーのばかばか。そりゃ、もちろん、ジョーのせいじゃないのはわかってるわ。だけど、だけど感情が納得してくれないのよ。もうっ。ジョーのばか――

「そんなに好きなの?島村ジョーが」
いきなり肩越しに声をかけられ、うっかりカードを取り落としそうになる。
「あーあ、真っ赤になっちゃってー。ふぅん、実はやっぱりファンなんだ?」
「ちが、そんなんじゃ」
「ハイハイ。いいっていいって。わかるから」
――わかる、って何が?
もしかしてばれた?と、咄嗟に頬を引き締める。いけないわ。ジョーに迷惑がかかってしまう・・・!

「だって、カレシに似てるもんねー?そしたらついつい見ちゃうよね」
・・・え?
「わかるわかる。私だって自分の彼がタレントに似てたらファンになっちゃうかもしれないもん」
よく言うよ、全然タレントって感じじゃないじゃん、と外野から野次が飛ぶ。
「るさいな。・・・ね、フランソワーズ。そんなに気に入ったなら、それあげようか?」
「えっ」
「たまたまそのカードが当たったけれど、私は別に彼のファンじゃないしさー」
「でも、洗剤10本買ったんでしょ?」
「うーん。うちの会社が箱買いしたから手に入っただけで、別に努力したわけじゃないんだよね」
「・・・そうなんだ」
「うん。だから、いいよ。あげる。それにフランソワーズ、もうすぐお誕生日だったでしょ?だから」
「・・・ありがとう」
頬を染めたフランソワーズを見つめ、やれやれと肩をすくめる。
「でもさ。それ、カレシに見つからないようにした方がいいかもよ?」
「あら、どうして?」
「だって、妬いちゃうかもよ?」
「・・・妬かないわよ」
「いーや。絶対、妬くって」
だって、本人なのに?

 

***

 

そんな訳で、全く意図せずシークレットカードが手に入ったフランソワーズ。
いつもの待ち合わせの場所に着いて、ジョーがまだ来ていないのを確認し、そっとバッグからカードを取り出して見つめる。

ジョーのばか。こんなところを写真に撮られちゃうなんて、もうっ。・・・でも、着替えてるところとかじゃなくて良かった・・・って、
違うわよ、フランソワーズのばかばか。そんな姿が出回ったら、ジョー、死んじゃうわ。
そうじゃなくて・・・。
・・・うん。やっぱり、ジョーのこの顔好き。できれば独り占めしたかったけれど、しょうがないわよね。そうよね。うん。それに私は、他にもたくさんのジョーのプライヴェートを知っているし、独り占めしているのだから、それ以上っていうのは贅沢な話よね?
だったら、ちょっとだけ我慢して・・・うふ、でも、このジョーの顔って好き。可愛い。嬉しそうだし。私にキスしてくれるときも、こういう顔してるのかな。こんなふうに嬉しそうだったらいいのにな・・・

「フランソワーズ?」

いきなり耳元で甘い声がして、カードを落としてしまった。
どうもこのカードを見ている時は、周囲への注意がおろそかになるらしい。

「なに見てたの?」

と、言いつつジョーがかがんでカードを拾う。

「あ、だめっ」

フランソワーズがその手に飛びつくより早くジョーの頭上に掲げられるカード。009の身体能力にかなうわけがないのだった。返して返してとジョーの腕に抱きつき、手を伸ばすフランソワーズであったが、全く届かない。
あっけなく反対の手にカードがパスされてしまう。

「どれどれ。これがもしや噂の例のカード?」
「見ちゃだめ」

ジョーの目を手で目隠ししようとするけれども、あっけなくかわされる。

ああもう、たまにはジョーのトレーニングに付き合ってみれば良かったわ。そうすれば今頃こんな目には遭ってなかったかもしれない。

と、次の防砂林でのジョーの謎のトレーニング(注:あ、これって「原作」でしたね)に一緒に行くことを固く心に誓うのであった。

「うわ。なんだよこれ」

ジョーが口元を歪める。

「もー、返してってば」

ジョーの隙をついてカード奪取に成功したフランソワーズは、二度と取られないように両手で胸にかき抱いた。

「ひどいなァ。そんな写真が出回ってるなんて知らなかったよ」
ああ、恥ずかしいと赤くなっている。
「あら、別に恥ずかしい写真じゃないじゃない」
「恥ずかしいよ」
「そうかしら。・・・良い写真だと思うわよ」
「よく言うよ。なんだか怒っていたじゃないか」
「だって、それは」
ジョーの顔が。
「うわー。それってかなり出回っているのかなぁ。・・・参ったな」
「大丈夫よ。ホームページにも公開されてなかったみたいだもの」
「でも・・・うわー、参ったな」
「・・・もう一回見る?」
「いや、いい。見たくない」
「良い写真なのに」
「いい。遠慮する」
「そーお?」
だって、表情はともかく――私はそこが一番気になるところではあるのだけれども――ジョーの感情が素直に出ている良い写真だと思うのよ?

「ねぇ、ジョー?」
「・・・なに?」
「この時、どんなことを考えていたの?」
「え」
そりゃー・・・今までのレースのこととか、スタッフと頑張ってきたこととか、そういうことだよ。なんたって、今までの集大成なんだし。
と、大真面目な顔で語るジョーに、そうよね。やっぱりそういうことを思い出すわよね。と、これまた大真面目に納得しているフランソワーズ。
けれども。

もうすぐフランソワーズに会えるなぁ・・・とも思っていたとは絶対に言えないジョーなのであった。

車の置いてある所まで並んで歩きながら。

私にキスするときもこういう顔してるのかな・・・優勝カップを受け取ったこの時と同じくらい、嬉しい気持ちでいてくれたらいいな・・・とは、絶対に言えないフランソワーズなのだった。

どちらからともなく、そうっと手を繋いで。お互いに「秘密」を胸に抱き締めながら。

「・・・ねぇ、ジョー?あとでここにサインしてね?」
「ぜっっっっったい、しない!」