「温かい背中」
その時、僕が感じたのは背中の温かさだけだった。
何もない。
からっぽだった。
何を見ても、それは網膜に映っているだけの話で、何も心に響かなければ記憶に残るようなこともなかった。
だって僕には心がないのだから。
何にもない。
ただの虚ろな存在。
それが僕だった。
――もう、何もかもが嫌だ。
戦うのも。
誰かを思うのも。
自分自身も。
嬉しかったり、楽しかったり、愛しかったり――辛かったり、怒ったり、泣いたり。
そんな普通のことが僕には許されない。
――失くせ。
全てを失え。
失ってしまえ。
そう闇の奥から僕に言う声。
一度その声を聞いてしまったらもう逃げられない。
そう――まさにその声の言う通りだった。
心なんて、ないほうがいい。
そうすれば何も――感じずにすむのだから。
何かを感じる心なんてものがあるから、いけないんだ。
そんなのがあるから、――辛くなる。
あるはずのものを失うから、悲しくなって。
だから、最初からそんなものなければいい。
要らない。
――要らないんだ。
けれど。
温かい背中。
背中と背中。
向こう側の彼女は――泣いているみたいだった。
――どうして泣くの。
心があるから、泣くんだよね。
僕みたいに、さっさと捨ててしまえばいいのに。
そうしたら――泣かなくてすむんだから。
けれども、背中の温かさは消えない。
僕はこんなに寒いのに。
なのに、彼女は温かいんだ。
なぜ。
どうして。
「どうして――泣くの」
僕の声に驚いたみたいだった。
僕も自分に驚いた。もう声なんかでないと思っていたのに。
声なんて、出なくてもいいと――思っていたのに。
「――あなたが泣かないから、泣くの」
小さい声が答える。
僕は――泣かないよ。
だって心が無いんだから。
何も悲しくない。
辛くない。
だから――僕の代わりになんか泣かなくていい。
彼女の声が小さく「違う」と唱える。
――違うの。そうじゃないの。
あなたを愛してるから、だから――泣くのよ。
――そんなの変だ。
おかしいよ。
どうなったっていいじゃないか、僕なんか。
どうして――