―王子様とお姫様の事情―

 

 

 

――黒い髪に黒い瞳。
背は・・・そんなに高くないけど、でもちょうどいい。

ええ。

ちょうどいいわ。

 

いばら姫はぼんやりとそんなことを思っていました。

しばらくぶりにやって来た王子。
どんな王子だろう、またきっと退屈なだけの王子に違いないと全く期待をしていなかったのですが、その姿を見て考えが変わりました。
今までは背丈がそれは高く、見上げるような大きな王子ばかりでした。
筋骨隆々で、抱き締められたら命の危険を心配しなければならないような。
そうかと思うと、背丈はあるもののひょろひょろでいばらのキズだらけの頼りない王子。
いずれにせよ、見上げなくてはならないのはもう嫌でした。
大体、首が疲れますし。一緒にいても彼の視界に自分が入っていないようですし。
でも今回はちょうどよい背丈でした。

 

 

 

 

ど・・・どこが残念な姫だって?

 

ナイン王子は呆然と立ち尽くしておりました。
目の前にいるのは、金髪碧眼で白い肌、ほっそりしたからだの姫だったからです。

実は呆然としているのではなく、見惚れていたのだと気付くのにはあと数秒が必要でした。

 

 

 

 

「あの、お茶でもいかがですか。えっと・・・」


可愛らしい声と、困ったように傾げられた首の角度もナイン王子の好みでした。


「あ。ジョーです。俺は――いえ、僕はジョー。きみは?」
「フランソワーズといいます」
「フランソワーズ・・・いい名だ」
「えっ?」


ナイン王子はいちおうやっぱり王子様でしたから、童話世界の定型文ももちろん刷り込まれておりました。
従って、「いい名だ」というのは彼のオリジナルではなく「王子」という役柄が言わせたセリフだったのですが。


「・・・嫌ですわ」

いばら姫フランソワーズはぱっと頬を染めてうつむきました。
もちろん、彼女も今まで王子たちに何十回とそう言われてきました。ですが、今日ばかりは何か違ったように聞こえてしまいました。


「え。あ、いや、そうではなく、ええとその」

いっぽう、ナイン王子も戸惑っていました。
彼としても舞踏会などで女性にそう囁くのは日常茶飯事であったのですが、今回は本当に本心からだったのです。
ですから、いばら姫には社交辞令にとって欲しくはないと強く思いました。
けれども言葉を紡ごうにもなんだかいつもと違って、全然言葉が出てきません。
これでは何も言葉を知らない王子に思われてしまうかもしれない。
ナイン王子は焦りました。
しかし、焦れば焦るほど意味をなさない言葉の羅列となってゆくのでした。

「だからつまりその」


真っ赤な顔で汗だくの彼を目の前にして、フランソワーズ姫は珍しいものを見るかのようにただただ見つめていたのですが、不意に笑いがこみあげてきました。
だって、こんなに慌てている王子を見るのは初めてだったのです。
やって来る王子は冷静沈着、言い換えればつまらない応対しかしない王子ばかり。
こんな風に表情が変わる面白い王子はいませんでした。

 

 

 

 

姫のくすくす笑う声が耳に届いて、ナイン王子は黙りました。


――なんて可愛いんだろう。


引き篭もりの姫がこんな風に屈託なく笑えるものだろうか。
後ろ向きな思考の持ち主がこんなに明るく笑うだろうか。


――断じて、違う。


では、目の前のこの姫はいったいどんな女性なのでしょう?

 

 

 

 

ナイン王子が黙り込んだので、フランソワーズ姫ははっと笑うのをやめました。
もしかしたら気分を害されてしまったかもしれません。いきなり笑うなんて失礼なのですから。


どうしよう。


そんなつもりじゃないのに。
ただ、目の前の王子様が今までの王子様と全然違うのが嬉しくて、――なんだかわくわくしてしまって、それで笑ってしまっただけなのに。

けれども目の前のナイン王子は憮然としたまま何も言いません。
その何も語らない黒い瞳をじっと見て――今度は何か悲しくなってきました。


――お願い。何か――言って。

 

 

 

 

え。


な、なんだ?


なんで――急に泣き出したんだ?

 

目の前の姫の瞳にみるみる涙の粒が盛り上がるのを見て、ナイン王子は動揺しました。
一瞬、やはり情緒不安定な姫なのかもしれないと思い、カウンセリングが必要だというのは本当の病的な姫であると判断しかけました。
が、しかし。
そんなことを思ったのは本当に一瞬だけで、次の瞬間には泣かせたくないという思いと、泣いたらもっと可愛いかもしれないという二律背反な思いに囚われてました。

優しく慰めて涙を止めるか。
あるいは、そのまま黙って泣くのを見るか。

しかし。

実はそんな思いに囚われていたのもまた一瞬でした。
では実際に何が起きたのかというと――

 

――ナイン王子は自分でもわからぬまま一歩踏み出し、そうっと姫の涙を指先でぬぐっていたのでした。

 

 

 

 

「泣かないでください、姫」


優しく言われたのと目元を指先でぬぐわれたのが同時でした。

一瞬の間にふたりの距離は縮まっていて、王子はいまとても近い場所におりました。
はっきりいって、王子がこんなに近くにいたことはありません。
今までは、せいぜい手の甲にキスを受けるくらいの距離。それが精一杯でした。

それが――

見上げるとすぐ目の前に黒い瞳があって。でも首が痛くならないくらいのちょうどよい身長差。
ほっそりして見えたのに、近くに寄るとわかる鍛えられたしなやかな筋肉。
思いのほか逞しい胸と腕にフランソワーズは眩暈がしました。


――いやだわ、私。どうしちゃったのかしら・・・。

 

 

 

 

どうしちゃったのかしらと思っていたのは姫だけではありませんでした。

彼我の差を詰めたのは自分であったけれども、姫に伸ばした手をこれからどうしたものかナイン王子は思い悩みました。
姫の涙に濡れた指先。そして、思いのほか柔らかくてすべすべだった姫の頬。
もちろん、女性の頬に触れたのは初めてではありません。が、こんなにどきどきしたのは初めてでした。


どうしちゃったんだ、俺は。


とりあえず、目下の懸案事項はこの右手をどうすればよいかということでした。

 

 

 

 

優しく涙をぬぐわれた後、優しく髪を撫でられ――フランソワーズ姫はどきどきして言葉も出ません。
だからじっと王子を見ているしかなかったのですが。


「・・・フランソワーズ姫」
「はい」
「綺麗だ」
「・・・」
「それに可愛い」
「・・・」

「キスしてもいいかな」


えっ?


ど、どこに?


と思う間もなく、頬にちゅっとキスをされていたのでした。

 

 

 

 

自分の口からすらすらと綺麗だの可愛いだのの言葉が出てきてナイン王子はびっくりしていました。


――どうしちゃったんだ、俺は。


自分がまさか本気でこういう言葉を口にする日が来ようとは。
今までのような社交辞令ではもちろんありません。正真正銘の本心なのです。
でもそれが姫にちゃんと伝わっているかどうかわかりません。
ナイン王子はそれがもどかしく、いったいどうすれば自分の好意が伝わるのかと思い悩んだ挙句、姫の頬にキスをするという暴挙に出ておりました。

 

 

 

 

「・・・っ」


驚いて声もないフランソワーズ姫。


「っ!」


驚いて声もないナイン王子。


でも全然嫌じゃなかったフランソワーズ姫。

ナイン王子は自分の行動にひどく驚いていたものの、その手を払い除けられたりしなかったことに勇気を得ました。
そしてキスをしても嫌がられなかったことにも。


だから。


つい。


そのまま姫を抱き締めておりました。

 

 

 

 

いやだわ、どきどきするっ・・・。


抱き締められてはいるものの、それは不快な抱き締められ方ではなく守るように腕を回されただけでした。
それでもフランソワーズ姫は頬が熱くなりどきどきするのを止められませんでした。


どうしちゃったのかしら、私。


本当なら、無礼者と言って突き飛ばしてもいいはずです。が、全然そんな気持ちにはなりません。
そればかりか、ずっとこうしていたいとも思ってしまうのです。
そんなふうに思う自分が恥ずかしく、ただただうつむいておりました。

 

 

 

 

 

「ヒトメボレ、っていう魔法だったらしいよ」
「魔法?」
「ああ。あのあと色々と調べたんだ」


一ヵ月後。

なんとナイン王子はずっといばら姫の城に滞在しており、何も知らずにやってくる王子たちを蹴散らしておりました。
そしてまた、ふたりはすっかり仲良くなり――いささか仲良くなりすぎており、城にいる間は常にくっついて過ごしていました。


「この世界で最も強い魔法らしい」
「ふうん・・・初めて聞いたわ」
「俺も」
「でも魔法だといつか消えてしまうのよね?そうしたら、私たちどうなってしまうの」

離れ離れになるのかしら、そんなの嫌だわと泣きべそになったフランソワーズ姫にナイン王子は苦笑して

「安心したまえ。魔法はほんの一瞬だけのものらしい。持続するものではないんだ」
「持続しないの」
「そうだ。だからそのあとは俺ときみ次第ってわけだ」
「あなたと私次第・・・」
「そう」
「それって・・・」

フランソワーズ姫は不安そうにナイン王子の腕に掴まりました。

「いったいどうなってしまうの?」
「大丈夫」

不安そうな姫にナイン王子は笑みを向けるとその体を抱き締めました。

「俺がこの城に来たわけを知っているかい?」
「いいえ。運試しとか暇つぶしとか・・・?」
「違う。それはね」

ナイン王子はフランソワーズ姫の耳元にくちを寄せると囁きました。


「きみを妃にするためさ」

 

 

 

 

そうしてふたりはいばらの国のいばらの城で、いつまでも仲良く暮らしました。

 

 

おしまい。