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バニラの甘い香りが漂うキッチン。
ふたりのフランソワーズは張り切ってシュークリームを作っていました。
「ウチのジョーは、シュークリームが好きなのよ」
とっても楽しそうに、にこにこしながら言うお嬢さん。
「まぁ。うちのナインもそうなのよ」
こちらも幸せそうに微笑むスリー。
幸せな空気と甘い香りがキッチンから流れてギルモア邸全体を包んでいました。
「そういえば」
辺りを見回すスリー。
「・・・あなたのジョーはいないの?」
実は、ナインから伝言を預かっていたのでした。
「今日はちょっとお出かけしてるの。夜まで帰って来ないと思うわ」
唇に笑みを浮かべ、涼しい顔でさらりと答えるフランソワーズ。
実は今日、フランソワーズはジョーにお使いを頼んでいたのでした。遠く・・・北海道まで。
朝食後、「六花亭のレーズンサンドが食べたいな・・・」と、ぽつりと言ってみたのです。
すると、「僕が買ってくるよっ」と行って颯爽と行ってしまったのでした。
――だって、スリーは可愛いんだもん。
今年の5月の連休以来、「同じフランソワーズ」として、「島村ジョー」を好きになるのは当たり前と気付いて以来、なんだか妙に警戒してしまっているのでした。
あんまり頻繁に会って、ジョーが彼女を好きになったら困る。
自分はスリーと会って遊ぶのは大好きだったけれど、かといってジョーとナインがお互いに仲がいいかというとそれは微妙な雰囲気だったので、スリーとナインが揃ってやって来ることは少ないのでした。
だから、今日スリーが来るということはジョーには内緒です。もし言ったら、出かけたりせずずうっと居るのに決まっているのです。
それはおそらく、スリーに気があるとかそういうのではないだろうとは思いつつも、落ち着かなくなるのでした。
飛行機に乗ったら夜まで帰って来られないもんねー。いくら加速装置があっても。
我ながらいい作戦だわと頷くフランソワーズ。だって、ジョーを追い払ってしかも夜にはレーズンサンドを食べられるのですから。
と、思っていたのですが。
A
「ただいまー」
玄関から、彼の呑気な声がしたではありませんか!
えっ??
どうして?
きょとんと目を見開いたまま、リビングにやって来たジョー島村を見つめます。
「・・・ジョー?随分、早かったのね・・・?」
彼の手には、六花亭のレーズンサンドが入っていると思われる六花亭の紙袋がしっかりと握られています。
「飛行機で行ったんじゃ・・・?」
「うん。飛行機ね、キャンセル待ちだっていうから、面倒になって青函トンネルを使ったんだ」
青函トンネル・・・。
まさかそこを走るとは思わなかったフランソワーズは呆然。
「なんかいい匂いがするね。なに作ってるの?」
と、対面キッチンのカウンターに手をついて覗き込んできます。
「・・・あれっ?」
フランソワーズの隣にいるスリーを見つけました。
「スリー?」
「・・・あ、こんにちは、ゼロゼロナイン」
「やあ。――久しぶりだね」
カウンター越しに見つめあう形になっているふたり。
「今日はいったいどうして・・・」
質問しようとした彼の甘い声は途中で空中に消えてしまいました。
なぜなら、フランソワーズがキッチンからぐるりと回って彼の隣に行き、思い切り腕を引っ張ったからです。けれどもジョーは慣れているのかびくともしません。
「コラ。急に何するんだよ、フランソワーズ。腕が抜けたらどうするんだい?」
と、更にあまーい声で言ったりなんかしちゃいます。
「何って、ええと――そうよ、いい加減着替えてきたらどうなの?そんな格好でウロウロされても困るわ」
「なんで」
「だって、お菓子を作っているのよ。なのに走ってきたばかりの格好で手も洗わないで」
「ふうん?」
ちらり、と自分の腕を抱き締めているフランソワーズを見つめるとくすりと笑いました。
「・・・何よ」
真っ赤な顔で言うフランソワーズの頭をぽんぽんと撫でて、
「ヤキモチ妬きだなぁ、君は」
「え。や。妬いてなんか」
「・・・ふふっ」
フランソワーズが抱えている自分の腕をそおっと抜くと、改めて彼女を捕まえてしまいました。
そうして。
「――ちゃんとお帰りって言ってよフランソワーズ」
「んっ・・・だめよ、ジョー。スリーが見てる」
思わずジョーの顎を押し返し、キッチンにいるはずのスリーを気にします。
「大丈夫だよ。見てないから」
「え?」
確かに、キッチンにスリーの姿は見えなかったのでした。
B
――見つかったか?
思わず身を引き――そうして、再びそおっと室内を覗き込みました。
が、危うく目が合いそうになり――やっぱり体を引いたりして。
先刻からそれを繰り返しているのです。覗き込んだり、壁に張り付いたり。
傍からみれば、一体彼は何をしているのだろうと不審に思うくらいの長い時間をそうして過ごしておりました。
一体、彼は何を。
もしギルモア邸を観察しているひとが居たなら、おそらくとうの昔に通報していたことでしょう。
けれども、彼にとっては最もな理由があり、ここでこうしているのも苦痛ではなくむしろ楽しいとさえ思っているのでした。
(それにしても、何を作っているんだろう?)
フランソワーズとスリーが仲良くキッチンに消えてから、甘い香りが漂ってくるまで彼はずっと考えていたのでした。
(・・・なんだろう、よく知ってるような香りだけど・・・)
記憶を手繰り寄せても、全く手応えがないのでした。
何しろ、彼は「シュークリームが出来上がる工程」に接したことはなかったのですから。
いつもいつも、出来上がったシュークリームが彼を迎えるのでした。彼が行く時は、いつも。
そして、実は今日もそう言っていたのに――向かう途中で出かける彼女を見つけ、いてもたってもいられず――ここにいるのでした。
(全く、俺に黙ってどうして)
自分に内緒で出かける彼女なんて見た事がないのでした。
これは絶対、何かが起きている。そういう予感がして仕方がなかったのです。
すると、案の定――帰宅したゼロゼロナインは防護服姿であり、いかにもミッション中という雰囲気だったのでした。
(やっぱり、何かある)
フランソワーズがふたりで何かをしているのも怪しかった。しかも、自分に内緒で。
(・・・いったい何を作っているんだ?)
C
「――ナイン。何をしているの?」
背後から声をかけられ、ナインは飛び上がった。
「わ。え、あ、す、スリー?」
「そうよ?」
大きな瞳にじいっと見つめられ、ナインは視線を逸らしました。
「・・・ナイン?どうしたの」
「別にっ・・・何でもないよ。それより、スリーはここでいったい何をしてるんだ?」
「何って・・・言ってなかったかしら?フランソワーズとお菓子を作るから出かける、って」
「お菓子・・・?」
ちょこっと首を傾げてみたりして。
「そんなの、聞いた憶えは・・・」
あったかもしれないのでした。
確か昨夜、帰るときに何かそんなような事を言っていて、だから自分はここのジョー島村に伝言を――
「やだわ、忘れちゃったの?」
くすくす笑うスリーを見つめ、大きく息をつきました。
「・・・いや。忘れてなんかないよ」
「そお?・・・だったらどうしてここにいるの?それも、そんな格好で」
そんな格好。
赤いマフラーに白い防護服姿なのでした。
「どうして、って」
それは、彼女を追うのに加速したからなのでした。彼女に気付かれないように尾行するのは彼にとっては簡単だったけれど。
「昨夜、伝言まで私に託したくせに」
それを言われると弱いのです。
「ん・・・でもまあ、いいわ。ナインから直接彼に言ってね?」
「あ、ああ」
「中に入りましょう」
「え、でも・・・」
「もうすぐ出来上がるから。――食べるでしょ?」
それはもちろんだった。
D
リビングにスリーとナインが入ってゆくと、キッチンにいたフランソワーズは目を丸くしてナインを見つめました。
「――あらナイン、珍しいわね」
ね?ジョー。と、対面カウンターの前に陣取っているジョーに声をかけて。
ジョーはというと、未だに防護服姿なのでした。にこにことフランソワーズを見つめて。
「ね?ジョー」
自分から視線を外さない彼に、もう一度ナインが来た事を伝えたのですが――だめでした。フランソワーズの方しか見ていません。
「もう・・・ジョーのばか」
微かに赤くなりつつ、フランソワーズはシュークリームをお皿に盛りつけました。
その間に、リビングに来ていたスリーはナインをその場に置いてキッチンにやってきました。
「ごめんなさい、ひとり増えちゃったわ」
「ん、大丈夫よ。たくさん作ったし、それに・・・」
もともと、ナインの分も数に入っていたのでした。当然、スリーが彼の分を持って帰るために。
「それにしても・・・」
目の前のジョーと、隣にいるフランソワーズを交互に見つめ、スリーは小さい声で言うのです。
「・・・本当にあなたたちって仲がいいわよね?」
「あなたたちだってそうじゃない」
そう言って、フランソワーズが見つめる先をスリーが見ると、そこには顔を赤くしてちょっと怒った顔のナインがいたのでした。
が、スリーと目が合うとさっと視線を逸らせてしまいました。
「・・・ナインてば。そんなにシュークリームが気になるのかしら」
「――スリー。それは」
違うわよ。彼が見てたのはそれじゃなくて・・・と、言いたいけれど言えないフランソワーズなのです。
「フランソワーズ」
と、目の前のジョーに呼ばれ、フランソワーズは視線をナインからジョーに戻しました。
「なぁに?」
「――味見」
シュークリームを1個くれと言っているのでした。
「もう・・・手を洗ってからって言ってるのに」
「いいから。あーん」
どうやら手を使わずに試食する方法を思いついたようで――口をあけて待っているのです。
「もう・・・そのままかじったらクリームがほっぺについちゃうわよ?」
「いいから」
しょうがないわね、と彼にシュークリームを食べさせ、と、やはりかじった途端にカスタードクリームがむにゅっと出てきてしまったのでした。
「ああもう、ホラ」
フランソワーズが指先で彼の口元のクリームを拭い――そのクリームを舐めて。
「ん・・・上手くできた・・・かしら?どう?ジョー」
「ウン。美味しいね」
「・・・良かった」
対面カウンターの向こうとこちら側で。お互いに体を伸ばしてお互いの頬に手をかけて、そして。
E
(あーあ。またやってるよ)
ジョーとフランソワーズの姿を見つめ、ひとりリビングで小さくため息をついたナイン。
スリーはいったいどうしてるかとキッチンの方を見ると、なんと真っ赤になってどうしたものかとおろおろしているのでした。
(・・・可愛いなぁ・・・)
けれども、スリーに見惚れている場合ではありません。スリーを救出しなければ!
なにしろ、ここの島村たちは彼女にとって刺激が強すぎる――と、勝手に思っているからです。
「・・・スリー!」
大股であっという間にリビングを横切り、そしてキッチンにいるスリーの腕を掴み連れ出しました。
その間、ジョー島村たちは周囲に全く注意を払わず、完全にふたりの世界なのです。
(――ったく、ゼロゼロナインともあろうものが。いま攻撃を受けたらどうするんだ。隙だらけじゃないか)
横目でジョーを見つめて通り過ぎ――ようとしたところで、当のジョーと目が合いました。
さっきまで閉じていたジョーの瞳。そばを通るナインの気配に気付き、眼光鋭く睨むように見つめているのです。
――邪魔するな。
これがナインでなければ瞬殺なのですが、そこはゼロゼロナイン同士。
ナインは全く無傷で何のダメージも負わず、むしろそんなジョーを睨み返すのです。
(フン。いちおう、周囲に気は配ってるってわけか。――だが)
ぎゅっとスリーの手を引いて。
(もうちょっと気を遣えよな)
外に出てからも、繋いだ手のひらに汗をかいてしまっているのでした。
慌てて離し、防護服の裾で手を拭いて。
「・・・帰るぞ」
「えっ?だって、シュークリームが中に・・・」
「――取りに行ける?」
親指でギルモア邸の方を指します。ちょっと顔をしかめて。
「う・・・ん・・・。無理、ね」
いま中に入ったら、お邪魔虫以外の何者でもないし、更に言えばいま彼らがどうなっているのかもわからないのでした。
うっかり足を踏み入れて馬に蹴られたくはありません。
「ったく。客が来てるっていうのに節操ないな」
呆れたように言うナインに、スリーはくすっと笑い、
「でも、フランソワーズは可愛いから・・・」
そう言ったスリーを見つめたナインは、
「スリーだって可愛いじゃないか」
と、ポツリと言うのでした。
F
「もう、ナインったらまたそんな事言って」
本気にしちゃうでしょ?――というスリーの声に、軽く眩暈を覚えるナイン。
(・・・本気なんだけど。どうしてはぐらかすんだろうなあ・・・)
「いいから。――帰ろう」
少し憮然としつつ、改めてスリーの手を取り歩き出しました。
「あ、でも・・・」
「なに?まだ何かあるのか?」
「だって」
立ち止まるスリーにつられて一緒に立ち止まります。
「・・・なに?」
「だって、ナインの格好・・・」
そうでした。
赤いマフラーに防護服姿なのでした。
これでは外を歩けば目立つことこの上ないのです。
「・・・どうしてそんな格好で来たの?」
当初の質問を改めてするスリー。当然なのです。普通に来たのなら、普通の服のはずなのですから。
わざわざこの格好をしてきたということは何か事件絡みであって、スリーはそれを心配しているのでした。
「・・・別に。意味はないよ」
彼女を尾行するのに加速する必要があったからこの格好だった――とは言えないのです。
でも、見つかってしまった今は、別に言っても構わないことに気付いていないのです。
あるいは、気付いていたとしても――だったら何故尾行などしたのか訊かれるに決まっているので、その質問だけは避けたいのでした。
だから、この格好をしている理由は秘密なのです。
「変なナイン」
くすくす笑うスリーの手を、再び強引に引っ張り歩き出します。
「――そんなに目立つのが心配?」
「別に心配ってわけじゃないわ。ただ、目立つわよって言ってるだけで」
「・・・ふぅん?」
ちらり。
横目でスリーを見つめるナインの目には、何やら妖しい光が見えて――
G
「・・・スリー。いま着てるワンピースってお気に入りだったっけ?」
「これー?んー・・・ふつうよ?」
「だったら、燃えても構わないよね」
「えっ?」
「新しいの、買ってやるから」
言うと、ひょいっと彼女を抱き上げそして・・・・消えました。
H
さて。
その後、どうなったのかというと・・・
まず、新ゼロジョー。
スリーたちが遊びに来ていたのに、トンデモナイコトをやらかした罰で、お嬢さんの部屋に一週間立ち入り禁止の刑を宣告されておりました。
「えーっ。ちょっとチューしただけじゃないか」
「・・・ジョー。それ、本気で言ってる?」
「え。」
蒼い瞳が本気で怒ると、いつもは大好きな蒼が苦手になってしまうのです。
「チューだけじゃないでしょ?」
「それ以上はしなかっただろ?」
「そうよね。私が止めたからよね?」
「・・・う」
そうなのです。
カウンター越しにチューをしただけではあきたらず、更に彼女を抱き上げ(カウンター越しでもサイボーグなので苦もなく持ち上げることができてしまうのです)自分の側に引き寄せ、そして――彼女が言うところのトンデモナイコトをやらかそうとして、我に返ったフランソワーズに思い切りほっぺをむにーっと引っ張られたのでした。
「けど、止めるにしてもさ。やり方ってもんがあるだろう?もっと優しく言ってくれれば」
「そうしたらやめないでしょう?」
それはそうだったかもしれないので、ジョーは黙るしかありません。
黙って自分の両頬を撫でたりして。かすかに赤くなっているのです。痛いのです。
何しろ、手加減しないフランソワーズはけっこう怪力だったりするのですから。
もちろん、そんな事は口が裂けても言えませんけれども。
I
一方、旧ジョー・・・ナインは。
勝手にワンピースをおしゃかにした罪で、ギルモア邸の周り一帯の草むしりを命じられておりました。
「えーっ。ここに毎日来なくちゃいけないじゃないか」
「来ればいいじゃない」
ナインはここに住んでいるわけではないのです。が、広すぎるギルモア邸の周囲を完璧に草むしりするには、最低でも一週間はかかるはずでその間、通ってこなければならないというわけです。
「・・・メンドクサイなぁ・・・」
と、口では言いつつも何だか嬉しそうだったりもするのでした。

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