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「けんか」

 

 

「・・・寒くて眠れないの」

 

密やかなノックの音に、そこに誰が立っているのかじゅうぶん予期しながらジョーはドアを開けた。
そうして開口一番、彼女はそう言った。
ジョーの胸のあたりに視線を漂わせながら。
夜着の上にガウンをひっかけて。
裸足で。

 

「・・・そう」

 

ドアの枠に手を置いてジョーは言う。
こちらは上半身裸だった。裸足なのは一緒である。

 

「・・・で?」

 

びくんとフランソワーズの顔が上がり、ジョーと視線が絡み合った。

「寒かったら、暖房を消さないで寝ればいいんじゃない?」

フランソワーズはさっと顔を赤らめた。

「そうね。そうするわ!」

踵を返そうとする。が、ジョーに二の腕を掴まれ動きを封じられた。

 

「もう遅いよ」

 

真夜中だから。

逃げるのが遅いから。

ここに来たのが遅かったから。

どれを指しているのかわからない。
どれかひとつのようでもあり、全部のようでもあった。

ジョーはそのまま腕を引いて柔らかい体を抱き締めた。

 

「・・・ごめんなさい」

 

フランソワーズが言う。が、ジョーは口元に笑みを浮かべたまま何も言わない。

 

「ごめんなさい」

 

裸足の足の裏からしんしんと冷気がのぼってくる。
2月の真夜中のギルモア邸は冬の冷気に包まれていた。

「・・・ジョー。お願い、何か着てちょうだい」

風邪ひいちゃうわ・・・というフランソワーズの声は小さくて、冷たい空気に冷やされ消えてゆく。

「ねぇ、ジョー」

自分よりうんと薄着のジョーを気にする。
促すように身を離そうとするが、身体に巻きついたジョーの腕は緩まない。

ジョーはフランソワーズの髪に肩に顔を埋める。

「・・・ジョー?」

ジョーが小さく何かを囁く。
その声に、フランソワーズは頬を染めた。

「もうっ・・・ジョーのばか」

 

――きみとケンカすると僕はいつだって具合が悪くなるんだ。

治せるのはきみしかいない。わかってるよね・・・?

 

 

 

***

 

***

 

 

本当に風邪をひくとは思っていなかったジョーは、ベッドに寝かしつけられ至極不機嫌だった。

「どうしてフランソワーズは風邪をひかないんだ」
「さあ?日頃の行いの差じゃないの」
「解せないな。きみのほうが薄着だったのに」
「あら、ジョーのほうが薄着だったわよ?上に何か着てって言ったのに、いう事きかないんですもの」
「・・・薄着っていうのは、その後のことなんだけど?」

上掛けを鼻の上まで引き上げているジョーを見つめ、笑っているようなその瞳にフランソワーズはぱっと朱に染まった。

「――そんな事言うひとは、もう知りません」
おかゆでもお水でも、ご自分でどうぞ――とべーと舌を出す。

が、立ち上がる一瞬、ジョーの手がフランソワーズの手首を掴んだ。
手が熱い。

「行くなよ」

熱のせいか、潤んだ瞳。
先刻のからかっているような瞳とは違い、いまは――

「・・・もう。そんな顔するなんてずるいわ」

置いてきぼりをくらった子犬のような。
すがるような。
そんな瞳をされたら、全面降伏するしかないではないか。

「しょうがないわねえ。ジョーは」
甘えんぼなんだから。

「――別に」
甘えてなんかいないよ――と、怒ったように言って、上掛けを頭まで引き上げてしまう。
金色に近い栗色の髪が少し見えるだけ。壁の方を向いて背を向けて。

 

――素直じゃないんだから。

 

大体、ケンカの原因だって大した事ではなかったのだ。
今となってはお互い言いはしなかったけれど。

ジョーはフランソワーズの手首を握ったまま。
フランソワーズも手を解こうとはしなかった。

そのうち、眠ったのか――薬が効いてきたのだろう――ジョーの手から力が抜けてフランソワーズの手が自由になった。
けれどもそれが何だか寂しくて、フランソワーズはジョーの手を両手でしっかり包み込むと、頭をベッドにもたせかけそうっと目を閉じた。

 

***

***

 

 

「――で?ケンカの原因は何だったんだ?」

 

朝食の席でジェットが問う。
ジョーが風邪をひいて、その原因がフランソワーズとのケンカのようだ――と聞いては黙っていられない。しばらく不在にしていたため、そんな面白そうなことを見聞し損ねた彼は、その場にいたというピュンマに朝から食い下がっているのだった。

「くだらないから聞かない方がいいよ」

食事の手を止めず、さらりと答えるピュンマ。

「んなこと言わずにさあ。――ジェロニモ。お前さんもいたんだろ?」
「俺はいなかった」
「あそ。じゃあ、ハインリヒ。お前はどうだ」
「俺は奴らが何しようが興味ない」

極力関わらないようにしている彼は、苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
真相を知っていても、その場で全て見聞きしていても、言う気はさらさらなかった。

「うー。やっぱりピュンマしかいないじゃないか」
「だからさ」

ピュンマが手を伸ばして醤油を取りながら言う。

「聞かない方が幸せだって言ってるんだよ」
「何でだよ。こんな面白いこと俺にも分けてくれよ」
「だって、くだらないよ?」
「あいつらがくだらなくなかったことなんてあるのか?」

一瞬、その場にいた全員が考え込んだ。手を止めて。

が、すぐに時間は動き出す。

「ないな」
「ないね」
「だろ?だからさ、いいじゃねえか」

ピュンマは大きくため息をつくと、ジェットに向かって持っていた醤油をつきつけた。

「あん?俺は醤油は使わないぜ」
「そうじゃなくて。原因はコレ」
「はあ?醤油?」
「そう。あの日、ちょうど醤油が切れてたんだよ」
「それが?」
「それだけ」
「それだけえ?」

ジェットがみんなの顔を順番に見ていく。誰もがジェットの視線を受けると無言で頷くのだった。

「だっておい、・・・醤油でケンカすんのって何度目だ?」
「さあね。数えたくもない」

「5回目だ」

ジェロニモが静かに言って、全員の注目を集めた。

「だから、昨日醤油を一ダース買ってきた」

なら、しばらくは大丈夫だな――と、誰ともなく、空席のふたつの椅子を見つめた。

話題の二人は、しばらく降りて来る気配がない。
それはジョーが風邪をひいてから連日のことだった。