おハヤヤ様(1)

 

 

 小走りにバス停にたどり着いた美菜は、バスに乗り込んで、空いた席を見つけると、すぐにポケットから携帯をとりだした。フリップを開くのももどかしげに、素早く教えられた番号をたたき、通話ボタンを押す。液晶の画面に、今押した番号が点滅しながら流れ、しばらくすると、期待に満ちた美菜の顔に残念そうな表情が浮かぶ。  その姿勢のまま、ほんの数瞬、その画面を見ていた美菜は、やがて「切」のボタンを押すと、携帯をポケットにしまい込んで、ため息をつく。今日もダメみたい・・・。

 「おハヤヤ様」のうわさを聞いたのは、美菜が初めて携帯を買った翌日だった。友達に遅れること数年。親の許しが出てようやく手に入れた携帯は、友達がうらやましがった、新しいモデルの物だった。薄くて軽く、液晶の画面も見やすくて、メールも3000文字まで送れる。今まで馬鹿にされ続けてきた分を取り戻そうと(もちろん、早く使いこなせるように、という練習の意味もあって)、学校の友達やバイト仲間に電話をかけまくり、つながらない相手にはメールを送った。
 おかげで今月の請求額はどうなることだろう。そういえば、最初の月のお支払いには契約手数料も含まれますから、なんてお店の人が言ってたっけ。でも大丈夫。みんなも最初は使いすぎて、びっくりするくらい使っちゃうけど、そのうち落ち着いて大した事なくなるって言ってたし。
 もちろん美菜は、みんなの言う「大した事なくなる」というのは、金額が減ることではなく、金額の大小が気にならなくなる、という意味であることは知らなかったけど、そんなことも気にせずに、新しいおもちゃを手に入れた子供みたいに、夢中になって携帯を使っていた。天気予報も見られるし、ゲームもできるし。

 そんな美菜に「おハヤヤ様」の噂を教えてくれたのは、親友のさきちゃん。彼女にはもちろん最初に電話したし、ついでに最初のメールも送った。そうしたら、そのメールに書いてあったのが、その話だった。
 今、ちまたで噂の不思議な電話番号。「688688」の番号に連絡すると、携帯の画面にメッセージが表示される。そのメッセージに、今悩んでることとか、迷ってることの、良い解決法が示される、という話だった。 要するに占いみたいな物でしょ、と思って、 あとで会ったときにさきちゃんに聞いてみると、「そうじゃないのよ、美菜。」


 そもそも「おハヤヤ様」の噂が元々どこから出てきたのかは誰も知らない。もっとも大抵の噂はそういうもの。「おハヤヤ様」だって例外ではない。  携帯の画面を見ながら、「おハヤヤ様、おハヤヤ様」と頭の中で唱えながら、例の番号を入力する。そして通話ボタンを押すと、どこかに電話がかかり、液晶の画面に「お告げ」が表示される、というのが「おハヤヤ様」の噂の内容だ。通話することは出来ず、何も聞こえないし、話しかけても返事がない。ただ、画面に「お告げ」が表示されるだけ。

 だけど「おハヤヤ様」がすごいのは、その「お告げ」があまりにもぴったり来るってことだった。よくある占いみたいに、取り合えず無難に前向きなメッセージが出たり、「〜に気をつけましょう」みたいな、誰でも普段からそれとなく気を使っているようなことを改めて言われるだけのものとは全然違う。
 「おハヤヤ様」の「お告げ」は、電話をかけた人が今どんなことで困っているのか、ばっちりわかっていて、質問に答えてくれるように的確なのだ。時にはまるですぐ近くで監視してるんじゃないか、と思うくらい、具体的なメッセージだったりする。漠然としていたり、思わせぶりだったり、いかようにも取れるような曖昧な言葉なんかでもない。とにかくその「お告げ」が来た瞬間に、これから自分がどうしていいか、どうすればすっきり出来るかが、どんな人でもぴかっと閃く、というのだ。

 携帯の会社がやってるサービスではないから、お金はかからないし、説明書のどこにもそんな説明はないから、電話のおまけ機能でもない。文字が表示できる画面さえあれば、どこの会社のどの電話でも、「おハヤヤ様」にはかけられるのだ。電話がどこにつながってるのか、誰がメッセージを送ってるのかは誰も知らない。
 問題は、これがなかなかうまく行かなくて、念じ方が足りなかったり、「おハヤヤ様」の機嫌が悪かったりすると、「プーッ、プーッ」というおなじみの音が流れるだけ。もちろん画面にはなんにも出てこない。ようはタイミングと、「おハヤヤ様」をどれだけ信じて念じられるか、ということだ。ちょっとでも疑っていたり、遊びのつもりで番号を押しても「おハヤヤ様」は応えてくれない。

 「でも、一回つながると、あとは結構つながりやすいらしいよ」と言ってさきちゃんは話を終えた。途中から話半分で聞いていた美菜は、「へえ〜、そうなんだ」と気のない返事をした。よくある変な噂の一つじゃない。どうせおかげで人生ハッピーになった、という噂はいっぱいあるんだけど、誰もそのハッピーな人とは会ったことがないってやつ。話のなかではいい事ばっかりなんだけど、全部作り物で、実際は現実はそんなに甘くない。テレビでやってる通信販売のコマーシャル番組みたいなもの。箱の中の創り物の世界では、笑顔で一杯。もしかしたらこれだって、どっかの会社の手の込んだ宣伝かもしれない。

 なんて考えながらもちゃんとその番号と「おハヤヤ様」という名前だけは、一応しっかりと覚えておいてしまう自分が悲しい。もともと占いは嫌いじゃないんだけど、信じてるように思われるのもなんとなくしゃくに障るのだ。  ふと気になって、「さきちゃんはつながったことあるの?」と聞いてみる。ちょっと困った顔になったさきちゃんは、目線をはずして「うーん、それは内緒だよ」と笑顔を見せる。

 きっとさきちゃんもつながったことがないはず。彼女の性格からして、自分がそんな珍しいことに成功してたら自慢せずにはいられないはずだから。  結局その日はなんとなく世間話をして別れ、そのままおハヤヤ様のことはほとんど忘れてしまった。気になってはいたけど、試してみるほどの物でもない。実は2日くらい後にちょっとやってみたんだけど、ダメだったのだ。

 

(2)へ続く

 

 

 

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