ルーズソックスをはいた猫(2)

 

 

 その頃僕らにはとても仲のいい友達がいた。

 僕の方は、学校の同じゼミの男で、僕らは二人である歴史的な出来事について共同研究をすることになっていた。彼は、一年浪人しているため僕より一つ年上だったが、僕よりもずっと若く見えた。でも時折、彼の方が断然大人に感じられる時があって、僕はそれがたった一才の違いのせいだとは今でも思っていない。
 彼は僕よりも背が高くて、大きな目が、生き生きとした表情にあわせてよく動く、ちょっといい男だった。あまり服装に気を使わないような、さっぱりとした服装をいつもしていたが、実はとてもセンスがよくて、学内でも人気があった。同い年の、こちらはやや細目で、ショートカットのよく似合う可愛い彼女がいて、彼らはとても仲が良かったので、僕は二人を見ているだけで、ちょっと幸せになれた。そういうカップルが、時々いる。

 僕らが出会ったのはその年の4月。学年があがって同じゼミになったときだ。彼はあまり真剣に勉強をする奴ではなかったけれど、自分の責任はしっかり果たしたし、ゼミ長としてみんなをまとめることでは、その気持ちのいい人柄が十分に役立っていた。みんなの兄貴分みたいな感じで、いつも先頭に立っていた。

 僕らは最初の授業でたまたまとなりに座っていた。お互いにすぐ相手のことが気に入った。彼は写真家を目指していて、僕は絵を描くのが好きだったので、何となく話があって、学校からそう遠くないところにある海岸の話で盛り上がってしまった。よく一緒に飲みに行って、他の友達たちと彼の家で朝まで話したりしたりもしたし、学校が夏休みに入っても、たまに会っては面白い話はないか、とお互いに口をそろえていた。

 一方、「ルーズソックスをはいた猫」の方の友達は、同じマンションに住んでいる小さな女の子だった。マンションの中で動物を飼わせてもらっているのはうちだけで、彼はその子がマンションの階段で彼と出会って以来、ずっと彼女のお気に入りだった。まだ彼らが知り合って間もない頃、僕が学校から帰ってくると、二人が入り口のすぐそばで遊んでいたが、僕の見たところ、女の子が「ルーズソックスをはいた猫」の周りで遊んでいて、彼本人は、自分のそばをはね回る女の子の声を聞きながら昼寝をしているように見えた。でもそれ以来よく一緒にいるところを見かけるので、彼なりにその子のことを気に入っているらしい。一度彼女が「ルーズソックスをはいた猫」に会いたくて僕の家のチャイムを鳴らしたことがあって、僕が、彼はどこかへ遊びに行っていていない、彼はすごく気まぐれで、いつどこにいるのか全くわからないんだ、と言うとすごく悲しそうな顔をしていた。
 彼女は、僕のいとこの幼稚園に通っている女の子と丁度同じくらいの年で、いつも頭にリボンをつけていた。どうしてあんなにつれない「ルーズソックスをはいた猫」の奴を相手にしてあんなに楽しそうなんだろう、といつも不思議に思うくらい、明るくてよく笑う女の子だった。

 7月も終わり頃になると、「ルーズソックスをはいた猫」のファンである女子高校生たちも学校が休みになるために姿を見せず、ほとんど毎日のように彼はその女の子と遊んでいた(あるいは女の子が遊んでいるところで寝ていた)。100パーセント間違いなく彼は僕よりも女好きで、僕はよく知らないが、同族の女性にもさぞおもてになるに違いない。気取りや猫の面目躍如、と言ったところか。

 

 友達との間に事件が起きたのは僕の方がちょっとだけ早かった。その夏、僕は今時の学生には珍しく、後期の開始が待ち遠しかった。僕はその年の6月に、学校内の絵画コンクールのようなものに作品を提出していて、その結果が後期授業の再開時に発表されることになっていたからだ。僕は、春休みに旅行に行った北海道の高原の景色を元にして、抽象画と風景画の中間のようなものを描いて、それなりの自信作だった。まだ結果がでるのはひと月以上も先だというのに、8月の頭くらいから少しそわそわしていた。その頃の僕にとって絵は一つの趣味と言える程度の物だったが、それでもとても大事な趣味だし、できるなら多くの人に評価される方が嬉しいに決まっている。

 そんなわけで、8月の中頃、図書館に本を借りに学校に行ったときの僕は、暑さも手伝ってちょっとテンションがあがっていた。もともと特に一時間半もかかる学校まで来る必要はない本なのだが、もしかしたらもう結果がでているかも、とあり得もしないことに期待をかけて行ったのだ。だからほとんどなにも張り出されていない掲示板を真剣に見たときは、自分でも恥ずかしかったし、絵画コンクールについてなにも張り出されていなくても、ちょっとがっかりしたがおおむね平気だった。

 良くなかったのは、図書館である友達に会った時だった。僕は彼になんとなしに絵画コンクールの話をして、さっき感じた恥ずかしさを紛らわそうとしたのだが、彼が、大賞は別の生徒に決まったらしい、とつい漏らしてしまったのだ。
 僕は一気に気持ちが沈んで、自分が思った以上に今回のコンクールに期待していたのがわかったが、さらに良くないのは、まだ正式には発表されていないその結果を、学内の何人かの学生はもう噂として知っていた、ということをその友達に知らされたことだった。
 何で僕には誰もその噂を伝えてくれなかったのか、と問いつめると、彼はやがてあきらめたように僕の一番の友達である例の彼に止められたのだ、と言った。そんな話を聞くなり僕の頭の中は、彼によけいな気を使われて、かえって傷つけられた、という考えでいっぱいになってしまい、しばらく言葉がでなかった。

 事態がさらに深刻だったのは、呆然としていた帰り道の路上で、その彼に会ってしまったことだ。いつもの可愛い彼女が隣に立っていたが、僕はそんなことを目にも入れずに、ものすごい勢いで彼に怒りをぶつけてしまった。俺にだけ秘密にするなんて。みんなが知っていて自分だけ知らないなんて、なんて間抜けな話だ。俺は君に馬鹿にされたような気がする。友達だと思っていたのに。かえって惨めだ。と。
 彼は僕の剣幕に驚いたような顔をしていて、噂でしかない状態で伝えるのはどうかと思ったし、たとえそれが事実だったとしても、自分の目で結果を知るべきだと思ったのだ、と答えた。

 僕は頭の中がパニックになっていて、ヒステリーのおばさんみたいになっていた。彼の言い訳がまるで意味のないもののように思えて、さらに激怒をぶちまけた。結局彼はすまなかったとわび、僕はそれでも治まらずに、返事もせずに歩み去った。可愛い彼女が非難がましい目で僕を見ていたようだが、知ったことか。僕は暑さと落選の悔しさのせいで、完全に見境を無くしていた。もう大学に通い続けることすらいやだった。

 

 

 

(3)へ続く

 

 

 

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