読み週記 9月

 

第5週(9/30〜10/6)

 いつのまにやら、今年から9月以降は2、3週置きに月曜休みがあるんですね。連休が増えて嬉しい感じに見えながらも、曜日ごとの業務がある仕事の人は、月曜の出勤日が少なくてやりづらかったりしないでしょうか。
 そんなわけで来週も読み週記はお休み。しばらく休んでばっかりの気分を味わうことになりそう。

 神林長平『蒼いくちづけ』(ハヤカワ文庫)は、テレパスと普通人が入り乱れた世界を描くテレパスSF。というよりもかなりホラーっぽい感じで、特にジャンル分けにこだわるつもりはないけど、今までの神林作品とは多少違う感じがあるのは確か。87年の作品なので、特別「新機軸」というわけでもなさそう。認識や思考について長々と考えながら述べるような作品と言うよりも、むしろ感傷的なストーリーテリングに徹している趣がある。
 長く恵まれなかった人生で、ついに愛という幸福を手に入れたかに見えた少女が、衝撃的な裏切りで、殺意の思念を発する存在になってしまう、という物語。少女の衝撃の大きさや、<サイディック>と呼ばれるテレパス刑事OZなど、人物の背景が十分に語り切れていないあたりがやや消化不良。この手の物語にする以上は、もう少しその辺が書き込まれていて欲しい。

 どれを読んだのか忘れちゃったんだけど、「これは良い!」と思ったのに、同じシリーズのもう一冊を読んだら今ひとつで、それ以来手を出さずにいた、トビーとジョージの二人組が活躍するシリーズの第1作で、エリザベス・フェラーズのデビュー作でもあるという『その死者の名は』(創元推理文庫)は、改めて、シリーズの魅力に惚れ直す一冊。
 二人の登場編となるこの作品では、休暇に訪れた二人が、思わぬ事故で死んでしまった男の正体を求めて、小さな片田舎で捜査を展開する。クリスティっぽい雰囲気がぷんぷんする物の、二人組の探偵の造形は、定番ながら味付けが聞いていて楽しめる。
 思ったのは、結局このシリーズは、主人公の一人、ジョージの魅力だけが浮き立っていて、その他のキャラが月並みである点が問題なのかも。よって今作では、ジョージの妖しげな動きが満載なので楽しめた、という単純な感想はどうか。
 事件の当事者になるような人々が、我々日本人の一般の感覚からはずいぶん遠い社会階層の人々であるために、その世界独特の雰囲気やキャラクターが、今ひとつしっくりこないことが、このシリーズを十分に楽しめない原因なのかも知れない。そうでなくても質の高いシリーズではあるけど。なんにせよ、まだ読んでいない物も読みたくなったのは確か。

 

第4週(9/23〜9/29)

一週お休みを挟んでの読み週記。この2週間くらい、何があったのかさっぱりわからない。色んな意味で大荒れだったり大揺れだったり色々していたらしく、かなりあいまいな日々を過ごしているように思う。こういう波はしょっちゅうあるけど、こういう形で日記に近い物を書いているせいか、自分では気付いていないけど、今までになく揺れている可能性あり。もしくは祝日が続いて見当識を失いつつあるか。

 伊集院静『ピンの一』(幻冬舎文庫)は、去年くらいにジュンク堂で見つけて、「買わなきゃ」と思ったまま忘れてしまい、今に至った個人的マボロシ本。「ピン」というあだ名の、ギャンブルを取り巻く人々を魅了して止まない若手ギャンブラーが主人公。好みはある物の、ギャンブルの競技を選ばず広くこなす天才肌のギャンブラー。しかし、その個性は従来のギャンブル小説の主人公のようにクールだったり暗くはならず、むしろ人の輪を愛して止まない男なのだ。
 競技が固定されないギャンブル小説としての質の高さがあるが、なにしろ後半の物語の展開には唖然としてしまう。これはアリなの?作品として軸はずれてないの?と心配になってしまう謎本。

 とり・みき『SF大将』(ハヤカワ文庫)は、文庫化に合わせて初収録作アリ、大幅加筆アリのため、再読に近いけど書いておく。有名なSFの名作をパロディにした、短編マンガ集。原作を知らないとなにがどうパロディなのかわからないうえ、わかったところで、パロディになっているポイントがピンポイントだったりして、元ネタを知らなくても楽しめるはず。それにしてもこの人の絵というかキャラは、どこかヘンな感じが癖になりますな。

 このところ、どうも夜の読書に身が入らない。それはそうと、「夜の読書」って響きが妖しくていいですな。

 

第2週(9/9〜9/15)

 今年度が始まった頃だか今年が始まった頃だか、「今年は月曜休みが多いので、定例更新日の月曜が休みの日は更新もお休み!」と高らかに謳っていた事を今更思い出したが、更新日記でも予告し忘れた、という事で今週は更新。来週こそお休みである。誰のためにもならない凡庸な律儀さ。

 ベルハルト・シュリンク&ヴァルター・ポップ『ゼルプの裁き』(小学館)は、ナチ政権下で御用検事をしていた、戦後に司法職から退き、探偵として年を重ねていった男が主人公。新潮クレストブックスを意識したような想定に、「『朗読者』の原点はここにあった!」という腰巻きの惹句、そして題名の下に、題名と同じ色のフォントで「ベルハルト・シュリンク」と書いておいて、その下に小さく別の色で「&ヴァルター・ポップ」と共作者の名前を入れてるあたり、ちょっと阿漕な商売の香りが漂う一冊。別にシュリンクが中心になっていて、ポップはちょっと力を貸したくらい、というわけでもなさそうだし、やり方としてはちょっと失礼な気もするけどどうか。
 物語は現代。大気汚染と絡んだ、主人公と幼なじみの関係が戦中のナチ政権下での悪行によってその隠れた葛藤が明らかにされるストーリー。『朗読者』(新潮クレストブックス)に見られるようなシュリンクの味わいがあるのは確かだけど、ベースはミステリでもあり、共作者ポップの姿が見られるのも確か。内容からしても物語からしても、『朗読者』の名前を使って売るべき本ではない気がする。

 今週は一冊だけなんだけど、来週は更新がないのであえて、ついさっき、書店で<スペンサーシリーズ>の文庫の新刊、『虚空』(ハヤカワ文庫)を見つけて静かに大喜びしたことだけを書いておく。著者のロバート・B・パーカーや、主人公のスペンサーよりも、むしろ訳者菊池光の名前に一番興奮するような気がする。

 

第1週(9/2くらい〜9/8)

 夏休みをたっぷり風味でとった。週末を絡めてたので、案外短い休みだったけど、2日間は引きこもりを体験できたのでまあ良しとする。次は一週間を狙え!
 というわけで今週の読み週記は、夏休みにかけていろいろ読んで、どれがその週に読んだ本なのかさっぱり把握できないので、夏休み後半の、おそらく9/2くらいから、ということで並べ立てることに決定。

 夏休みを目前にして、3週くらい前に訴えた、シリーズ物ゲット作戦に乗り出す。ローレンス・ブロックの<マット・スカダー・シリーズ>は思いの外簡単に見つかったけど、フリーマントルの<チャーリー・マフィン・シリーズ>はなかなかそろえ辛そう。
 一冊だけ見つかったのが、『再び消されかけた男』(新潮文庫)で、原題の『CLAP HANDS, I HERE COMES CHARLIE』というのもふるっててイイカンジ。
 前作であっと驚く結末を迎えたチャーリーの後日談みたいな感じで、そのままシリーズの今後の姿が暗示される、シリーズ本格化の入り口のような物語。前作に劣らぬ中身の濃さで、チャーリーのテクニックを存分に味わう、という意味では、その流れが表に出ている分、楽しめるかも。このシリーズの問題点は、後のストーリーを書くと、一作目の衝撃のネタ晴らしになってしまうので、内容を全然紹介できないことだと思う。池袋ジュンク堂でも見つからなかった続編を積極的に入手していきたい。

 無事に入手できたブロックの<マット・スカダー・シリーズ>は、一日かけてシリーズの転回点であり、シリーズ中最も有名な長編第5作目までを一気読み。こちらは、ジュンク堂+LIBLO+アマゾンで揃いました。
 今回読んだのは、『過去からの弔鐘』(二見文庫)、『冬を恐れた女』(二見文庫)、『一ドル銀貨の遺言』(二見文庫)、『暗闇にひと突き』(ハヤカワ文庫)、『八百万の死にざま』(ハヤカワ文庫)の5冊。この後のものもあわせて、二見文庫はジュンク堂で、『八百万の死にざま』はたまたま置いてなかった様なのでLIBLOで(これはどこでも入手可だろうけど)、『暗闇にひと突き』はアマゾンで入手しました。揃ったときは感動したね。
 主人公は、元警官で、犯人を狙って外れた弾が少女の命を奪ってしまったことをきっかけに、警察を辞め、アル中の探偵となったマシュー(マット)・スカダー。世捨て人の様に、バーを渡り歩きながらホテル暮らしをしていて、税金や報告書を書く義務を嫌って、無免許の探偵をしている。本人曰く「ただ金をもらって人に便宜をはかっているだけ」とのこと。この口上と、少女を殺してしまった過去については毎回語られている、一つの決めぜりふみたいな物になっている。
 スカダーはとにかく暗い。そして回り道をしようが、間違った方向に進もうが、とにかく最後まで事件を追い続ける。軽口も叩かず、ただ酒を飲み、事件を追い続ける。そしてなぜかモテて、据え膳は時に躊躇しながらも食べ続ける、という明快な行動方針をかたくなに守る男だ。シリーズは『八百万の死にざま』へ向けて、スカダーが抱えている「アル中」という問題が徐々に浮き上がっていく形で進んでいく。
 おそらく、読者が必ずしも彼に共感するわけではないはず。むしろスカダーの行動でなく、その生き様に反感を覚える向きもあるかもしれない。それでいて、シリーズを追い続けていく中で、それでもスカダーの人生を追い続けてしまうのは、そこに、今の時代のヒーロー像があるからだ。強さでなく、自分の弱さと向き合う恐怖と戦う男の姿がそこにある。

 神林長平『宇宙探査機』(ハヤカワ文庫)は、初期の作品の復刊。<戦闘妖精雪風シリーズ>がアニメ化された事に合わせてなのか、神林長平フェアが開催中。その目玉の一つとして復刊されたらしい。のっけから「ぼく」と「わたし」による会話が行われたり、「?」、「!」などに見える謎の物体が発見され、平行宇宙を渉ることになる通称「脳天気中隊」の冒険など、無茶苦茶な世界が展開されながら、確実に神林テイストがあり、この著者が初期の頃から、他では見られないオリジナリティをしっかりと持っていたことがわかる。決してスタイルだけがウリの作家ではないが、一度読めばくっきり脳裏に焼き付く味わいが今に続いていることがわかる。そういえば<敵は海賊シリーズ>の続きは出ないんでしょうか。

 日本人作家強化年間が今年なのか去年なのか忘れてしまったが、ぽつぽつ意識的に日本人を読むようになって、ようやく少しお気に入りの著者に出会えるようになったような気がする。この著者がお気に入りになるかどうかはまだわからないが、気になる存在になることは確かなようだ。
 平安寿子『グッドラックららばい』(講談社)は、ある4人の家族の物語。現代の崩壊した家族像やら、失われつつある家族の意義をセンセーショナルに書く、「今時」の小説かと思いきや、これが止まらなくなるから不思議。もう夏休みも終わって、翌日は普通に仕事がある、というのに、結局一気に読んでしまった。「寝なきゃ、寝なきゃ」という焦りを頭の片隅で覚えながら、それでも止まらずに読み続ける、という楽しさは久しぶり。こういう時には「とにかく読まねばならぬ」という使命感にも似た想いで「アツく」興奮して最後まで読んでしまうことがあるが、今回はむしろダラダラと糸を引くように結局読んでしまった、というまったり風味。じっとりと入り込んでいつの間にか身体ごと乗っ取られてしまうようなエイリアン本、と言える。
 肥大した腰巻きみたいなカバーには、主人公となる4人の家族が小さく描かれている。北上次郎も注目していたと思うけど、「プチ家出から何年も戻ってこない母」、「ダメ男に貢ぐのが趣味の姉」、「まあ、いいじゃないかと様子見の父」、「立身出世に猛進する妹」と説明がついていて、それぞれの位置関係が家族画のように描かれているのが興味深い。読めば読むほど納得してしまう。
 物語の主人公は、この家族の構成員の誰でもない。くるくると視点が動く進行がテンポよく進んでいくが、主役は間違いなく、構成員の誰かではなく、この「家族」自体だ。
 とにかくとんでもない家族だ。高校卒業の時点で、すでに男(それも「地に足のついていない、バカで薄情で生活力のない男」がよい)に入れ込む人生を始めている姉が最初に登場する。しかし、家族の表面に出てくるのは、この姉ではなく、突然「今からちょっと家出しますから」と言っていなくなってしまった母親である。この家での仕方が人を食っている。そしてその電話を受けた父親が「ああ、そうかい」と答え、子ども達にも「まあ、そのうち帰ってくるよ」と平然と言ってしまうのだ。
 そんな家族の現状に腹を立てまくり、その悲劇性に慰めを求めるばかりにどんどん過激になっていく妹を含め、家族は、それぞれがばらばらでありながら、明らかに一つの家族としてのアイデンティティをもって暮らしていく。親類縁者、関係者を呆れさせ、腹を立てさせる。
それぞれがそれぞれのマイペースを貫き、自分放題に生きていく家族。極めてエキセントリックに描かれているようで、その実、ふつーの家族の物語と考えても不自然ではないのだ。家族の精髄を見事に描きあげた傑作。姉、積子のキャラが個人的なフェイバリットでした。

 といったわけで楽しい夏休みも終了。次に贅沢に時間を使って本を読めるのはいつのことか。とりあえず次の長い休みは間違いなく本の置き場所作りに費やされるはず。どうしよう。本当に場所がない。