エピローグ
『水晶の子ら』
「最近、やたらと行方不明事件が多いな」
煮詰まったコーヒーの臭いとタバコの煙が充満した編集室の片隅で出来上がったばかりのゲラ刷りを漫然と眺めながら、無精ひげの記者がそう呟く。その隣のデスクに座っていた同じくゲラ刷りを見ていた太ったカメラマンが、大量に砂糖を溶かし込んだコーヒーに口をつけながら応じる。
「最後の目撃情報が万座殿周辺っていう一連のアレか? やめとけ、やめとけ。そんなネタ追っても一文の得にもならん。なんたって―――」
「「クサカベ様が怒る」」
最後の台詞をハモらせて、記者とカメラマンは声を立てて笑った。
彼らとて一端の新聞屋としての誇りがある。しかし白凰市でクサカベグループに牙を向くほど、その誇りに固執してはいなかった。
「そのネタだったら、また奴が追っているんじゃないのか?」
太ったカメラマンが今は席にいない同僚記者のデスクに目を走らせると、無精ひげの記者は肩をすくめて首を横に振った。
「最近は奴も丸くなったって言うか、ちょっと前までの危なっかしさがなくなっちまったからな」
以前は周囲の制止を振り切ってクサカベの暗部に切り込んでいった同僚記者を思い出して、無精ひげの記者は安堵とも落胆とも取れる溜め息をついた。散々尻拭いもしたし、危ない橋も渡らされたが、彼はその記者の無鉄砲さが嫌いではなかった。褒められる回数よりも怒鳴られる回数のほうが遥かに多かったその記者は、今ではそれを逆転させて編集長の覚えめでたい記者となっている。その様子に、無精ひげの記者は一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。
「やっぱコレのせいじゃないの?」
太ったカメラマンがニヤけた表情で小指を立てて見せると、無精ひげの記者は肩を揺すって笑う。
「そうかもな。でも、奴があんなキレイな娘をつかまえるとは思ってもいなかったよ」
「ああ。まったくだ。えーと、名前はなんていったっけ? 何か珍しい名前の・・・」
「あー・・・セラ・・・世羅ちゃんだったかな?」
「おお、そうだった、かも」
この後、無精ひげの記者と太ったカメラマンの会話は下品な方向に流れつつも続く。
二人のデスクの上には白凰日報の明日の朝刊のゲラ刷りが、忘れられたかのように置かれていた。
ヂャリ、という靴底から伝わる感触。
そこは微細な水晶の欠片を敷き詰めた砂浜だった。立ち入る者とてないこの暗闇で、仄白い光を映して煌くその粒子は骸。欲深く水晶に魂を注ぎ込み、その身を破砕に供した愚かな犠牲者たちの成れの果てが、この水晶の白砂なのだ。
靴底でそれら粒子化した死体を踏みしめながら、英東児は仄白い光源へと歩み寄る。足元を這いうねる水晶色の蔓は、彼の歩みを妨げぬように左右に割れていく。そしてその蔓の基点にたどり着いて、東児は足を止めた。
「お疲れさん」
たった今4名の少女を水晶に変えたばかりの、白光を放つ蔓を備えた怪物に、東児は一仕事終えた同僚を労うかのような軽い調子で声をかけた。
「すごく咽喉が渇いちゃった。帰りに何か飲んで帰りましょ?」
光る蔓を音もなく収めた彼女が、そう言って笑う。それを見て、東児は思うのだ。欠け落ちて小さくなってしまった彼の正気の最後の一片に至るまで、この女に捧げようと。
「どこに行くか。トバーモリーはもう開いていない時間だが」
「リゼルポットで良いわ。ちょうど今、葡萄フェアをやっているはずだもの」
腕を絡めてきた女をエスコートするように、東児は歩き出す。
いつかきっと、自分も水晶に変わる時が来るだろう。しかしそれは、たまらなく甘美な瞬間の訪れを意味するのではないかと、最近、東児はそう思うのだ。
足音を聞きつけて、彼はビクリと背を震わせた。曲がり角から顔だけ出して様子を伺うと、人間の男女が腕を組んで地下街からの出口へと歩いて行く様子が見えた。
足音が聞こえなくなるまで身を潜めてから、彼は再び曲がり角から顔だけを出して路地を見通し、そこに何もないことを確認した。あの美味しい食べ物は、また今日もない。
一声ニャアとつまらなそうに鳴いて、ロクスケは万座殿の路地の暗がりにその姿を消した。
【スタッフロール】
キャスト
長内香織:へむれん
鈴原志郎:K2
英東児 :一人
帯刀祐二:哀・狂兄貴
出羽清虎:難波
久遠奨 :武士
主題歌
『Crystal Voice』“ACATSUKI”
企画・製作総指揮
有味 風
『クリスタル・ヴォイス』END