嗤いゑびす



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「……そう。分かりました。引き続きお願いします」
 白凰民俗資料保存協会の執務室にある椅子に腰かけた
日下部麻希は、そう言ってスマートフォンでの通話を終了した。
 協会に勤務していた事務員、須堂建次が失踪してからもう数週間が経つ。先刻の通話は、その彼の行方がいまだ不明であることの報告だった。
 直前まで彼が関わっていた案件の性質を鑑みるに、五体満足で戻って来るのは望み薄だろうと麻希は考えている。そもそも見つからない公算の方が高い、とも。
 麻希はデスクの上に置かれたノートパソコンを起動させると、未整理ファイルの中の1つをクリックする。それは協会が後援したが、諸事情により公開に至らなかった案件についてまとめた報告ファイルであった。
日下部 麻希

ライン
藁池 博
キーパー:11月の初め、皆さんがまったりと白凰民俗資料保存協会(SPHF)の事務所でお茶を飲んでいると、1人の若い男性が訪ねてきます。彼は國史院大学の二回生、藁池博(わらいけ・ひろし)という名前で、泰野教授の講義を受講しています。泰野先生にしてみれば、数多くいる受講生の1人ということになりますね。
泰野教授:特に印象には残っていないってことね。
キーパー:この藁池君によりますと、彼の故郷が結構面白い場所だとのことで、その話をSPHFに持ち込んできました。
泰野教授:「ふんふん」
村雨:「……それは?」
キーパー:藁池君の出身地は鬼別郡の三杜村(みもりむら)という場所です。

鬼別郡三杜村
 三杜村は徒島(かちじま)、凪島(なぎじま)、常島(とこじま)という3つの島で構成されている。
 徒島が一番大きく、かつては三杜村の中心だった。しかし、昭和初期に火山の噴火により壊滅的被害を受け、凪島へ全島避難を実施。それ以来、無人島となっている。徒島の火山は今でも活動しており、人は戻っていない。
 凪島の人口は約1,200人、常島の人口は約200人だが、病院、警察、それに火葬場などは全部凪島にある。そのため、常島では例外的に土葬が認められている。


村雨:「その三杜村に、民俗学的に面白い風習があるということかな?」
キーパー:(藁池)「はい。大きく2つ、面白い特徴があります。まず1つ目はお墓なんですけれども、両墓制を採用しています。もう1つは、旧暦の10月に行なわれる“ゑびす祭”という行事です」

両墓制
 日本の墓制習俗で、遺体の埋葬地と墓参のための地を分けることを指す。1人に対して埋め墓(葬地)と詣り墓(祭地)と呼ばれる2つの墓を作る。一般民衆の墓を対象にし、近世期以降に成立した。現在ではほとんど行なわれないが、両墓制墓地は現在も存在する。特に近畿地方で多く見られ、大正期から研究が行なわれ、両墓制の諸問題は民俗学の範疇となった。両墓制には一定の決まりはなく、遺体埋葬地と墓参用墓地の2つが特徴として挙げられる。

えびす講
 神無月(旧暦10月)にはえびす神(夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵美須)が留守神とされ、出雲で祀られる。この祭は1年の無事や豊作、商売繁盛を祈願するもので、えびす祭やえべっさんとも呼ばれる。祭は漁師や商人の集団で行なわれる一方、各家庭でも祀られることがあり、地域によって異なる特徴がある。東日本では家庭内での祭が強く、えびすに食べ物を供える行事として行なわれ、商業漁業や農業の神として祀られる。西日本では漁業商業を中心に集団で祭られることが一般的である。


キーパー:(藁池)「両墓制が鬼別郡(東日本)に残っていることになれば、ちょっと特異な分布になります。常島のゑびす祭は村を上げてやる行事ですので、ひょっとしたら今のえびす講のもう1つ古い形態の祭祀である可能性があるんじゃないでしょうか?」
泰野教授:1つ前の形式ってことね。
村雨:まさに民俗学で掘り起こす分野ですね。
キーパー:(藁池)「どちらをとっても民俗学的には面白い題材ではないですか?」藁池君は将来自分も常島に戻って、そこで働きながら郷土史家になりたいという夢を持っているほど郷土愛が強いみたいですね。で、昨年、藁池君の父方の祖母が亡くなったらしいんですが、その時に2つの風習の存在に気づいたらしいです。ちなみに、常島にある家はすべて、凪島にあるお寺「真念寺」の檀家なのだそうです。
須堂:ほほう。
キーパー:葬儀や盆の際に、お坊さんに凪島から常島に来てもらってお経をあげてもらうみたいです。藁池君の祖母の葬儀も真念寺の住職に来てもらって執り行なわれたんですけれども、その翌日には祖母の遺体は埋められた後だったそうです。どうやら、葬儀当日の夜に埋葬されたらしい。
須堂:「それは早い!」
村雨:「確かに。何かあるのかもね、常島の風習絡みで」
キーパー:ここでみなさん、〈アイデア〉ロールをお願いします(全員成功)。確かに「ちょっと早いよね」って思っていると、藁池君が何かを話すべきかどうか迷っていることに気づきます。
泰野教授:「もう少し詳しく教えてもらえないかしら?」と、〈信用〉で行けないですかね?(ロールは成功)
キーパー:そのように水を向けられれば「泰野先生であれば……」と前置きして話してくれます。藁池君も「早い」と思ったらしく、父親にそれについて聞いてみたら、「俺が死んだ時にはお前に頼まなくてはいけないから」と言って、渋々ながら教えてくれたそうです。確かに埋め墓と詣り墓は別なのですが、埋め墓がどこなのか、島の住民は誰も知らないそうです。
村雨:は? お祖母さんの、というよりも常島全体のってことですか?
キーパー:常島全体です。
泰野教授:「じゃあ、誰が埋めているの?」
キーパー:葬儀の夜、喪主は1人で遺体を前にして水を飲むそうです。その水っていうのは、亡くなった人の死に水を取る前に取り分けておいた、同じ水です。その水を飲んでしばらくすると急に眠くなって、寝込んでしまい、目を覚ますと翌朝になっており、その時にはもう遺体はなくなっているそうです。
泰野教授:はあ。なるほど……?
キーパー:藁池君の父親の考えは「一種の夢遊状態で遺体を運び出して、埋めに行ったんじゃないか」というものです。(藁池)「父には他言無用って言われましたので、常島に調査に来ていただいた際には、僕が話したことは内密にお願いします」
 続いてゑびす祭についてですが、これは常島にあるゑびす堂っていう小さなお堂で行なわれる祭です。常島にはこのゑびす堂以外には神社仏閣はありません。年に一回、旧暦10月20日に執り行なわれます。

常島のゑびす祭
 朝一番に島の住民が海辺に集まって、その日の朝に獲れた魚を生かしたまま海に放す(“放生”)。同時に1年間ゑびす堂に納められていた“ゑびす石”という石を、まわり神主が海に投げ入れる。神主は海辺にある石を代わりに拾って、翌年までの新たなゑびす石にする。その後、全員でゑびす堂に行って石を納め、祝詞を唱え、その後お堂の回りでみんなで飲食をするというもの。


泰野教授:「儀式だけやって、ちゃっちゃっと終わる感じなのね」
キーパー:藁池君によりますと、このゑびす祭には夜の行事もあるらしいです。たいていの村民は夜には疲れて就寝してしまうのですが、彼が小学校5年生の時、当日に熱を出して寝込んでしまって祭に参加できなかったそうです。その日、夜中にふっと目を覚ました時に、両親と祖父母が家を出て行ったことに気づきました。翌朝になってそのことを聞いてみると、「誰も外出していない」と言われたそうです。幼心に藁池君は「夜も何らかの行事があるのではないか?」と考えたとのことです。
 今年の旧暦10月20日というのは11月27日です。まぁ、その周辺ということで11月の第3日曜日に今年のゑびす祭が開催されるので、藁池君はそれに間に合うように23日の勤労感謝の日に帰省するとのことです。
泰野教授:「じゃあ、その時に我々も一緒に行けば……」
キーパー:(藁池)「準備の段階から見ていただけるのではないかと思います」
泰野教授:観光じゃないんだから、いきなり祭の当日に行くよりも、ちょっと早めに行った方が良いだろうし。
キーパー:鬼別郡の朱鉤湊町から凪島へは定期航路がありますので、これで現地入りできます。凪島から常島へは定期船はないので、藁池君の父親が漁船で迎えに来てくれるそうです。