#2a 情報開示
【情報開示】
プレイヤーの皆さんは今回のアクションに対するリアクションで知り得た情報を開示してください。方法はこの発言に対するコメント(RE:)の形でお願いします。
手に入れた情報、気になった出来事、出会ったNPCとその素性等、なんでも結構です。
最低一つは情報を開示して下さい。
香住 薫
いったい、なんだってあいつは僕に帰れなんて言うんだろう?
それに・・・
村はずれの墓地がどうとか言っていたけど、そこに何かあるのか?
・・・何かって何だ?
僕たちは、村の伝統行事のために帰ってきただけじゃないか
全く、どうしちゃったんだよ、夕貴。
楢須藤 竜一
厨子村に来た翌日。私は取りあえずまずは花婿花嫁に挨拶をすますべく祁堂の邸に向かった。
そこで意外なことに(と言うほどでもないのだが)天野信一氏と一緒になった。来るときのバスで一緒になった方である。この時期村に帰ってくると言えば目的は同じ訳で論理的帰結とも言えるが奇妙な縁である。
そして花婿の祁堂礼一氏に挨拶を済ませた。23歳とは思えない落ち着きぶり、名家の当主かくあるべしと言ったところのようにも思えるがそれだけでは無い。老成と言うか諦観というか…取りあえずそんな雰囲気を纏っている。
その後花嫁に挨拶に行く予定であったが、礼一氏が案内を買って出てくれた。
同席していた天野氏も含め3人で花嫁のお宅、香住の邸に出向いた。
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何というか…私の専門は人権問題ではないので多言は避けるが、これはあまりにも常軌を逸した光景である。
古く閉鎖的な集団ではまま風変わりな因習が存在する物では有るが…
そしてその因習に殉じようと言う礼一氏と人外の美しさを纏ったかに見える花嫁。
その二人の寄り添う風景はあまりにも常軌を逸していてそれ故に美しい。
…私はこの村に帰ってくるべきではなかったのかもしれない。だが私にもこの村の血が流れている。
天野 信一
今日は祁堂礼一氏と香住沙奈枝さんに挨拶をしてまいりました。
礼一氏はしっかりした・・・と言うか覚悟のできた人物のようです。
好青年なだけにツライでしょうね。心労で倒れなければ良いのですが・・・。
沙奈枝さんは・・・綺麗な方でした。
私の専門は外科ですので何も言えませんが、彼女が礼一氏と一緒になって少しでも幸福を感じることができるようになるよう祈らずにはいられません。
神崎 浩輝
およそ20年ぶりですから無理もないことなんですが、せっかくの帰郷だというのに、かつての村での生活、子供時代というのが全然思い出せないんですよね。
それも少し寂しい気がするので、何か思い出せれば、と自分の家を訪ねてみることにしました。
実家は長年人が住んでる気配はないようでしたが、保存状態が良くまだまだ十分住めそうな状態でした。親戚の方が管理して下さっていたのでしょうか。後でお礼を言っておかなくては。
そうそう、実家で同じく帰ってきていた幼なじみの女性と会いました。軽い挨拶だけでしたが、後でゆっくり昔話でもしたいものです。
では、これからお墓参りに行って来ます。
それでは、続きは帰ってから。
津島 幸乃
○月○日
今はまだ午前中だけど、今までのことをまとめておきたくなったので、筆をとっている。
昨日、この村に帰ってきてから、圭ちゃんと一緒にあっちこっちを見て回った。公園も、小川も、何もかも昔と変わって無くて、とっても、懐かしかった。でも、子どもを見かけることが一度もなかった。それが少し気になって、
今日は一人で村を回ってみた。圭ちゃんと一緒だと、何かとうるさいからね。私の前では、常識人ぶるんだから。
取りあえず、道行く人を捕まえて、少々強引に話を聞いてみたら、学校の子ども達は臨海学校に行ってるらしいことが分かった。分かってしまえば何のことはない、と思ったけど、小学校以下の子どもも居ない理由は、いくら聞いても分からなかった。どうやら、「夜婚の儀」は子どもには見せないしきたりらしい。
そういえば、「夜婚の儀」について、私は何も知らない。一体、何が行われるんだろう? 少し心配になってきた。
まぁ、気にするようなことでは無いと思うんだけど・・・。
朝倉 圭
昨日子供を見かけなかったことで、幸乃は今日も朝から村をまわるらしい。幸乃が強引に聞き込みをしているところが想像できたけど、止めたところで聞かないだろうし、それで喧嘩になるのはゴメン。だから、無理についていくのもやめておいた。
でも、子供がいないことは私も気になっていたから、逗留先で洗い物を手伝いながらきいてみた。答えは「児童は全員臨海学校に行っている」。でも、一瞬手が止まったのを私は見てしまった・・・。私が幼い頃剣道を習った先生も臨海学校に引率で同行しているらしい。会いたかったのにな。
話を変えようと、厨子夜婚の儀のことを訊いたのだけど、さらに重い雰囲気になってしまった。祭儀の準備は神社の方でほとんど済ませてくれるので、一般宅は祭儀当日にかがり火を焚いて祝う事が仕事らしい。大切なのは、厨子夜婚の儀の最中に厨子村にいることだって。
洗い物が終わって、誰もいない居間でつけっ放しのテレビをなんとなく眺めた。そこでふと気付いた。あれ? 思いつく全てのチャンネルが映る。こんなバス停の先の、更にその先の村で、こんなにも多くのチャンネルを、しかも鮮明に見ることが出来るものなの? なんかおかしいよ・・・。
玉木 司
現在の厨子神社の管理者、芦鷹家を訪問。御三家で神社の管理を回り持ちする。この仕組みは「回り神主」の制度と似ていなくもない。
幸い、当主の芦鷹真輔氏と会うことができた。
厨子耶様や厨子夜婚の儀について尋ねてみたが、私の調査は成果を上げない意の言葉を返された。
元より、綿密なフィールド・ワークを行うつもりはない。それには、もっと人数が必要だ。そして、恐らくは余所者は厨子耶婚の儀には参加できない。
そもそも、私は研究の為に厨子夜婚の儀に興味を持った訳ではない。
厨子夜婚の儀に興味があったから、宗教史学を専攻したのだ。
真輔氏によると、厨子耶様は村の繁栄の源であり、荒神だと言う。荒神と言うと、竈の神を想像してしまうが、印象としてはやや違うニュアンスのようだ。
そして、荒神である厨子耶様を鎮める為に行われるのが、厨子夜婚の儀である。
姫神(花嫁)を荒神(厨子耶様)に捧げる。これが、この儀礼の意味する所と言えるだろう。
花婿は荒神と花嫁を分かち合う栄誉ある役割、との事だが……。
ヒメ神。荒神。私にとって馴染み深い言葉だが、やはり違和感を覚える。まるで、ボタンを掛け違えている事に気付いていないかのような。
また、神社の鈴についても、ある程度は判明した。
厨子神社には、元から鈴が無いそうだ。
代わりになる物があり、それは厨子夜婚の儀の日取りが決まった時に、あの紐の先に吊るされるらしい。
最初は鰐口かとも思ったが、恐らく違う。厨子神社には、神仏習合の形跡が窺えない。明治以降の鄙びた田舎には間々ある事だが、その割には厨子耶様と言う独自の信仰が受け継がれている。
隠れ切支丹や隠れ念仏。そうした秘宗の匂いに近いのかもしれない。ヒメ神や荒神と言う、ポピュラーな言葉もカモフラージュには持って来いだ。
希望した神社施設の見学については、部分的に許可を貰った。
御神体の厨子は駄目。これは、当然だろう。神社の御神体は、見れない事がほとんどだからだ。本来、御神体とは神の宿るべき拠り代なのだから。
寧ろ「厨子は25年に一度、厨子耶様の合図があった時に開ける事になっている」と言う話が聞けた事は、大きな収穫と言える。
宝物殿の方は許可が出た。と言う事は、然程大事な物は無いのかもしれない。しかし、私の探しているものの手掛かり位は掴めるのでは、と期待してしまう。
ともあれ、先ずは見学させてもらってからの話だ。
何も無ければ、厨子の存在はより大きな意味を持つ事になるのだろう。