2010年 福建省(3日目)

 今回の旅行の最大の目的地、永定県へ行きます。これだけのためにツアーに参加したと言っても過言ではありません。

 永定県には客家(ハッカ)と呼ばれる人たちが造った土楼という建物が数多く建てられており、2008年に世界遺産に登録されました。(福建省だけで約3000戸!が現存)
 客家とは元々「よそ者」という意味があります。黄河流域に住んでいた漢民族の一部の人たちが戦乱を避けるために南へ逃れ、原住民族がその人たちのことを「客家」と呼んだことから民族名として定着したそうです。このように戦乱を逃れてきた経緯があるため、彼らの家(土楼)は外敵からの防御を第一に考えられていて、その多くは外部との出入り口は1ヶ所で1階部分には窓がありません。
 土楼は外周に3~4階建ての建物(現在の木造アパートですね)があり、2階以上が居住スペースとなっています。その中にはさらに幾重にも建物が並び、中心には先祖を祭る祖堂が設けられています。
 アモイ市から車で3時間。最初に訪れたのは「承啓楼」という土楼を中心とした高北福建土楼王景区。ここには承啓楼の他に、世澤楼・五雲楼・橋福楼・昇恒楼といった土楼もあります。
 承啓楼は現在も40世帯200人の方が住んでいて、世界遺産なのに生活臭はプンプンしています。ここに着くまでは色々と見て回ろうと思ったけど、人々が生活している様子を見てしまうと他人の家に”ズカズカと入って行く”ことができず、廊下から眺める程度になってしまいました。
 昔は完全な自給自足の生活をしていたそうなので、世界遺産に登録されてからは生活が激変したのでしょうね。今では観光客が大挙して来るため1階の空き部屋は土産物店と化しています。

 次に向かったのは永定客家土楼民族文化村。ここは先程の承啓楼よりも更に観光地化されていて、空き部屋をレストランや宿泊部屋として営業している所が多いです。
 ちょうど昼食時間だったので我々は「振成楼」という土楼にあるレストランで食事を取ったのですが、素朴な田舎料理といった感じでした。
 永定客家土楼民族文化村には多くの円形・方形の土楼があるのですが、中には山の傾斜を利用してポタラ宮のような外観をした「奎聚楼」や、最も小さくて(直径:約18m)1人で造ったと言われている「如升楼」があってバラエティに富んでいます。

 2時間ほど観光した後、アモイへの帰路についたのですが、途中で休憩を兼ねて漳州という街に立ち寄りました。
 ここは明の時代の街並みが残されているエリアがあって、しばしタイムスリップ。雨の多い気候のため、雨が降っても傘をささずに外出できる様に2階から上を2~3m迫り出し、その下を歩道としている建物が多いです。「所変われば建物も変わる」といったところでしょうか。

 ホテルに戻ってからはマッサージへ行きました。連れて行かれたのは、マッサージ屋と思いきや東洋医学専門の病院。そこの中医推拿科で治療を受けます。まぁ治療といっても旅行会社が観光客を連れてくるのですから、問診などはなく1時間のコースが決められているんですけどね。