奇跡の"Worm Hole"でソテジに会った!

8集シングル第2弾"Secret"発売記念ライブレポ

テジマニ!私設特派員 てじゃ・S

公演観覧(15日)―開演まで

翌日の公演は、座席で観覧。
前日の様子から、座席の場合は入場開始が17時以降と分かっていたので、ちょっとゆっくり目に会場へ。
本国マニアさんは2日のうちどちらかを観覧という人が多いようだったので、今日初めて来る人が大多数のはずなのだが、入口のレーザー光線や場内の垂れ幕への反応が昨日より薄い。
たぶん昨日のうちに、ネット上に各種の記事やらファンたちによる速報的な書き込みやらがあって、みんなだいたい様子を知っているからだろうな…。
そう考えると、公演二日目はネタバレしちゃっててやりにくい面もあるだろうなあ…などという余計な心配までしてしまう。

昨日はなかった垂れ幕もいろいろ。
「ちょっとかすめるだけの香りではなくて、あなたの一部になりたいです。」
というフレーズには、ぐっと来る。
ファンたちにとっては、ソテジという存在はもはや自分たちの一部だからなあ。
てじ様にとっても、それは同じはずなのだが…。
「ロミオ! ドアは開けたから、ただちに入って来なさい」というのもあって、クスっと来る。
これは、SBSの人気お笑い番組「ウッチャッサ」のワンコーナー「ウンイの父ちゃん」に出てくる決めゼリフの、たぶんパロディ。
私も密かに好きなので、8集カムバック特番でてじ様がイジュンギに「あれ好きなんだ、やってみてよ」なんて物真似させて喜んでいるのを見て、ちょっと嬉しかったのだ。
そんなことを思い出していると、隣の席のマニアさん二人組が、垂れ幕を見ながら
「ネンクム、オシュー。ネンクム、ネンクム。(今すぐ来なさい。すぐ、すぐ。)」
とふざけている。あははは、この口ぶり、やっぱりウンイの父ちゃんだ。

レポ用にとそんなこんなをメモっていると、隣の人が「もしかして日本から?」と驚いて、またいろいろと助けてくれる。
本当にこの国の人たちは親切だ。
皆さんに「良心の冷蔵庫」を贈呈したくなる。(その昔、コメディアンが市民の行動をこっそり観察し、行いの良い人たちに突然冷蔵庫をプレゼントする…というバラエティ番組があった。)
旅をすると「見知らぬ他者へのやさしさ」を思い出させてくれる出来事は多いものだが、ソテジマニアが集まる公演会場での感慨は、またひとしおだ。

公演観覧(15日)―フロントアクト

開演時間がやってきて、今日のフロントアクト一組目は"チャンギハと顔たち"。
今回の公演へのゲスト出演が決まるだいぶ前から、てじ様の記事を検索しようとするとなぜかこの人たちの名前があがってくるので、ある時期から気には掛かっていたのだ。
記事の見出しだけをざっと眺める分には、なにやら実験的な音楽をやっているとかで、「インディーズ界のソテジ(ワアイドゥル)」などと呼ばれて話題になっているらしかった。
時間がなくて動画ひとつチェックしないで来たので、彼らの音については、先入観も予備知識も全くない真っ白な状態で今日初めて聴くことになる。
(以下、曲名や歌詞の内容などについては、後日、レポを書くに当たって、正確な情報を確認した。)

登場するや、熱い拍手と大歓声で熱烈に歓迎される、チャンギハ氏。
これは相当な人気だ…。まずはその盛り上がりように驚く。(ちなみに演奏中にも、ステージ脇の大画面に彼の顔が大写しになる度に、会場からは大歓声が… こんなにすごい人気だとは!)
「えー、本日は、私たちのアルバム発表のお祝いにこんなに来て下さって、ありがとうございます」
と、飄々とした語り口で冗談を言うギハ氏。
ちょうど2週間ほど前に音盤を出したところだったとか。もちろん会場は大爆笑。

冗談はさておいて…と始まった一曲目は、彼らの代表曲"安物コーヒー"。
なにやらけだるげなGt.の前奏に、Dr.さんはボンゴをぽかぽか叩いて、脱力系のブルージーなナンバー。
ギハ氏はスネアをブラシで撫でながら、吐息のような合図で拍子を取り、これまた飄々と歌い始める。
「安物のコーヒーを飲む…。生ぬるくてオェっと来る…。
じめっとしたビニールの床材が、足の裏にニチャっとくっついてはがれ落ち…」
歌詞はその場では断片的にしか聞き取れなかったものの、初めて聴くその印象は、
ななななななんだこれは! なんなんだこれは!!
周囲の観客は、手拍子を打ってリズムを取りながら、早くも大喜び。
「ゴキブリが一匹、つつーっと通り過ぎて…」
のところで笑いが起こり、こちらが「ゴ、ゴキブリぃいい?」と呆気にとられているうちに、間奏のラップ部分へ。

歌よりさらにすごいラップ部分。
意外とつぶらなお目々をパチパチさせながらも無表情のまま訥々と続くギハ氏のラップは、ラップというよりは「語り」に近い。
いや、これは語りではない。なんだろう。そう、「ぼやき」!
これは、ぼやきなのだ。ぼやき漫才ならぬぼやきラップ。

洗面器に溜まったまま腐った水。
押し入れの中の、水が一杯になった除湿剤。
何やらやけに湿り気の多い陰鬱な世界を淡々と嘆き、飄々とぼやき続けるギハ氏のラップ。
「蚊をしとめた時の血がベチャッとついた鏡を見るたびに、ぅあぁ。といちいちビミョウに驚く…」
のところで、また客席から大爆笑が起こる。
顔色ひとつ変えずぼやき続けるギハ氏。これは一体!

ああそうか。インディ界のソテジと言われるのは、彼のこのオリジナリティあふれるラップのせいでもあるのか。
'92年当時、ほとんど不可能と言われていた(らしい)韓国語のラップを工夫して流行させ、すっかり定着させたソテジの功績になぞらえる意味もあって、彼はそのような名誉ある称号を授かったのかも…。

素直に感動しているうちに、MCを挟みつつステージはどんどん進んでいく。
牛の歩みのような押さえたテンポでファンキーなグルーブ感満載の2曲目、"な〜んもあらへんやんけ"とでも訳したくなる"アムゴット オプチャノー"。
ギハ氏がブレイクで見せる高度なスキャットにも舌を巻く。
3曲目は、原色衣装に金髪ウィグ+モード系サングラスというキッチュなファッションの女性ダンサー二人組「ミミシスターズ」を従えての、ジプシー風ナンバー"月が満ちて昇る、行こう"(タリ チャオルンダ、カジャ)。
間奏の雄叫び系コーラスに合わせて、ギハ氏とミミシスターズが揃って両手をひらひらさせる独特なダンスも、視覚的なインパクトが強烈過ぎてクラクラする。

しかし、どれも文句なしにカッコイイ。渋い。
ブルース的でもあり、なにやらカントリー風な印象もあり、どの曲のヴォーカルにも見られる例の個性的なラップめいた要素もあいまって、極めて土着的な印象を受ける彼らの音楽。
単純に洋楽の上澄みを摂取しただけではなく、もっと地に足の着いた、民族色の強い何かが息づいているような気もする。

'93年当時、国楽とメタルを掛け合わせた極めて実験的な"何如歌(ハヨガ)"で世間をビックリさせたソテジの試みは、今にして思えば、いわゆるフォークメタルと呼ばれるムーブメントの一環だったのかも知れない(北欧系のヴァイキングメタルに相当するものを、朝鮮半島の土着的な文脈でやると、ああなるのだろうか)。
しかし、それとも違うチャンギハらの音楽は、何なんだろう。
意図的な試みとしての「異質なもののコラボ」というよりは、むしろ、どうしてもにじみ出てしまう彼らの土壌的な背景が、この何とも言えない魅力を醸し出しているように感じた。

感心しているうちに、最後の曲となる。
4曲目、"平凡に生きてやる" とでも訳せばよいのか(直訳なら「これといったこと無しに暮らす」)、他の曲とはやや趣の違う、粘り気味な8ビートのDr.、うねるようなBa.、ゴリゴリのディストーションGt.で押しまくる"ピョリル オプシ サンダ"は、紛れもなくrock!!
MCで「学生時代にともだちと3人でソテジワアイドゥルを踊った。担当は、ヤンヒョンソク"社長"のポジション」と言っていたとおり、間奏では、なんとギハ氏、かの"Come Back Home"の振り付けを狂ったように踊りまくり…
これには、会場中が総立ちで大歓声。圧倒的なエンタテナーぶりを見せつけて、ステージを締めくくった。

いや、参った、参りました。これはやられた…。
前評判だけ聞いて抱いていた印象は、実験的である以上、下手をするとイロモノかキワモノ… そうじゃないとしても、まあたいがいの「実験的」には免疫が出来ていると思うが…と、正直、高をくくっていた。('80年代に、チャクラやハルメンズ、福岡ユタカのいるPINKなど、結構変わったものばかり聴いていたからなあ…)
自分では先入観はなかったつもりだが、彼らがここまで確かな音楽をやっているとは、夢にも思わなかった。
あのミミシスターズの強烈なビジュアルなどは、インパクトがありすぎて、一歩間違えれば奇をてらうだけのB級ものになりかねないところを、音の面でも全く遜色のないパフォーマンス。
チャンギハ個人の奇才ぶりが確かに目立つものの、バンドの演奏も、技術・センス両面で実はさりげなくレベルが高かったし。
(少なめの音数で緻密に絡み合うバンド全体のグルーブ感は、メンバー全員の抜群のリズム感が大前提なのだ。)
いやー聴けてよかった、直接体験できてよかった。これは思いがけない収穫だった。大満足!!


フロントアクト二組目は、"PIA"。
一組目がすごかったので、その後だと霞んでしまうのでは…などと余計な心配をしたが、彼らもなかなかの人気者。
チューニングの間に、キーボードのシンジ君がソテジワアイドゥルの"ノエゲ"のイントロをちらっと弾いてみせるイタズラも…
当然、客席からは大歓声。続いて「歌え! 歌え!」の合唱が起こるや、シンジ君はおもむろにマイクに口を寄せて
「あにゃせよぉ〜、テジんでよ〜」と、ソテジの声真似まで! 場内、大盛り上がり…
昨夏のETPで彼らのステージを初めて見た時も、キーボードの彼は相当なお茶目さんだなあ、と思ったのだが、相変わらずのやんちゃぶり。そして、なかなかのサービス精神である。
何よりも、先のチャンギハのダンスといい、この物真似といい、やはり彼らは「ソテジのこどもたち」なんだなあと感慨深い。
時代を共有するというか。
バックボーンには、必ず「ソテジとこどもたち(ソテジワアイドゥル)」の存在があるのだ。絶大な原点として。

そんなイタズラのうちにチューニングも整い、PIAのステージが始まる。彼らも4曲。
最初の2曲、Gt.の重めのカッティングは、私の好み。
固めのスネアが、芸の細かいフィルを多用する16ビートのドラミングによく合う。
Dr.のヘスン氏は、てじ様の"MOAI"と"Human Dream"のレコーディングに参加したとか。
彼だから軽々とやってのけたあの複雑なパラディドルを再現するために、ソテジバンドのDr.ヒョンジン氏が「コマ状態」(無力感にうちひしがれることを、ふざけて言うらしい?)に陥った…という逸話も、十分理解できる。
てじ様をして「韓国最高のドラマー」と絶賛させるだけあって、さすがに腕は確かだ。
ロックバンドにしてはきらびやかな、それでいて出しゃばりすぎないKey.も含めて、実にバランスの良いバンド。
安定したステージングで聴かせる、彼らもまたある種の正当派…
健全なrockというか。まっすぐなrockというか。ひたむきさを湛えているのだ。
てじ様がインディシーンにいたこのバンドを見出してプロデュースを手がけようとしたのも、その意味で理解できる。

3曲目、舞台後方の幕だか壁だかに映ったメンバーの影を、カメラがずいぶん長いこと写しているシーンがあった。
ステージ後方の大画面になぜか影が写り…そういう演出かな?と思ったら、突然、我に返ったように大慌てで本人の姿を追ってうろうろ。
カメラさんとスイッチャーとの息が合っていないためだろうか。
もしかして、カメラマンがひとりで複数台のカメラを操作しているとか?
まさか、上の空で演奏に聴き入ってしまい、仕事がお留守になった?
座席で全体を見ているせいもあるのだが、カメラワークのまずさがかなり目立ったのが気になった。
(実はこれはテジ氏のステージでも少し感じたことだったのだが…)

最後は"Black fish swim"で締めくくり。ETPでも、これを最後に持ってきてたんだったかな。
ファンキーなGt.のリフが大暴れするこのナンバーは、彼らのまっすぐさが一番出ている曲。
客席のノリもよくて、すがすがしい気持ちよさ。
両日とも、ゲスト二組のうち一方が「分かりやすい」正当派のバンド、もう一方がちょっとくせもの…というヴァリエーションだったのだな、と実感。
よくできた構成、うまいセレクトだなー。そんな納得のうちに、フロントアクトのステージは終了。

昨日と同じく巨大なカーテンが降りて舞台が設営の準備に入ったあたりで、客席左手を中心に拍手と歓声が沸き起こる。
なんだ?と思って見上げたら、出番も終わってすっかりくつろいだチャンギハたちが、MCでの宣言どおり、観客にまじっててじ様のステージを見るために座席にやってきたところだった。
例によって、ちゃんと自分たちでチケット取ったんだろうな。
これ以降は、彼らも観客のひとりとして楽しむのだろう。
同じ時間、同じ空間を共有することの不思議さに浸りつつ、開演を待つ。


公演観覧(15日)―てじ舞台

初日と同じ段取りで始まった、てじ様ステージ2日目。
昨日はスタンディング最前列で舞台が近すぎてかえってよく分からなかったあれこれも、今日はC11エリア最前列からゆっくり眺めることが出来る。
セットリストや曲間のトーク、曲の導入コメントなども、大略は初日と同じ。
以下は、初日分のレポとは視点を変えて、昨日と違ったところや特記事項を中心に…

盛り上がってるね!」とのっけからご機嫌なてじ様。
あっ、よく聞き取れる! ちょっと安堵する。
昨日は、実はかなりの部分が現場で聞き取れず、帰り道に本国のマニアさんにいろいろ教えてもらったり(後日メールをくれたマニアさんも)、夜にホテルのPCからネット上の速報記事に目を通したりしつつ、
「ああ、そう言えば確かにそんなこと言ってたわ…」とか
「あの話は、そうつながってたのか〜」なんてあれこれ復習して、ようやく全体が分かったのだが、今日は大丈夫かな?
それでも、てじ様が例によってふにゃふにゃ喋る上に、やや過剰なエコーの掛かった音響のせいもあって、やはりなかなか聞き取りづらい。
てじ様の問い掛けに、ところどころ「ネーー??」と聞き返すファンがいたり、
「えっ…いま、○○って言った? 言ったよね?」と周囲に確認するファンがいたり。
本国のファンですら聞き取りにくいのだから、せめてトークタイムくらいはもう少し固めの音響処理にしてもらえないものだろうか orz

老婆心で気にしていた「ネタバレ」の件は、確かに、"Take 5"の時に黄色い紙飛行機が飛んでいたり(この曲をやると知って準備したものだろう)、MCタイムに客席が次の曲名を先走って叫んでしまうような場面も、あったことはあった。
けれども、ネタバレを逆手に取るようなMCもたくさんあって、この人はやっぱり頭いいんだなーと思ってしまう。
「ツアーまでに体力付けとかないと相手にして(遊んで)やらないよー」とやって、客席が
「遊んでよ! 遊んでよ!(ノ・ラ・ジョ! ノ・ラ・ジョ!)」と騒ぐと、すかさず
「遊んでって…こどもじゃないんだからさ。1集当時と違って、もうみんないい大人なのに」と切り返し、それを
「それじゃあ1集時代に戻ろうか」と"イジェヌン"の導入につなげたり。
(ふふふ、今日は「何集時代にもどりたい?」などとうかつに聞くことはしないんだ…。意地でも「シナウィ! シナウィ!」の大合唱だけはさせないつもりだな…)
シングル2はどの曲が好き?という問い掛けでも、客席のワーワーをしっかり拾って
「全部良いって? …昨日は、あれがいい、これがいいって、みんなそれぞれ言ってたけど?」と笑わせたりとか。
凝り性ゆえかとにかく作り込んだステージを見せるので、リハの映像とシンクロさせられるくらいキッチリした「段取りどおり」の本番をやっちゃう人なのだが、機転が利かないというほどでもないらしい。
そうやって、客席とのやりとりを楽しみながら、ファンたちと一緒に作っていくステージは、まさに「デート」。
だいたい、ネタバレして事前に何を言うか知ってたって、やっぱり
「宇宙連邦捜査隊に認定するよ」とか
「あの写真、僕じゃない!って信じたかった人〜?」なんかは、実際に直接言ってもらいたいよね…、2日目のお客さんたちだって。

昨日と違う点もいくつか。特記事項もいくつか。
"Take 5"の前には、説教だけではなく、実際にジャンプの練習タイムがあった。これがまた楽しくて!
ZEROライブでうまく跳べた"死の沼"のサビと、"Take 5"の前奏とを順番に、Dr.のヒョンジン氏に正確なテンポで叩かせながら、同じ調子でちゃんと跳べよ〜!と号令…
会場が一体となってジャンピングトレーニング。
目の前が通路なので、空間に余裕もあって、張り切って跳んでしまう。

昨日と違って、てじ様からのキャンディは入場時に受け取る段取りに変更されていたのだが、"イジェヌン"の後で
「サ・ラン・ヘ(愛してる)! サ・ラン・ヘ!」の大合唱を受けて、
「昨日はホワイトデーだったけど、今日はなんも関係ないじゃん…なぁにがキャンディだよっ」
とまたまた照れ隠しのような憎まれ口も。どんだけ照れ屋さん…と、またしても笑みがこぼれる。
それでもなおやまない「サ・ラン・ヘ!」の大合唱に、てじ様は…
口をヘの字に結んで、まるで駄々っ子のように、両手をブラブラさせながら体をねじるようにゆすりつつ、しばらくモジモジしていたかと思うと、
「…昨日はホワイトデーということで(サランヘを言ったけど)…、今日は…感動をたくさんもらったから。」
と言い訳のように前置きして、やっとのおもいで絞り出すように、でも意を決したようにキッパリと、
「…サランヘヨ(愛してるよ)」。
…て、てじ君!! 愛してるを言うのに、言い訳も理由も要らないよ!! どんだけ照れ屋さーーん!!

後日、本国のファンが、敏感にもこの場面を評して
「今までだって、舞台の上から私たちに何度も言ったセリフなのに、なんであの日はあんなに恥ずかしそうに言ったんだろう?」
と書いているのを見かけたけれど、まさにそんな感じ。
ジュリエットに逢って、本当の愛を知ってしまったからでは…などと、あれこれ想像。
ソテジワアイドゥル時代に、金切り声を上げて「オッパ、サランヘヨーーー!!」とわめき散らしていた少女ファンたちが、4年半の時を経て、お年頃の「いい娘さん」になってから、てじ様のカムバックを迎えた時…
本当に照れくさそうに、気恥ずかしそうに、カメラに向かって「サランヘヨ…」とエールを送っていたことを思い出す。
「サランヘヨ」は、重みを知ると、なかなか軽々しくは言えなくなることばなのだろう。

「もう一回言って!」の声もあがったりして、ぎゃあぎゃあ騒ぐ客席に向かって、てじ様は
「あ、男子ファン? 男子ファンのみんなもサランヘ〜。」
と配慮を示した後、2階席にいる私の方向に向かって
「お父さんも、サランハムニダ。」とおじぎをペコリ。
これにはちょっと驚いた。
ちょうど私の真後ろに、中学生くらいのお嬢さんを連れたお父さんが、親子連れで来ていたのだ。
当てずっぽうに適当な方を向いて適当なことを言ったのではなくて、客席のどのあたりにどういうお客さんが来ているか、事前に楽屋でモニターしてしっかり把握しているらしかった。
きょろきょろして垂れ幕の文句をメモっているところなんかもチェックされていたのだろうか;

この日は他にも、2日目限定のサービスが満載。
冒頭のただいまの挨拶で、「あの音声、聴いたでしょ?」と言ったあと、「ハァ、ハァ」と荒い息づかいを再現して見せた時には、耳から鼻血が出そうになった。あれで失神者が出なかったのが不思議…
もう17年も前になる1集時代が懐かしいね、と言った時は、
「あの頃はみんな…(こうだったでしょ、と言わんばかりに)」
と、額のところのパッツン前髪の線からおかっぱ風の輪郭を指でなぞった上で、メガネのフレームのように手で作った丸い輪を両方の眼の前に置いて見せ、オールドファンをもだえさせ…

そうやって、ともに過ごした日々を振り返りながら、一緒に楽しむ濃密な時間。
音楽(活動)は「僕たちがともに生きていく理由」だと、真夏の徳寿宮デートで彼は言った。
明洞デートもそう、今回の公演もそう。クリスマスメッセージでもはっきり「デート」と呼んでいたとおり、記者会見や事前録画を含めて、ファンと間近に逢える場は、てじ様にとってはデート以外の何ものでもなく…

彼にとっての恋人は、音楽であり、ファンであるのだ。
今までもそう考えられてきたし、てじ様自身も以前のインタビューではそのように答えている。
今回、マイクを向けられたソクチュン氏が、ファンたちに向かって「兄嫁の皆様〜、」と呼びかける場面があったのも、それが前提。
恋人というのは、女性ファンだけではない。
男子限定ファンサークルの垂れ幕には、男子ファンたちもてじ様の「妻」と認定されている旨、実に誇らしく明記してある。

そんな濃厚なファンとの蜜月状態の中、てじ様が特定の女性に気持ちを向けること、ジュリエットに心奪われることは、ファンにとってはそれなりにショックな、ある種の「裏切り」になるのでは…
ジュリエットに逢えたのに、ファンたちが捜査隊になって、てじ様を地球に連れ戻してしまう…その物語に何らかの寓意を読み取るのは、深読みしすぎなのだろうか。
いや、連れ戻されても、惑星が一列に並ぶような奇跡が起こったら、彼は再びジュリエットと逢うことになるらしい。それも、ある日、突然。
彼はそれを待っていると言う。奇跡が空いっぱいに広がる日を、心待ちにしていると歌う。

今回の公演では、「彼女」のお披露目はもちろんなかったが、彼のヒミツの全容が明かされることもなかった。
まだまだファンに教えてくれないヒミツが、てじ様にはたくさんあるようだ。
それは、8集活動の後半を通じて、追い追い明かされるのだろうか?
ヒミツを明かされることには、「裏切り」も含まれるかもしれない。
ファンにとっても、それなりの覚悟が要ることだろう。
(もちろん当のジュリエットにも、相当な覚悟が要求されることに…)
“Human Dream”で彼が投げた「覚悟は出来ているかい?」という問い掛けを思い起こしながら、公演が終わってからもずっとそんなことを考えていた。
ソテジと、ファンと、ジュリエット。三者が織りなす、トライアングル。
私は… 覚悟なら、出来てるよ。てじ君。あなたの幸せを、第一に願っているから。

後記―8集活動後半への期待にかえて

帰国して数日、仕事の合間を縫って公演レポをちまちま書き綴っている時、シングル2のジャケットデザインに関する記事が出た。
赤いジャケットの、髭をたくわえたキングの図柄。トランプか、タロットか…この図柄は何を意味するのか。
気になって周囲の占いに詳しい人に訊ねてみたりもしたのだが、よく分からなかったのだ。
デザイナーの説明によれば、あのカードは、「裏切り(背信)」を示唆するものだという。
キター…。眼を閉じて、思わず深呼吸してしまう。また予想が当たりそう…?
信じていた人の、慣れ親しんだ姿とは違う、別の面。それに気付いた時の、裏切られた感じ。
それが、あの上下で微妙に違うキングのカードなのだとか。
彼が「もう一つの顔」を見せる日は、近いのだろうか…。
やはり目が離せない人だ。


レポの最後に、余計なことを少々。
長々書き綴ったとおり、ゲストのステージも充実していて、ソテジパートもみっしり濃密だった、今回の公演。
音響やカメラなど多少の不備もなくはなかったが、円筒型大画面をはじめとする機材の導入も目を引いた。
大画面に投影される映像もかなり凝っていて、相当な予算と手間が注がれたものだと感じられた。
ステージ上でのてじ様がいささか憔悴しているように見えるのもちょっとだけ気になった。
きっと凝り性の彼のことだから、根詰めて準備に全精力を注いだんだろうな…。
その分、クオリティは高い公演だった。韓国初の3Dライブ映像として、後日、彼の名が冠せられた映画館で上映されるとかいう話もあるが、それに十分堪えうる内容を目指したのだろう。

後日、本国の記事をざっと眺めていたら、今回の公演に対していろいろな批判めいた指摘も見受けられた。
曰わく、曲数が少なすぎるだの、歌っている時間に比べておしゃべりタイムが長いのではだの…、果ては、
「全12曲の公演にしてはチケットの値段が高すぎるのでは」
などといった批判も出ていた。
ああ、いつかどこかで聞いた話と同じだ…そう、10年前の"ランニングタイム論争"とそっくり。
(5集アルバムへの酷評… 曲数が少ない、全28分は短い、それをこの値段とは高すぎる、云々。)
あれから、なにほども進歩していないのだろうか。かの国のマスコミは…。少なくとも、音楽的なクオリティという観点は、まだ十分育っていないらしい。

常に自己研鑽と挑戦を繰り返す努力家ソテジの音楽は、ヴォーカルスタイルひとつとっても、さらなる進化と深化を遂げている。
8集で特に表現性を増したヴォーカルでは、ファルセット(裏声)とクリーキーボイス(声門の閉鎖を伴った、ある種のりきみ)の使い方が絶妙だ…
そんな指摘や分析は、ネット上に出回る本国の記事を見る限り、まずお目にかかれない。
楽曲のジャンルの名称、ファッション面、ジャケットのコンセプトにMVのストーリー…
ソテジカンパニーからの公式発表を、ただ右から左へ流すだけ。
それは「報道」であって、「言論」ではないだろう。
もちろん、韓国でマスコミのことを「言論」と呼ぶのは、習慣から来る惰性のようなものではあるのだが。
まあ、芸能ニュースばっかり見てるから、そんな記事ばかりに思えてしまうのも仕方ないか。

韓国にも、洋楽メインだがロック専門誌のたぐいがある…という話は、現地留学もした音楽通のテジ友に教えてもらった。
音楽フリークが集まるネット上のコミュティなどでは、もう少し専門的な批評なども行われているのだろう。
そういうところでの、音楽的な観点からの分析・批評と、一般的なニュースや記事とを橋渡しする役割を担ってくれる人は、あまりいないのかなあ…。
音楽評論家の肩書きを持つ同じ人物が、ソテジ関連の特集番組にしばしば顔を出すことも、知ってはいるが…
日本で言えば渋谷陽一や萩原健太のような、大衆音楽の潮流をそれこそ「言論」の面でリードし、支え、広く世間に伝えるプロは、韓国では職業としてまだ十分に熟してはいないのだろうか。
これだけロックが一般に浸透してきて、ライブハウスが栄えたり各種のロックフェスが開催されるようになって、若い世代のバンド人口が増えても、相変わらず一般的なニュースや記事では「芸能人」扱いのソテジ…。
公式発表の「報道」以外には、音盤の売り上げ枚数だの、公演チケットが何分で売り切れただの、商業的な面でのゴシップばかりが、同一内容のコピペ記事としてハウリングを起こしながらネット上に漂っている。

クオリティ追求のための事前録画方式に対する「特別待遇」批判もそうだが、相変わらず苦労しますね、テジ氏。
「芸能人」ではなく「音楽人」として、適切な評価の枠組みで、正当な評価を受ける…
ミュージシャンにとってはとても大切なはずのそんなことが実現するまで、まだまだ彼にはやることがたくさんあるようだ。


後編(15日分) 2009/3/28 12:32:09 脱稿、2009/4/09 22:33:39 校了