奇跡の"Worm Hole"でソテジに会った!

8集シングル第2弾"Secret"発売記念ライブレポ

テジマニ!私設特派員 てじゃ・S

公演日程決定 〜 渡韓・「あのワームホールへ」!

昨夏7月末、4年7ヶ月ぶりに新譜を発表して8集活動に突入したソテジ。
第1弾のシングル発売に先駆けて、彼はこんな問いを投げかけていた。
世の中の、何が真実で、何がウソなのか―君はそれに気付いているかい。それを見極めたかい。(Do you see the lie? Do you see the truth?)
そして、君は何を選ぶんだい。(What is your choice?)

その答えはここにある(The answer is here.)、と戻ってきた彼を見て、ある友人が私に言った。
時々、ミュージシャンという仕事をしている人は、とんでもないヒミツを知っているのではないか…
と思うことがある、ソテジさんも、宇宙の仕組みやヒミツを知っていそうですね、と。
確かにテジ氏の世界観は、その恋愛観と並んでなかなか独特で、常人には理解しがたいものを持っているのは確かだが…
彼はいったい、どんなヒミツを握っているというのだろう。

シングル第2弾に先駆けて行われた“missing Taiji”は、マニアたちに謎解きゲームを課す「失踪」イベントであったが、先行発表された“Bermuda”の歌詞を見ると、テジ氏自身が何らかの謎かけをされたのでは、と思わせる節がある。
「性」を歌ったという題材の取り方も、シャイでオクテなテジ氏(ゴメンよ)にしてはずいぶん珍しいように思うのだが、彼をして“pathos”を引き起こす何かがあった? 彼の身に、「事実は(さっき借りた)小説よりも奇なり」と思わせる何かがあった?
あるいは、「意地悪な質問のように」、答えようのない謎かけなり、彼をとまどわせる出来事なりがあったか?
「すぐにはハッキリした返事はしてあげられそうにない」と言いつつも、僕の中のパズルはもうすぐ解けそうだと言い残したまま、火星に失踪したテジ氏…

その彼が、帰ってくる。
そして今回のシングルは、タイトルが“Secret”だという。
彼だけが知っているヒミツが、ついに明かされる?
急遽発表された記念公演の日程は2デイズ、初日は奇しくもホワイトデー。
バレンタインのプレゼントに男子が返礼をしてくれる日ではないか。これはもうソウルへ飛ばねば!

ということで、年度末のタイトな日程を縫って、職場への海外渡航申請をはじめ、チケット・航空券・宿・ペットシッターの手配等に奔走。ひとつ狂えば渡韓じたいがダメになるギリギリの調整も、それこそ惑星直列並みの奇跡で、すべて完了。かくして、8月のETP以来7ヶ月ぶりの渡韓を決行することに。
諸事情で今回の公演に参加できないテジマニ!webマスターに代わってライブレポ執筆の使命も携え、羽田から一路、金浦へ…。

行きの飛行機の中で新曲“Juliet”を聴きつつ、やはり感動が胸に迫る。
なにやら火星で運命の女性に逢ったそうじゃないかテジ君。
この愛あふれる歌声を聞いて、嫉妬を覚えずに済むのは、おそらく当のジュリエット本人だけではなかろうか。
大切なものを愛おしむような、包み込むような、いつにもまして甘くて優しい歌声。
そして何より、この幸福感ただよう楽曲! 失踪イベントの物語が、ただのゲームに過ぎない「作りごと」ではないような気がしてくる。

そもそもテジ氏の歌は、かなり個人的な感慨を歌ったものが多いのだ。
教育の問題にしたって、統一の問題にしたって、青少年の家出問題にしたって。
時代がそれに共鳴したから、あれだけの大きな支持を受けて社会現象のレベルで反響を呼んだりもしたけれど、全てそのコア(中核)にあるのは、極めて個人的な、そして主観的な、彼自身の心情の吐露だろう。
そうである以上、作りごとのラブソングなど、彼はそらぞらしくて歌えないのでは…とさえ私は思うのだ。

これまでやや漠然としていた彼の愛の歌に比べて、ずいぶんと鮮明なイメージになっているのも見逃せない。
火星の丘から見える「青い星」はやはり地球のことだろうか。
爆発してしまえば帰れないだろうに、帰るところがなくなっても、全ての記憶を失っても、躍り上がってときめいた「君」との出逢いはホンモノだというのか。
丘の上での逢瀬がでっち上げの記憶でも、一瞬だけのウソだとしても、君のことはちゃんと覚えているから、って! そんな出逢いがあったというのか?
なにより「あの時、一番深い愛を知ったのかも知れない」とまで言うその相手の女性に対して嫉妬しなくて済むのは、やはり当のジュリエッ(以下同文)。
やっぱりなんかあったでしょ、テジ氏!

実際、本国マニアたちの間では、絶対彼女が出来た!だの、ついに婚約したのでは?だの、今度の記念公演は、新譜だけでなく彼女(婚約者)のお披露目公演になるのでは?だのいう憶測が、さんざん飛び交っていたらしい。
まさかそれはないだろうと思うものの、
よかったなあ、テジ君。ついに出逢えたか!
7集時インタビューでの衝撃発言どおりの「出会えたならその場でラチっちゃう」ほどの理想のお相手に、やっと逢えたか…!
と、歌声を聞きながらもらい泣きしそうになる。
もちろんそれが自分だったなら言うこと無しなのだが(ファンは皆そう思うでしょ)、彼が幸せであることが、まずは我々の幸せそのものなのだから。

活動の再開は、ヒミツの公開。
今回の公演のオープニング曲は、間違いなくこの“Juliet”に違いない。
開演早々、「僕を救い出して。ドアを開けてよ」―そう歌いながら、彼はワームホールの出口である舞台のどこか(穴っぽい何かがセッティングされているに違いない!)から出て来て、火星からの帰還を果たすのだろう。
そこへ立ち会えるだけでも、どれだけ幸せなことか…
特に、渡韓しての公演観覧さえそう容易ではない日本のファンの身には。
鼻水をすすりながらそんなことを考えているうちに、飛行機は金浦空港に到着。早っ。

公演観覧(14日)――入場まで

公演初日(14日)は、15時頃に会場入り。
上着と荷物を預け、スタンディング区域入場者の目印である腕輪を受け取り、さて次はどうしたらいいんでしょうか。と訊ねてみた相手が、’85年生まれファンのグループの皆さんだった。
お揃いのジャンパーを着て仲良く集まっているところへ突然日本人狂ペンが現れたものだから、一気に盛り上がっておしゃべり大会。
1985年かぁ〜わだし高3だったよ〜と言ったら、全然見えませんね!とびっくりされたが、18歳の年齢差を超えて、そこはテジマニア同士。いろんな話に花が咲く。

韓国では、「ソテジフォン」と言って、ソテジの画像・映像・音声がふんだんに入った特別仕様のケータイ電話が販売されているのだが(実はこの日会場到着前に購入)、自分でカスタマイズしまくったソテジまみれなドコモのケータイを見せて「これ、日本のソテジフォンなんだけどね…」などと冗談を言ったり(一瞬本気にする人続出)、
私のチケットの入場番号を見て、日本の人がどうやってこんな良い番号を買えたの!と驚かれたり、
チョルピンクダンスも踊れるのね!と感心されたり。
これまではいつも一緒に行ったお友達の蔭に隠れておとなしくしていることが多かったのだが、今回は単独行動ということでいろいろ覚悟済み。
お名前は?と聞かれて、
「てじゃです。本名なのよ〜(実名の漢字を韓国式に読むと、「テジ」とそっくりな発音になるのだ)」
と明かしたら、それも含めて、ソテジマニアの鑑だ!と言われ、つい喜んでしまう。

入場待ちの列に並んでからは、番号の近い人たちとまたもやおしゃべり全開。
ひとりで来たの? うん、友達みんな仕事の関係で来られなくて!と、さっきと同じ話をひとしきり繰り返しつつ。
上着を預けてしまったから寒いねーとかいう話から、いやいや「テジの話」、特に年越しの時はこんなもんじゃなかった、あの時は真冬だったし、夜遅い開始だったし、みぞれまじりの小雨は降るし…と思い出話になり…、
「テジの話」にも行ったの? え、サマソニも? とたくさん驚かれたり。

私がソテジのことを「てじ氏」「てじ氏」と言うので、例によって「それって珍しいねー」と言われたりも。
13年間、韓国語ではただ「てじ氏」「てじ氏」とばかり呼んできたからなあ…
(ふだん日本語では「てじ様」「てじ君」「てじおさん」などなど。まれに仲間内で「ラジコン好きの鄭さん」とも)

話の合間に、
「あのね、てじ氏は、“Worm Hole”でジュリエットに逢ったんでしょ。
今度の公演は、“Worm Hole”でしょ。
我々はその“Worm Hole”でてじ氏に逢うわけでしょ。
じゃあ、ジュリエットは我々ってこと?」
と言ったら、ひとつひとつには「ネー(うん)。」「ネー。」と頷いてくれていたみんなから、結論部分にはいっせいに突っ込みが入って、
「それは違うと思うな〜」
「これじゃジュリエット多過ぎw(女子マニア)」
「ジュリエットこんな格好してないと思うけどー(Tシャツ姿の男子マニア)」
などなど爆笑されてしまう。
ううむ、公演に来たファンのひとりひとりがジュリエットの気分になれるわけではないのか。
公式サイト「ソテジドットコム」にアップされた例の壁紙は、火星の丘の上をこちらに向かって歩いてくるてじ様の逆光写真をジュリエット目線で眺めるものにも見えるから、公演に先駆けて各自その気分を味わいたまえというサービスかと思ったのだが。

他にも、バンドの楽器編成が変わったというが、本当にメンバーチェンジなの?みたいな話になったり。
本国マニアたちの話では、キーボーディストのソクチュン氏が退陣して、代わりにギターがもう一人入るはずだというのだが、私にはそれがどうも腑に落ちないのだ。
極度の凝り性で、レコーディングにもステージのリハーサルにも根を詰め過ぎるてじ氏。
それに付き合わされて、活動中苦楽をともにするメンバーは、ほとんどシック(食口)。 ただのカジョク(家族)ではないのだ。
メンバー間の絆だってただものではないはず。
8集活動の最中にあっさり使い捨てられるとも、さくっと入れ替われるとも、思えないのだ。

「でも、シングル2のライナー見たら、クレジットにソクチュン氏の名前もちゃんとあったよ…。
ソクチュン氏が今度はギター弾くんじゃないの?(それくらいの実力があるから、オーディションで8集メンバーに選ばれたのでは…)」
みたいなことを言ったら、
「んーでも彼はキーボーディストだから…たぶん違うと思うよ」
みたいな返事。うーむ。

そうこうするうちいよいよ入場開始時刻。
建物への入口は暗幕でワームホールふうの造作がしつらえてあって、緑色のレーザー光線が飛び交う宇宙っぽい暗闇を通って中へ入る。
ふふ、やっぱり凝り性だなあ、てじ様は。
こんな演出された日には、わくわく感もひとしお…
みんな気がはやるようで、「走らないで!歩いて下さい!」と連呼する警護員のスキをすり抜け小走りに場内へ。
F1〜F4まで4分割されたスタンディング区域に各1000名ずつ詰め込むF2区域へ、87番目に入場した結果は…
ほぼ最前列。中央よりかなり右よりではあるが、前列2人目! 舞台が近い!
てじ様のステージで最前列なんて、サマソニ以来だ。

そうだ、レポ頼まれてたんだ。手帳とペンを取り出し、場内をきょろきょろ。
例によっていろいろな垂れ幕が飾ってある。
遠くて字が読めないものは、周囲のみんなが代わりに書き取ってくれて、意味も丁寧に教えてくれる。
「ひとまわり違いは、干支おそろ」とあるのは、84年生まれのファンのグループらしい。
てじ様とお揃いの子年生まれさんたちが、それを自慢しているのだとか。
寅年生まれの団体も
「がおー。てじが来てくれたら、捕まえて食べないから〜」
の垂れ幕。
虎のセリフは、「てじ氏が子年で、虎はふつう鼠のような小動物を食べるから…?」とかいう理屈ではなく、韓国に伝わる昔話のもじりなのだとか。
ああそうなんだ。幼少期に絵本などで触れて育った本国ファンには、馴染みのあるものなのだろう。
そういう文化的な背景まで含めて理解するのは、国外のファンにはなかなか難しい…。

突然、場内にどっと笑いが巻き起こり、拍手が広がる。
なになに?と反対側を見遣ると、「ダンナにナイショで来ちゃいました」の垂れ幕が広げられたところ。既婚女性のグループらしい。
ほどなく再び爆笑と拍手、今度は全く同じデザインの色違いで「カミサンにナイショで来ちゃいました」。既婚男性ファンだ。
行き先を言うに言えないまま、配偶者や姑にお子さんでも預けてきたかな。
それにしても、ファン層の広がりには驚かされる。歳月の重みってすごいものだ。

公演観覧(14日)――フロントアクト

座席ゾーンもどんどん人が埋まり、待ちに待った開演時間。
初日のフロントアクト、一組目は“ヨジョ”。
ミルキーボイスの紅一点女性Vo.、ホリケン似のGt.、オルガンからブルースハープのパートまでこなすKey.、Dr.の4人組(…と見えたのは角度の問題で、後で記事を見たら写真にBa.もしっかり映っていた)。
ギターの軽快なカッティングが心地よいが、ディストーションの効いたソロはやはりてじ氏好みというところか。
各パートのバランスも良く、実に上質な音を鳴らすバンドだ。さすがてじ様がゲストに招くだけのことはある。

憧れの大スターの公演へのゲスト出演とあって、一曲歌った後での挨拶は
「生きているとこんなこともあるんですね…」
とため息混じりの夢見ごこち、
客席から思わず「しっかりしろー!」と声援が飛ぶ。
幼い頃にテープが伸びるまで聞いた(そう、当時はカセットテープだったんですよ、と)ソテジワアイドゥルの想い出など語りつつ、もう一曲。
ベルベットなpopを2曲の後、3曲目で骨太なrockナンバーを持ってきたのには驚いた。
しっとり系のボーカルスタイルから一転、張りのあるシャウトは声量もあって伸びもいい、実はこれこそが彼女の真骨頂か。
若い女性のパフォーマンスとしてはかなりハイクォリティで、韓国もいい音楽人がどんどん育っているんだなあ…と感激のうちに“ヨジョ”の出番は終了。
MCなどではやや緊張気味と見せかけつつ、なかなかどうして、堂々たるステージであった。

二組目は、“Gum-X”。Gt.兼Vo.は黒のTシャツ、Dr.は黒のタンクトップ、Ba.は黒の半袖シャツと、メンバーいずれもシンプルな出で立ちの3Pバンド。
スカ風アリのタテノリ系で、耳をそばだてて歌をよく聞くと、どうやら歌詞は全て英語らしい。
Vo.君が演奏の合間合間に見せるパンキッシュなペコちゃん顔(顔をしかめて舌を出す)なども含めて、明解なカラーを売りにしているのがよく分かる。

メンバー全員が、黒髪に、上記のとおり飾らない服装。
ステージングも含めて、すがすがしいまでのストレートさをぶつけてくる。
MC全く無しで3、4曲ぶっ続けに演奏されたので、似た系統の曲ばかりだったこともあって曲の切れ目もよく分からなかったものの、
「余計なおしゃべりはしない。オレたちの音を聞け。」
という彼らの強いメッセージが感じられた。
ひとことで言えば、ポリシーのある、真っ直ぐなバンド。
その純粋さが、てじ氏の目に留まったのだろうか。
(当初Dr.のコーラス用マイクが入っていなかったり、途中でマイクスタンドごと倒れたのにスタッフが気付かずしばらくそのままになってる場面があったりしたのは、ちょっと残念だった。
3Pでただでさえcho.が薄いんだから、気をつけてやれよ…
日本ならいわゆるボーヤみたいな人がすぐに駆け付けて…という場面なのだろうが、そこら辺はシステムにしても意識にしても、まだまだ未熟ということなのだろうか。 がんばれ韓国〜。)

公演観覧(14日)――てじ舞台・オープニング〜中盤

前座のゲスト舞台が終わると、上から真っ黒な巨大カーテンが降りてきて客席との間を遮り舞台を隠してしまう。
カーテンには、例の「失踪」ポスターと同じ三角形と鍵穴の図柄が描かれていて、会場から歓声が沸き起こる。
スタンディング最前列のファンたちは、最初はカーテンの中に頭を突っ込んでふざけたりしていたが、「シークレットなんだから見ちゃだめー」などと声を掛け合い、すぐに準備のための協力体勢に。
いったい中でどんな準備が…?などとドキドキしながらその時を待つ。
カーテンで隠しておいて、やはりどこかに乗ったり入ったり隠れたりしているのだろうか、てじ様は。

待つことしばし、始まるらしいと察知したファンたちからソテジコールが沸き起こったその時!
どーんという大音響に続いて、例の「臨迫」音声が響きわたる。
荒い息づかいで始まる
「ここがどこなのかよく分から…(ザーッ)惑星が一列に…女の人がいる…」
というてじ様の声も、早くも大歓声にかき消されほとんど聞こえない。
聞き覚えのある、コーラスのかかったギターの、あのゆるやかな旋律が流れ…、女性のナレーションがかぶさる。
天啓、黙示(apocalypse)。生命の発生(genesis)と爆発的進化(explosive evolution)…。
いつしか幕が上がったステージには、手前に大きくせり出す巨大な円筒曲面型の大画面!
少しずつ天井に向かって上昇していく画面上には、例のティーザー映像が。
…忘却(oblivion)。失踪(missing)。
世界のヒミツを解き明かすキーワードがいくつも交錯しながら、やがて浮かび上がる“Juliet”のシルエット。
“They are all connected... .”全ては、つながっている!

大画面が高く上がって舞台の上が見えると、そこには巨大なピラミッドがひとつ。
漆黒の外壁に、読めない古代文字がびっしり。中央には鍵穴のかたちの窓があって、中からあふれんばかりの光がこぼれている。
間違いなく、ソテジはあそこから出てくる! 火星からいま戻ってくる!
6000名の視線がその一点に注がれ…より中央へ近付こうと、目の前の人が左へズレたその瞬間、一人分の空間が空いて、とっさに柵に手を掛け最前列をゲット! なんという幸運!
そして、会場の絶叫も最高潮のなか鳴り響くのは…、“Juliet”のイントロ。キターーーー!!!!
予想大当たり。ああ、やっぱり、オープニングはそう来なくっちゃ!!

「save me no〜w!」ドアを開けて、と言う前に鍵穴を中心にピラミッドが左右に開き、光り輝くてじ様が歩み出す。
会場は当然総立ち、スタンディング区域は震度5で阿鼻叫喚。頭は真っ白である。
いきなりサビから始まって、Aメロでしっとり聞かせて中盤へ盛り上がっていくこの構成は出色の出来ではないか。
最後のコーダでサビをだめ押しするエンディングまで、これ以上の秀逸な楽曲があるだろうか。
などと考えている余裕は全くない。
こんな熱狂と忘我のただ中で、どうやってレポれと言うのだ。使命も任務も忘れ、まずはひたすら絶叫する。

“Juliet”を歌い終わったかと思うと、そのまま“Bermuda”へ。
歌いながら目の前をてじ様が行き来する。細い…脚が細い。
衣装は、白地に黒のチェックが入ったジャケットに黒パジ。
右側に何かぶら下げているが、こちらからは本人を左側から眺める格好になるのでよく分からない。
ジャケットの胸元には何やら丸いものが複数くっついていて、フェルトで出来たアップリケ?などと気を取られて、Tシャツのリンゴ模様に気が付かない。
髪は事前の写真より少し伸びたな。相変わらず伸びるの早いなー。
軽めのブラウンに染め、アシンメトリな左分けで、右側を長く下ろして少し毛先がハネている。
彼の地毛はさらさらストレートだから、パーマ掛けたかな。
メガネを変えたせいもあるけど、色白いなー。
きびきびした動きが風を切り、あーなんというオーラ。なんというエネルギーの放射。
まるで太陽風だ。この光圧、この風圧はなんなんだ…。

バンドメンバーも、気合いが入りまくり。
Top氏の立ち位置がまさに目の前で、相変わらず化粧が濃くて「おかん」状態なのだが(本国でも「おんま」or「マミー」呼ばわりだそうな)、この人のギタープレイはやはり筋の通ったカッコよさがある。
そして、問題のセカンドギターがTop氏と位置を入れ替わって目の前に来た時!
あれっ、ソクチュン? これ、ソクチュンでしょ??
髪を黒く戻し、ギターを抱えあげて弾きまくる姿は別人に見紛うほどカッコイイが、やっぱり彼では?
思わず振り返って隣の人に「ソクチュン? ソクチュン??」と訊くと、「そう! いったいどうしちゃったの!!」と狂喜乱舞。
やっぱり! バンド、クビになったんじゃなかったんだ! 予想、またまた大当たり!

Bメロの「ごいんだーうん」「ふぉりんだーうん」では、みんな一斉に人差し指を下向きに動かすジェスチャー。
みんなというのは当然、てじ様込みだ。
どさくさに紛れて「あるんだーうん」でもやってしまう。
“go down”にも“fall down”にもずいぶんいろんな意味があるようだけど、ここはいったい…と思いかけ、いや、たぶん二重三重の掛詞ふうになっているんだろうな。“F.M.Business”の“in the contract”がダブルミーニング的なのと同じように…だからわざわざ英語にしてあるんだろう、と思い直す。
音の作りとおなじくらい、てじ様の詩は、緻密に成り立っているのだ。

最後は、みんな(てじ様込み)で、「ばーみゅーだー とらいあーんっ」と三角形を宙に描いて歌い収める。
もちろんファンたちは裏返しに右から描いて、てじ様とお揃いにするのを忘れない。

“Bermuda”が終わって、ようやくてじ様からただいま!のご挨拶。
「元気だった? 戻ったよ! 失踪してずいぶん心配したろ?」
(確かこのあと、「ポスターまで出回ってたのに、本気で心配することないじゃなーい」とかなんとか)
「火星まで行ったけど、君らが捜索して見つけ出してくれた」「君らを宇宙連邦捜査隊に認定☆」
「これでもう僕がどこにラチられちゃっても心配要らなそうだねー、警察も要らないかも」
「今度はアンドロメダまで行っちゃうかな〜」などなど、失踪ティーザーゲーム絡みのMCが続く。
「火星でジュリエットに逢ってきたよ」と嬉しそうに報告するてじ様。
なんだか本当に嬉しそうだ。
そして、「逢って“きた”」とはっきり言った。
ここは火星でもないし、ジュリエットはファンたちのことではない、らしい。

「ともあれ、“missing Taiji”プロジェクトも無事に終了、めでたくハッピーエンドを迎えたと言うことで…」
と、次の曲“Heffy End”へ突入。
狂気と裏返しの、むしろ紙一重の、この愛の歌も好きだ。てじ様らしい過剰なひたむきさ…。
大盛り上がりのうちに、そのまま続けて“Robot”を歌い、終わってから再びMCタイム。

「歌ってて昔のこと思い出したよ、以前はみんなでずいぶん暴れたよなあ…」と言ったあと、
「最近、8集は“ヤドゥルヤドゥル”してるって評判だけど?」と語りかけるてじ様。
“ヤドゥルヤドゥル”は、手触りなどの柔らかな感触を意味するらしく、この単語を口にしながらてじ様は手で「すべすべ〜」のジェスチャをしていた。
確かにゴリゴリの男臭さを前面に押し出していた6集なんかに比べれば、今期は、全体にそういう作風だ。

そして「君らほんっと体力落ちたよなー、虚弱体質か?」
とかなんとかからかい始め、
「全国ツアーは毎回2時間だよ? 分かってんの?」
「僕の方が体力あるみたいだけど…君ら、そんなんで2時間もつの?」
「ちゃんと体力つけといてよー。女性は特に、骨粗鬆症だって心配なんだから」
と、心配してるのかいじめてるのかさっぱり分からないトーク。

「君ら的に、一番ゴリゴリな曲はなに?」と質問、
“インターネット戦争”だの“大京城”だの答えが入り乱れるところへ
「一番骨が折れるのはTake 5でしょっ」。
なんで?と思うファンたちに
「こないだ見てたら、君ら“Take 5”のとき、たった3小節でもうジャンプがgdgdになってたじゃん」
「今回は、君らのためを思って“Take 5”を公演のエンディングじゃなくて真ん中に持ってきたんだよー」
「いいか、ちゃんと飛べよー」
と説教してから、“Take 5”イントロになだれ込む。

「さぁ、天高く!」と叫んで「ジョンプ!(jump!)ジョンプ!(jump!)ジョンプ!(jump!)」と号令を掛けつつびょんびょん跳んでみせるてじ様。今日も足の裏に反重力装置をセットしてきたか。
みんな必死で合わせようとするも、スタンディング区域はぎゅうぎゅうのすし詰め状態で、タテに跳ぶことさえ難しいのだ…
あの曲の意外と走らないテンポも、相当高く跳ばないとタイミングがズレてしまうし。
で、結局呼吸が合わず、やっぱりすぐグダグダになるわだしたち orz
(それを考えると、7集ZEROライブ時の“死の沼”ジャンプなんかは、奇跡のような光景だったなあ。)

それでもやっぱり良い曲だ。
絶望なんてしてられない何ものにも縛られないその生き様こそが君の一番の幸せな姿
’96年の、あの涙の「引退」劇のあと、彼が音楽に帰ってくるかどうかも分からなかった空白の果てに、2年半の沈黙を打ち破って出された5集アルバム…初めてこの曲を聴いた時の感動が、まざまざとよみがえる。
陰鬱だの、習作だの、姿も見せずにこんなもの売るな!だのいうあのトンチンカンなマスコミの非難に反して、ファンたちはこの曲に彼の実に幸せそうな再出発の姿を見たのだった。

10年前のあの記事を覚えている人はもうほとんどいないだろうな…
本国言論の酷評に本気で反駁し、日本からも怒りの声を上げようとした、あの対談記事。
…つい、遠い日のあれこれを思い出す。
ここテジマニ!の前身「SB Bang!」で、私たちは「彼がソテジに帰って来た!」と題して、5集発表の意味を解説し彼の音盤カムバックを擁護する対談を企画したことがあったのだ。
日本のキョスニムがソテジを語るというので、それなりに注目を集めたらしく、本国の重鎮ファン・Mさんが韓国語訳してくれたものが、当時はずいぶんネット上にも出回ったものだったが…
(※ ちなみに、あの「引退」劇と米国での「潜跡」を当時の韓国音楽界の状況に照らして「(文化的)亡命」と呼んだのは、あの対談でこの私が試みたのが最初ではないかと思っている。
後にソテジドットコムで5集のことを「亡命者からの音楽レター」と解説してあるのを見て、おや。と嬉しく思ったものだった。あのフレーズは、リニューアルされてしまって、今はもう見当たらないけれど。)

てじ様本人があの記事を直接目にしたかどうかは今もって不明なのだが、そういう経緯があるから、私が特に好きなのは、この曲のハイライトでてじ様が歌うライブ限定版の歌詞。
今回も、「夢の残りをなしとげたなら、それがまた新たな(もうひとつの)…」のあと、モニタスピーカーの上に立って「ソテジだーーー!!」と高らかに宣言。 これは何度聞いても涙が出るよ。
幸せな君の姿
同じひとつの場所にこんなに近く一緒にいられるなんて。
まさに奇跡のワームホールだ。

さすがに跳んだりはねたりの後は、しばらく休憩タイム。
てじ様の愉快なMCが続く。
「もしワームホールがあったら、みんなはワームホール通ってどこに行きたい? 1集? 2集?」
みんなが口々にわめいている中、私は思いつきで
「てじチプ!(てじ君の家に行きた〜い)」と叫んでみたのだが、これも周囲にかき消され…
(ちなみに、この話を、帰り道に一緒になった本国マニアさんにしたら、気の毒そうに
「あーちがうの、そのチプ(家)じゃなくて、何集のチプ(集)なのよー」
と言われてしまった。
「ええ、それは分かってるんですけど、冗談で言ったの」
と答えたら、今度は目を丸くされ
「まあ! 日本人なのに、ハイクオリティギャグね!」
と感心されてしまった。
いくら後で感心されても、てじ君に聞こえないんじゃー意味無し orz)

ほどなく、てじ様の問い掛けに対する「×集!」「△集!」の声がいつしか一つになり、
「シ・ナ・ウィ! シ・ナ・ウィ!」
の大合唱が巻き起こる。
ファンの大部分は、シナウィー時代のてじ様なんか限られた写真と動画でしか見たことがない。
見たがるのは当然なのだが、予想もしなかった答えに、かなり焦るてじ様…。

なんとか持ち直して自ら「1集の時の公演に戻りたい」と語り出し、前に人形をぶらさげて歌ったのが懐かしい、みたいなことを言った後で、歌詞の一部を
大好きな君のために…
と前置きして、“イジェヌン”をしっとりと歌う。

ETPの時と違って周囲も号泣はせず、うっとりタイム。
同じ曲を歌うにも、声量やピッチのコントロールは、当然ながら1集当時に比べて格段にうまくなっている…
こういう細かい縮緬ビブラートは、7集の頃にもまだなかったのでは。
ヴォーカリストとしてのself developmentは、相当なものだ…。
と思いつつ、私もじっと聞き入る。

歌い終わって、会場から「サ・ラン・ヘ! サ・ラン・ヘ!」の大合唱。
てじ様が「ホワイトデーは男子からでしょ」と切り返すや、今度は、
「(ホワイトデーなら)キャンディくれ!くれ!」の大合唱。

ちなみに、この時は「キャンディは無いよーん」などと言っていたてじ様。
もう少し後の場面だったか、
「実はキャンディ用意したんだ。いま天井から降ってくるから!」
とひっかけておいて、みんなが上を見上げたところへ
うっそぴょーん。信じた?」
などとおどけてみせる場面もあったようだ。
帰りに6000名の参加者全員にひとり一つずつチュッパチャップスが配給されたのは、そのつもりであらかじめ用意していたからに違いないのだが…
素直にあとであげるねと言えないところは、まるで少年のようなというか…どんだけ照れ屋さんなんだろうか、この人は。

それからもしばらく舞台上からファンたちに向けていろんな話、恒例のイチャイチャタイムが続く。
事前に公開された逆光のイメージ写真、ジュリエット役のモデルと向かい合っている男性は、てじ様本人で合っていたらしい。
本国マニアたちの間で別人ではないかと議論が起こったのを例によってよく知っていて、
「17年間もオレさまのご尊顔を見てて、なんで見分けが付かないんだよ!!」
とあえて尊大な口ぶりで拗ねてみせ(自分で、「オッパニムの龍顔」などと言ったらしい)、
「おまえらなんか、火星に飛んでってしまえー」
とやって、また笑いを取る。

トスカcfでの風邪気味鼻声のナレーションに別人疑惑が噴出、それを聞いたてじ様が「脱力した」と拗ねたあの事件も記憶に新しいが、いまやファンの大半は17年間の途中から合流したいわゆる「新生ファン」。
彼の姿も、声も、まだ見慣れない・聞き慣れない子らだって結構いるのだよー。
本当の17年ファンは、いまはもうお子さんが数人いるステキなお父さんお母さんになってたり。
公演観覧からもネットでの議論からも一歩引いて、遠くから眺めている人だって多いんだよ…。
てじ君だけピーターパン。君はほんとに、永遠に歳を取らないの?
…問題の逆光写真は、後日、明るく修正して見やすくしたものをネットにアップしてやるから、とのこと。

今日はなんだかロマンチックな気分だーと語るてじ様。ホワイトデーだからか?
「僕はロミオ。ジュリエット来てるー?」
なんて客席を見回すものだから、会場中が「ここにいるよー!」「ジュリエットはあたしよー!」と大騒ぎ。
当然、わだしも一応「ここに来てるよー!」と叫んでみたのだが、かき消され;

てじ様は、必死でアピールする中央近くの一人をじっと見てから「んー、違うなぁ」。会場、大爆笑。
(会場後方の扉付近にいるスタッフに「そこ、ちょっとドア開けてみて」と歌詞をもじった冗談を言ったり、「ジュリエットは今度また連れてくるからさ」と言ったりもしたらしい。その嬉しそうなセリフがまた意味深…)

「ジュリエットをラチるはずが、自分がラチられちゃったよー」
と楽しそうに言った後、照れくさそうにぼそっと「恥ずかしながら。」と付け加えるてじ様。
「有無を言わせずラチっちゃうよ」(自分は恋愛に関しては、決して受け身でも消極的でもないよ)、
なんてあれだけ宣言してたてじ様なのに、
「逆に(心を)持ってかれちゃった」
なんて、その女性は、よっぽど積極的だったか、魅力的だったか。
この報告に嫉妬しないで済むのは、やはり当のジュリエット本人だけだろう(3度目)。
ジュリエットの話になって、客席ぎゃあぎゃあ。
「パ・ラム・ピ・チ・マ! パ・ラム・ピ・チ・マ!」(浮気しないでよ!)の大合唱…
「君らがそうやって妬くなら、こっちは拗ねる!」などと混ぜっ返すてじ様。

そんなホワイトデーらしいイチャイチャデートの後は、「初恋の歌を」と言って、“10月4日”。
サポートメンバーを交えての透明感のあるアコースティックギターの音色が心に浸みわたる。
「君がここにいないから、よけいに君のことが大切なんだ…」
と、心を込めて丁寧に歌うてじ様。
これはこれで彼にとっての真実なのだろう。
いつぞや、てじ氏の母上様がため息混じりに明かした、例の談話を思い出す。
いわく、息子は道を間違った。ソテジワアイドゥル結成以来、カノジョのカの字も出ない。
いい歳をして、結婚どころかデートすらしてないようだ、
いつ電話しても「スタジオで作業してた」と言うばかり…私は早く嫁の顔が見たいのに。

彼女いない歴17年(ごめん)の彼が、しらじらしい作りごとのラブソングを歌っても、そこに魂はこもらないだろう。
相手がいないこと、その「不在」をリアルに歌うから、ファンの心にも響くのだ。
いくつかのインタビューで彼自身が語る恋愛観をたどってみる限り、全く女嫌いなわけでも、ひとと人生をともにすることを全否定しているわけでもないらしい。
むしろ「本当に出逢えたら、その場でラチっちゃう」発言など聞くと、どこかに自分の相手はいるはずだ、と信じていそうな雰囲気さえある。
(魚座らしく、かなりのロマンチストなんだな彼は。)

だから、この“10月4日”にしても、初恋の淡い想い出に重ねて、その「どこかにいるはず」の自分の「運命の相手」をぼんやりイメージして歌っているのかな、などという気もひそかにしていた。
「君はいない、ここにいない」…。
それは7集“outro”でも繰り返される重要なモチーフでもあって、気になるのだ。
君は僕の心の中に生きている。
目を閉じればまぶたに浮かぶ。
その人に向けて、自分はこうして歌うんだ…って、本人が言うんだもの。

不在を嘆きながら、その人を「乞ひ」求める気持ち…
それが「恋ひ」に通じると、日本ではむかし考えられていた。
長い間「恋い」求めた相手に、今回てじ様はやっと逢えたのだろうか…。
ジュリエットっていったい…。

公演観覧(14日)――てじ舞台・終盤〜アンコール

すでに7曲が終わり、公演は終盤にさしかかる。
ファンたちがネット上で今回のシングルのことを「シングル1(モアイ)を超えた」と誉めそやしていることに対して、
「モアイ(巨石像)がキレたら恐ろしいことになるよ?」
などと茶化して笑いを取るてじ様。

ここで「モアイが『伝説ではないレジェンド』なのを見せつけようか」と、本国マニアがネット上で流行らせた言葉をてじ様が使ったものだから、皆ビックリ…どんだけファンをストーキングしてるんだ!って。
そして曲は“MOAI”へ。
今度はワームホールで世界のヘソ、ラパヌイ=イースター島へ行くよ〜!と歌い始める。
6000名が、例の軽快なフラメンコ風の手拍子をぴったりシンクロさせて、会場はひとつに。
この曲ほど、風を感じる歌もない。
風と、波の音と、それから月の光。
遠い海の上の島の情景がありありと浮かぶ…。
ぼんやりと風に吹かれて砕ける波を眺めていたてじ様、
最後には、裸足で僕を待つ君のもとへ、もうすぐ帰るからさ…。
やはりその部分で、会場からわぁっと歓声。みんなここが一番好きなんだもの!

そのままの流れで引き続き“Human Dream”。
当然、ステージにはチョルピンクダンサーズが勢揃い。
至近距離で見るプジップジッダンスはとにかく壮観!
まさにbreedyな、お揃いのモジモジ風ピンク衣装を着た増殖的ダンサーズのチームワークは、馬鹿馬鹿しくも素晴らしい動き。
千手観音ごっこにしろ、立ち位置を一斉に入れ替わってフォーメーションを変えるマスゲーム的場面にしろ、鍛えられた肉体のきびきびした動きが秀逸で、やはりこれは芸術の域。
最初にこのダンスの映像を見た時、CGでやりゃーいいようなアニメ的な動きを律儀に生身の人間たちがやるからこれは面白いのだ、と思ったが、いや実際にそのとおりだった。
こちらはすし詰め最前列で、柵に片手でつかまりながらせいぜいもう片方の手をパタパタさせるのが関の山だったが、周囲と一体化して大いに楽しむ。

2曲歌ったあと、
レジェンドとか、あの曲を超えたとかみんないろいろ言うけど、曲同士・音盤同士で争うのではない、どれもそれぞれにステキ。などと丸く収めつつ、
本当のレジェンドは“ナンアラヨ”でしょ、なんて原点を振り返るてじ様。

それから、シングル1をひっさげて帰ってきて早くも8ヶ月だね…と今期を振り返り、
「時間の速度にも気付くことが出来ずに…」と話し出す。
「今日の公演もそう」、次の曲が何か分かってしまうこのMC。
「一緒にいられる時間は、もうあと100年無いんだよ」
「短かくても幸せな時間を送るためには、守らなければならない権利だってある」
「正しくないものとは、向き合って戦わないと…」
と語って、次の曲“T’ik T’ak”へ。

明るめの曲が多い8集の中では唯一、ややダークな世界を描く歌ではあるけれど、この切迫感と凄みのある美しいメロディは、やはりさすがだ。
しかし抑えの効いた楽曲の進行に酔うヒマもなく、最前列組は、めくばせをしながら来るべき大噴火に迎えて身をかがめる。
そう、事前に会場係員から、特殊効果用の煙突の先がもろに我々の顔に向いているので気をつけるよう、注意があったのだ。
いつ、どの曲のどのタイミングで…とは言われなかったものの、我々のこころは、当然ひとつである。
間奏の重めのピアノソロを聞きながら、今か今かと「真実のカウントダウン」…
そしてついに!
「世界をぶち壊せ!(destroy the world!)」の直後に、どっかーーん!! 噴火キター…
硫黄のにほひと降りしきる灰をもろに浴び、手も髪もざらざら。
今回の公演の、これが一番のハイライトでは?という盛り上がりに、会場中はまたしても「るつぼ」状態。
その絶叫と歓声の中、introと同じあのチクタクと時を刻むリズムが響いて、まるで引き潮のように、静かに曲のoutroへ。渋すぎ〜。

いよいよラストの一曲になってしまった。
「名残惜しいけど…」というてじ様に、ファンたちはさっき始まったばかりじゃなー!と残念そうな声を上げる。
確かにあっという間だった。内容ぎっしりだったけど。

「シングル2ではこの曲が一番反応がよかった」と、最後の曲である“Coma”を予告。
これを聞いて涙した人多数、なのだとか。そりゃそうだろう…
「生きていく上でいろんなものを失う。その悲しみが、それぞれに実感を持って受け容れられたのでしょうね」
とか言ったらしく…歌のモチーフになっている崇礼門の話が出て、6000名の聴衆が、一瞬、水を打ったように静まりかえる。
「何百年ものあいだ我々とともにあった大切な崇礼門が、一瞬でひと握りの灰燼に帰してしまった…」
「もう時間が経って忘れ始めている人も多いみたいだけど、みんなは覚えているよね?」「イェー。」
「ずっと忘れないでいられたらいいね。」「イェーー。」(満場の拍手と歓声。)

「今日は楽しかったかな? 今度のシングルも、盛り上がって行こう…」
「それじゃ今日の公演、“ATOMOS part Secret”、…最後に“Coma”を歌います。」
そういって“Coma”を歌い出すてじ様。
この曲も美しい。悲しいけれど美しい曲だ。
悲しみにも美しさがあることを教えてくれるような。
(悲しみは、深ければ深いほど美しいものなのだろうか?)

冒頭に書いたとおり、ソテジはまず個人の心情を歌う人だ。
この曲で歌われるのも、まずはやはり彼個人の深い悲しみなのだろう。
(いつになく低いキーで始まるこの曲を初めて聴いた時、いつもの聞き慣れたてじ氏の声と少し違うヴォーカルにかなり驚いた。深い悲しみを歌った曲だと分かって納得…。)
一見、社会問題というか、歴史上のショッキングな事件を歌ってはいるけれど、そのコア(中核)にあるのはやはり、あの焼失事件を目の当たりにしつつ、何も出来なかった彼が抱いた、自らの「無力さ」への実感なのだ。
「無力であること(ムリョクハム)」をイヤというほど思い知らされ、受け容れるしかないものを、ただ静かに受け容れること。
ここに歌われているのは、それそのもののような気がする。

ライブでも、火災現場に駆け付けた消防隊の無線連絡らしき音声が、音盤同様に再現されているのに気付く。
音盤で確認するとよく分かるが、ザザーッという雑音に途切れがちな交信音は、全て英語なのだ。
聴いていると、例えば9・11テロの、あのツインビルの崩壊現場に駆け付けたレスキュー隊の交信音を思い起こす。
もちろん9・11に限らない。地震でも火事でも、どんな災害現場を連想することだってできるだろう。
テロも災害も、その意味では同じかも知れない。
災害は、言ってみれば、天のテロリズム。
唐突に降りかかっては、力ずくで、大切なものを破壊し、奪い去っていく。

“Coma”で歌われているのは、そういったあらゆる厄災に対する激しい「怒り」や「憤り」や「抗議」などではない。
ただそれらの前にあって、自らが「無力であること」。
なんのことばも口にできないままただ笑うしかない」こと。
そして、受け容れるしかないこと。

忘れてはいけないこと。忘れないけれども、乗り越えること。
忘れ去ろうとするのではなく、乗り越えようとしなければならないこと。
それが世の中の真実(truth)なのだということ。
歌詞にある「人混みの中目を閉じたまま ひとり歩く」てじ氏の姿は、悲しみを受け容れ、噛みしめようとする姿だろうか。
出来ること。出来ないこと。
分かること、分からないこと。
この世の中の、真実と、ウソと。
それに気付いているかい。君はそれを見極めたかい。
ここで再び、8集の隠れたテーマが繰り返される―「ウソに気付いているかい?(You See The Lie?)」
シングル1とシングル2は、一貫しているのだ。
やはり彼は、この世の中のヒミツを知っている…

そんなことを考えながら周囲を見ると、目頭を押さえて涙をこらえるファンたちがたくさんいた。
崇礼門の焼失は、この国の人たちにとってあまりに大きな衝撃だったから。
…その悲しみは、韓国の人たちだけのものなの?
いや、最も個人的な問題が持つ、それを突き詰めたところに立ち現れてくる普遍性が、常に人の心を打ち、世の中を動かすのだろう。
愛も同じ。悲しみもそうだ。ソテジの歌には、それがある。
だから、国を超えて、いまここに私もいるのだ。
13年の時を超えて、いまだにファンを続けているのだ。
時空を超えた奇跡の出逢いは、確かにここ“Worm Hole”で再び実現したのだった。
日本人だって、この歌に涙してもいいよね…。最後は、私も静かに鼻水をすすった。


 ……暗転から場内が明るくなって、涙を拭ったファンたちが、
「エンコル、エンコル(アンコール)」の大合唱を始める。
アンコールは、やらないはずないのだ。
どの曲をやるのかな〜と、またしてもちょっとわくわくし始める。

会場の大合唱は、「ソ・テ・ジ! ソ・テ・ジ!」に変わっていた。
このソテジコールも、17年の時空を超えた、不思議な呪文なんだよなぁ。
公演会場で自分も一緒にこれを叫ぶなんて、いつも新鮮に「不思議」でしょうがない。
メンバーたちとともに再び舞台に現れ、明るく
「みんな楽しんでる?(タードゥル、チェミッソヨ?)」と挨拶するてじ氏。
「特別に用意した曲があるんだよ」と言って、なんとアンコール曲は、まさかの“ネマミヤ”。

この曲は、ラストの「イロッケ、ター ネマミヤ!」(こんな感じで、何をしようと全部オレの気持ち次第なのさ)という歌詞からタイトルが付けられた模様。
ソテジワアイドゥルが日本デビューしてFMラジオなどにプロモーション出演していた時期は、通訳を務めた韓国の女性が、タイトルの意味を「わがママにッという意味デス」と説明していた。
歌詞の中で、やりたい放題な無茶苦茶を並べているのも、そういう意味らしい。
この曲の邦題「オレの勝手だろ」は、かのルーシー川村さんによるもの。
日本語訳詞作成にあたり何時間もかけて行われた、てじ氏本人と膝つき合わせての徹底的な共同作業については、ルーシーさんのご文章をご参照いただきたいが、私がその逸話に触れた時に抱いた、彼の情熱への共感、妥協を許さない強い意志へのシンパシーは、今も忘れがたい。
彼はいつだって音楽に対して真剣勝負なのだ。
そして、そのようにして作られた彼の作品の魅力は、向き合えば向き合うほどその奥深さを示してくれる、底なしの「謎解き」の楽しみにもあるのだ。
失踪イベントだけじゃなくて、ソテジという存在じたいが、「解けそうな謎」を満載した、この世の中の「シークレット」なのだ…

そんなことを現場で考える間もほとんどなく、てじ氏が
「準備はいいかい? 思いっきり行くよー!!」
と会場を煽る。

「それじゃ最後の曲〜、 ネ ・ マ ・ ミ ・ ヤ゛ーーー!!!」

…そしてスタンディング区域は、みたび阿鼻叫喚の無間地獄。
もう、会場中すさまじいタテノリで、圧死寸前…。
いや、ここで死ねたら、それは本望だろう。圧死も本望。
まさか、ソテジコンサート最前列で、あの
「らっ へっ ろっ くっ こっ うん まりっ」
を叫ぶ日が来るとは!

本気で死んでもいい…と思えた、充実の、そして奇跡の“Worm Hole”初日であった。


前編(14日分) 2009/3/22 00:50:58 脱稿、2009/3/30 23:50:22 校了


二日目(15日)と全体を通しての総括レポにつづく〜